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包丁による「調理」が、世界の法則そのものによって拒絶された。
それでもヴァニティは諦めなかった。
むしろ――
完全に頭に血が上っていた。
「刃物がダメなら……!」
黒い瞳がギラリと赤く輝く。
「この手で、この歯で――直接いただいてやる!」
洗練されたキラーとしての優雅さ。
完璧な一撃にこだわる精密さ。
そんなものは、とうに怒りの炎へ放り込まれていた。
ヴァニティは四つん這いになり、獲物へ向かって一気に駆け出す。
「捕まえたァッ!」
サバイバーへ飛びかかり、まさに噛みつこうとした――
その瞬間。
カチリ。
小さな音が響いた。
「……え?」
空間が静止する。
「あらあら」
頭上から、アクチュアリティの声が降ってきた。
「なんて行儀の悪い食べ方かしら」
「……は?」
「食事はね」
アクチュアリティが微笑む。
「正しく、美しくいただくものよ」
次の瞬間。
ヴァニティの身体が、見えない何かに捕らえられた。
「うわっ!?」
四つん這いだった身体が、ぐいっと引き起こされる。
「ちょ、ちょっと待って!」
足が勝手に動く。
視界がぐるりと回る。
そして――
ドン。
ヴァニティは、見渡す限り白銀で埋め尽くされた巨大なダイニングルームの中央に座らされていた。
「…………」
目の前には、純白のテーブルクロス。
その上には、真っ白な皿。
そして。
「……何これ」
ヴァニティの手元には、大振りの包丁ではなく――
繊細な銀細工が施されたフォークとディナーナイフ。
「…………」
数秒間の沈黙。
「……なにこれぇ!?」
ヴァニティが叫んだ。
「離せ!」
フォークを投げようとする。
動かない。
ナイフを置こうとする。
置けない。
「離せって言ってるだろ!!」
どれだけ力を込めても、手はテーブルマナーの模範生のように固定されている。
アクチュアリティはそっと手を伸ばすと、ヴァニティの頭から赤い帽子を取り上げた。
「お食事の時は脱帽をしないと」
「返せ!!」
「正装よ?」
「ボクは晩餐会なんかに来たんじゃない!!」
ヴァニティが必死に抗う。
しかし、アクチュアリティはまったく動じない。
「野性に任せて食い散らかすなんて、美しくないでしょう?」
指を鳴らす。
パチン。
すると、ヴァニティの目の前に光の粒子が集まり始めた。
やがて一枚の皿が現れる。
その上には、白銀の世界にふさわしいほど綺麗に盛り付けられた「食材」。
血の匂いはない。
腐臭もない。
何もかもが完璧に整えられている。
「どうぞ」
アクチュアリティが微笑む。
「私が用意した最高の食卓よ」
「…………」
ヴァニティの眉がピクピクと動く。
「ふざけるな……」
「?」
「誰がこんなおままごとみたいなフォークとナイフを使うか!」
ヴァニティは皿へ顔を近づける。
「ボクは――」
あと少し。
「手で――」
さらに近づく。
「直接――」
ガッ。
見えない力が首を引っ張った。
「ぐえっ!?」
背筋が強制的に伸びる。
「……!」
ヴァニティの姿勢が、ものすごく綺麗になった。
背筋ピン。
顎を適度に引く。
両手はテーブルの上。
まるで完璧なお嬢様である。
「……」
「ダメよ、ヴァニティ」
アクチュアリティが穏やかに言う。
「背筋を伸ばして」
「……っ」
「左手にフォーク」
ヴァニティの左手が勝手に動く。
「右手にナイフ」
右手も動く。
「そして――」
アクチュアリティは微笑んだ。
「端から一口大に切り分けるの」
「嫌だぁぁぁぁ!!」
ヴァニティの絶叫がダイニングルームに響き渡った。
しかし――
腕は止まらない。
スッ。
銀のナイフが動く。
サクッ。
皿の上の食材が、綺麗に切り分けられる。
「…………」
ヴァニティが目を見開く。
「……何だ、この精度」
一定の厚み。
一定の大きさ。
まるで高級レストランの厨房で仕上げられた料理のように、皿の上が整然と整っていく。
「やめろ……!」
それでも腕は止まらない。
「ボクはこんなことをするためにいるんじゃない!」
さらに一切れ。
さらに一切れ。
完璧なテーブルマナー。
完璧な切り分け。
完璧な所作。
「そう」
アクチュアリティは満足そうに頷いた。
「とても上手よ」
「うるさい!!」
「一口ずつ、ゆっくりいただきましょうね」
「嫌だ!」
フォークが動く。
ヴァニティの口元へ。
「嫌だって言ってるだろぉぉぉ!!」
パクッ。
「…………」
沈黙。
ヴァニティがゆっくり咀嚼する。
そして――
「……違う」
目を伏せる。
「違う……」
何度噛んでも、彼女が求めていたものはない。
血の匂い。
恐怖。
命が最後まで抗う感覚。
そして、完璧な「仕上がり」を生み出したという満足感。
何もない。
ただ、整えられた食事がそこにあるだけだった。
「こんなの……」
ヴァニティの声が震える。
「食事じゃない……」
もう一口。
「こんなの、ボクの料理じゃない……」
さらに一口。
「ボクの美学じゃない……っ!」
それでも腕は止まらない。
切る。
刺す。
運ぶ。
咀嚼する。
そして、また切る。
完璧すぎるほど完璧な所作。
その光景を眺めながら、アクチュアリティは満足そうに微笑んでいた。
「ふふ……」
「…………」
ヴァニティの漆黒の瞳から、悔し涙が一粒こぼれる。
「……ボクは……」
握りしめたフォークが震える。
「こんな上品な食べ方なんて……嫌いだ……」
「まあ」
アクチュアリティが楽しそうに笑う。
「でも、とても似合っているわよ?」
「絶対に嫌だ!!」
白銀のダイニングルームに、ヴァニティの悲痛な叫び声が響き渡る。
血に飢えた狂気のキラー。
完璧な一撃を誇る捕食者。
スペクターへの忠誠を胸に、恐怖と絶望を「最高の料理」へ変えてきた女。
そんな彼女が今――
白いテーブルクロスの前で、フォークとナイフを握らされていた。
そしてその夜。
ヴァニティは初めて知った。
自分の美学を否定されることが、これほどまでに恐ろしい屈辱なのだということを。