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【拾弐話】



車で三時間、大学から我が家までの悪路に負けず劣らず件の親子の屋敷への道は悪かった

結局あれから私達は彼女の相談を引き受ける事になった。


流石洞口君の友人と云った所だろうか、蒼井さんはすぐさま先方に連絡を入れて彼の屋敷に逗留する様に話を通した。


表向きの理由は「娘さんへの軽い診察、蒼井さんとの久し振りの邂逅」で本当の理由は「捜査紛いの詮索、娘さんの救出、または真相解明」である。


友人の方に断りを入れてしまうと後で彼女が怒られるかも知れないから――と彼女は直接、母親の方に諒解を取ったようだ。


真相究明云々は明らかにお門違いな問題なのだが――


気が付けば目の前に流れる景色はとても長閑な田園風景になっていた。茅葺(かやぶき)の屋根、都会と違って広い屋敷、色彩はとても落ち着いていて何より木がやたらと多かった。


屋敷はもっと山の麓に在るそうだ。視界が広い事と、人が見当たらなかった事と何より延々と荒く不規則に揺らされる事に飽きた事が私に強くアクセルを踏ませた。


程なくして我々は大きな門を構える屋敷に着いた。土壁がやたらと高く作られていたから昔の武家屋敷を買い取ったのだろうか、それが山に埋もれる様に立っていた。


門に近い土壁には一台の車が止まっていた。

「昔は未だ諦めきれないお母様の熱狂的な信者(ファン)の方々が時々いらしていたのだけれど今もそうなのかしら。」


凄いわねぇ。蒼井さんはそう云って未だ確定もしていない予想に感嘆の声を上げた。事実がそうであっても無くても彼女にしてみれば如何でも良いのだろう。言い知れぬ不安が胸の内で増長していくのを誤魔化したかったのかも知れない。元々多弁な方では在るのだろうが、今日は特によく喋った。


不自然な程纏まりの無い話題を羅列して時間を埋めようとしていた。

私は運転に気を取られたままの現な意識で彼女の話に相槌を打った。


だから相槌を打っては居るものの、屋敷と幼馴染に関する事以外は何一つ記憶に刻まれた訳では無かった。野々村は会話に入る事無く、一人ただ気だるそうに頬杖をついて窓の外の景色を眺めていた。


蒼井さんは昔、長い間この近所に住んでいたらしい。

馬が合ったのかよく小さな頃から二人で遊んでいたそうだ。


彼女の父親とは遭った事が無いらしい。

父親が家に来れば遊ぶ約束をしていても反故になり、母親も家から出て来なかったそうだ。


父親との時間は余程貴重な時間だったのだろうか。

その翌日会う彼女はまるで恋でもしている様に浮かれていたと云う。


「お父様は私の王子様なのよ」いつもそう言っていたのを羨ましく思っていたらしい。「いつかお父様のお嫁さんになる」そんな事も云っていたらしい。


その微笑みも、その声も、その仕草も、言葉も――忘れ得ぬ味わいでもって耳の中に残り、留まり、形を成すそうなのに彼女は父親の名前を知らないそうだ。詮索するのも憚られる雰囲気が在ったらしい。


名を隠すという事はつまり、名を隠さないと特定される恐れがある立場の人間なのであろう。この様な田舎ででも知れ渡っている名で在るならそれは詰り、よっぽどの悪人か要人なのであろう。彼女は私生児だ。父親の籍には入っていない。そして認められても居ない。戸籍は前もって調べておいた。


そして母親は、平たく言えば愛人だ。籍も入らず、一緒に住まず

男が通う形の関係だ。そんなだからこのご時世、風当たりが辛かったと予想されるがそれを物ともせず彼女の母親はその器量と態度でもって街の人の心を掴んでしまった。


流石女優といった所だろうか。それにしても――


車を下りながら見る屋敷はとても大きかった。

立派な門を挟んだ土壁は普通のそれよりも高く、威圧的だった。

これは一介の、しかも元女優だけが維持していけるモノでは無い。


後ろ盾がよっぽどしっかりしているのだ。

彼女の母親の相手と云うのは悪人であろうが要人であろうが

金持ちには違いないのだろう。


そんな話は前もって聞いていたからひょっとして知り合いかも知れぬと

親父に電話を掛けたが心当たりは無いそうだ。


親父は事の詳細は聞かなかった癖に何を思ったのか

「余り首を突っ込まない方が良い話かもしれない」と私に警鐘を鳴らした。

根拠を尋ねるとのらりくらりと交された。

偶に親父は訳の分からない事を云うから何処まで間に受けて良いのか分からぬ所が在るのだ。


門を叩くと程なくして老人らしき声がした。


「はいはい、どちら様ですかな?」


しゃがれた声は姿を見えぬまま門戸の後ろを通り、くぐり戸を開けて姿を現した。

腰の曲がった老人だ、その瞳は何かで負傷でもしたのか灰色の瞳孔がやたらと目立った。


「あの、こんにちわっ!」

蒼井さんが軽やかに頭を下げると老人は「ああ、桂子ちゃんか。元気だったかい?」そう云ってその皺だらけの顔を更に皺だらけにして嬉しそうな声を上げた。「私はこの通りよ。須藤さんはお元気でしたか?」そう云って老人の手を取るとまるで子供の様に無邪気に再会を喜んだ。


「前に容子さんを訪ねてきた時逢ったんじゃ無かったのか?」

野々村が水を差す様な事を言った。


「この間はお会い出来なかったの。

何処かへ出てらっしゃったみたいで――」


「一ヶ月程、奥様が慰労の意を込めて――と休みと小遣いをくれてな。

温泉宿を予約までしてくれとった。昨日帰って来たばかりじゃ。

お陰で腰が、ほら!」


老人は笑う。


「別に伸びた感じはしないなぁ」と蒼井さんは軽口を叩く。

「真っ直ぐになった気がしとったんじゃがなぁ」と老人は笑って返す。


調子の良い人である様だ。

彼のお陰で何だか陰鬱だった気分が少し晴れた様な気がした。


「あ、この方は――」

「桂子ちゃんの取り巻きかのぅ?」

「私の取り巻きなんて連れてきたらこのお屋敷が一杯になってよ」

「その中にじじいも入れといてくれんかの?」

「あはは、須藤さんはもっと位が高いのよっ」


一体何の話だ。


いつまで経っても紹介して貰えそうに無いので

「取り巻きの、六華是終と申します。」と頭を下げると二人が笑った。

「僕は取り巻き助手の野々村修一と申します。」

野々村は笑いもせずにそう云った。


取り巻きに助手――たかが取り巻きに何の助けが必要あと云うのか――

一向に訳が判らないが目の前の陽気な二人にはそれでも構わないらしく腹を抱えて笑っていた。


乗った私も私だが、まさか野々村まで乗って来るとは思わずに

思わず彼を見ると涼しい顔をしたまま「今日は他の取り巻きが居ないので口説きたい放題ですよ、教授」と云った。


「抜け駆けすると後が怖いんだ」と私が笑うと


「桂子ちゃんも隅に置けないな」と老人は楽しそうに笑いながら

私達を門の中へと誘った。


中は玉砂利が引かれていて玄関までは飛び石が転々と置かれていた。

そこに一人の男が居た。


眉毛が薄く、切れ長の目がとても冷たく感じさせる人だった。


軽く会釈をすると向こうも会釈を返して私達とは対照的に

彼は門を出て行った。


「あの方は?」私は須藤と云う老人に聞いた。


老人は声を潜め――


「何でも国家警察の偉いさんだそうだ。昔から奥様の熱狂的な信者でな口説きに来ているのか顔を見に来ているのか知らないが頻繁に遊びに来る。わしはあの人が苦手でなぁ。あ、この事は奥様には内密に」老人はそう云ってひひひと笑った。


玄関を開けるとがらがらと戸に嵌った硝子の振動音が響き渡った。


「お邪魔します」


そう声を掛けて玄関の正面を見て私は固まった。


漆で真っ黒に塗られた艶の在る大きな衝立、

表面に貼って在る薄硝子で閉じ込められた夜桜がてらてらと七色に輝いていた。


金箔で表された満月が煌々と輝き、見る角度を変える度に花弁は色が揺らぎ、輪郭が揺らぎ――まるで本当に風に流されさらさらと散りゆく様に見えた。


散り落ちる事も無く、積もる事も無く。

朽ちる事も無く、去り行く事も無く。


それが衝立だと忘れる程にそれの存在は大きく重々しかった。

目の前には漆黒の闇の中、只々踊る散華を従えた桜花があった。


嗚呼これは幻想世界の華だ。この世に在るべくでは無い幻想ノ櫻だ。

概念に縛られた〝世に在る常識〟を物ともせぬまま在り続ける事の出来る完璧な世界だ。不自然な程、隙が無い。


人は隙の無い物を嫌う傾向にある。完璧と思える程自己完結したモノの前で

我々は何も出来はしないからだ。完璧に在るモノの目の前で只、在るしか出来無いからで自分など不要な要素なのだと排他されている気分になるからだろう。


対人であれ、対物であれ、

人は自分とは違う対象の中に己の存在意義を見出し安心したいのだ。


そうする事によって自分と云うものの存在理由を見出せた気分になるのだろう。それが欺瞞であっても構わないから人は自らの評価を付け様とするか存在を無視するしかない。


評価せずとも何も変わらぬもの、必要ともされて居ないのにも関わらず

ねじ込む我の浅ましさを引き出す。


目の前の衝立は正にその自己完結を成されたモノの様に思った。

妙に心がざわめき、不安になる程美しかった。


それは物々しいこの重厚なお屋敷の主の様に玄関を訪れる客の視線を絡め取った。その幻想的な様に私達は見惚れてここに何をしに来たのかさえ忘れる所だった。


「花びらは白蝶貝だそうです。」


不意に透き通った声が響き、私は軽い痙攣の様に体を震わせ

その声の方を見た。


すっかり心が捕われてしまっていた様だ、人の気配すら分からなかった。

彼女の声のお陰で開けた視野で周りを見渡すと蒼井さんは酷く緊張した面持ちで声の方を見つめ、野々村は長い髪を掻き分け流し目でも送る様に声の方へゆっくり視線を動かした。


人なのかどうかは疑わしくなる程彼女の登場は唐突だった。


落ち着いた紫色の結城袖をさらりと着こなし、夜会巻きされた髪、上品そうな婦人であった。隣には甕覗き色とでも云う様な淡い蒼色の――これまた結城袖を着た少女が居た。


婦人はまるで衝立の櫻の精の様に彼女はソレの横からそっとその身を現せた。彼女は我ら訪問者の顔を一人一人丁寧に見た。


我々は「お邪魔致します」そう云って深々と頭を下げた。

「ご無沙汰しておりました」と蒼井さんが明るく声を掛けると彼女はとても綺麗に笑った。


笑っているのに訪問を心から喜んでは居ないのがひしひしと伝わった。それは余りにも彼女の姿が現実離れしている姿をしている所為もあるのだろうか。


気安く近寄るのを赦さない気品とその気品から発祥する高圧さと対照的な線の頼りなさがとても淫靡に感じる様な人だった。笑顔がまるで作り物の様にうそ臭く感じた。


「よくおいで下さいました。柏木志津子、こちらは娘の遙で御座います。

――お話は――」


彼女の視線は野々村で留まった。そしてついでの様に言葉も止まった。

夢でも見ているかの様に彼女の目の光が弱くなり、彷徨うかの様に野々村に近づく。


軋む床板、微かな衣擦れ音。


少し弛緩した口、彷徨う手、今にも言葉の溢れ出しそうに震えたがる喉。

暫く口に手を当てたままその瞳を潤ませたと思えば何やら考え込み、

気を取り直したのか野々村から目を反らした後、元の冷たい表情に戻った。


「失礼致しました。遙、皆様にお茶を――」


婦人は少女にそう云うと屋敷の奥に引っ込んでしまった。

「あ、あ、あ、あっ!あのっ!――お、お上がり、下さい。」


少女は余り人と接する機会が無いのか顔を真っ赤にしてそう云うと

居間へ案内してくれた。母親とは好対照な程、少女の腰は低く、

米搗き飛蝗(バッタ)の様に何度も何度も頭を下げていた。


黙って立っていると彼女も母親に負けず劣らず美しいのにも関わらず。地を這う様に頭を低くしたその姿はこの屋敷に住む人間と云うよりは住み込みで働いている使用人の様だった。


屋敷は広い。そして中国からか何処からか判らないが日本で作られたとは

思い難い雰囲気を持った不思議な家具で全ての室内は彩られていた。


床板がぎゅうぎゅうと鳴る。物静かな屋敷に騒々しく響く。

蒼井さんは遙さんと並び、何やら話に華を咲かせている様で

二人とも楽しげにしていた。


野々村はといえば通り過ぎる廊下からの風景、

庭園を気だるそうな瞳で見ていた。


そして私はと云えば妙な胸騒ぎを覚えて深く溜息を付いていた。



【続く】

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