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ゆ
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#specter
ゆ
953
SWAPSAKENには、あまりにも完璧な静寂が広がっていた。
どこまで歩いても汚れひとつない。
床も。
壁も。
柱も。
すべてが白銀。
あまりにも清潔で、あまりにも整いすぎている。
ヴァニティにとって、それは美しいどころか――耐え難い苦痛だった。
「……なんなんだよ」
拳が震える。
「なんなんだよ、この白さは……!」
ヴァニティは周囲を見回す。
血の跡も残らない。
恐怖も残らない。
自分が何かをしたという証拠すら、この世界は綺麗に消してしまう。
「……ボクの料理を」
包丁を握りしめる。
「ボクの作品を……!」
ガキィンッ!!
大きな包丁が白い床を叩いた。
硬質な音が、広大な空間へ響き渡る。
「全部……消すなよ!!」
もう一度。
ガシィンッ!!
今度は柱へ。
白い表面に刃が当たる。
しかし――
傷ひとつ残らない。
「……っ」
ヴァニティの表情が歪む。
「これもダメ……?」
包丁を振り上げる。
「じゃあ、これは!?」
ガキィンッ!
「これならどう!?」
ガキィンッ!!
何度叩きつけても、白銀の世界は何事もなかったかのように佇んでいる。
まるで――
ヴァニティの存在そのものを拒絶しているかのように。
「血が出ないなら……」
息を荒くする。
「サバイバーが綺麗な光になって消えるなら……」
朱色の瞳が、ゆっくりと見開かれる。
「ボク自身が、赤を残せばいい」
その言葉とともに、ヴァニティは自分の手を強く握りしめた。
赤い雫が、ぽたりと床へ落ちる。
白銀の床に、小さな赤が生まれた。
「……ほら」
ヴァニティが笑う。
「消えてない」
もう一滴。
また一滴。
「これがボクだ」
彼女は赤い雫を指先ですくい、白い壁へと走らせる。
一本の線。
その隣に、もう一本。
白一色だった壁に、少しずつ赤い痕跡が増えていく。
「見てよ……!」
ヴァニティは夢中になって赤い跡を広げていく。
壁へ。
床へ。
柱へ。
「これが血!」
その声は次第に歓喜へ変わっていった。
「これが命の証!」
白銀の空間に、赤い線が増えていく。
「こんな何もない世界なんて――」
ヴァニティが両腕を広げる。
「ボクの色で塗り替えてやる!!」
その瞬間。
背後から、静かな声がした。
「……まあ」
ヴァニティが振り返る。
そこにはアクチュアリティが立っていた。
「なんて見るに堪えない有様なのかしら」
その口調には怒りすらない。
ただ、少しだけ困ったような微笑みが浮かんでいる。
そして彼女は、手にしていたものを静かに差し出した。
「でも、大丈夫よ」
ヴァニティが目を細める。
「……何それ」
「あなたへの贈り物」
それは――
一枚の純白のドレスだった。
余計な装飾はない。
それでも、一目で分かるほど上質で。
美しく。
SWAPSAKENそのものを象徴するような白。
「せっかくの可愛らしいお顔が台無しよ」
アクチュアリティは優しく微笑む。
「そんな血生臭い服は脱いでしまいなさい」
「……」
「このドレスを着れば、もっと綺麗になれるわ」
ヴァニティは黙ってドレスを見つめた。
白。
また白。
どこまでも続く、あの忌々しい白。
それはただの衣服ではなかった。
ヴァニティには、それが何を意味しているのか分かっていた。
「……ボクを」
ゆっくりと顔を上げる。
「飾る?」
「ええ」
アクチュアリティは微笑む。
「あなたに似合うと思うわ」
ヴァニティはドレスを受け取った。
「まあ」
アクチュアリティが嬉しそうに目を細める。
「素直で良い子ね」
その瞬間。
ヴァニティの口元が、ゆっくりと歪んだ。
「……ふふ」
ドレスを握りしめる。
「ボクを飾る、ね」
次の瞬間――
ヴァニティは、自分の手に残っていた赤い痕を白い布へと強く擦りつけた。
純白の布に、一筋の赤が走る。
そして、もう一筋。
やがてその白は、ヴァニティ自身の「赤」によって少しずつ染まっていった。
アクチュアリティの笑顔が止まる。
「……ヴァニティ?」
「これでいい」
ヴァニティは血に染まったドレスを見つめる。
その瞳には、再び力が戻っていた。
「これがボクの色だ」
ドレスを高く掲げる。
「ボクを飾るのは、誰かが用意した綺麗な白じゃない」
朱色の瞳がアクチュアリティを射抜く。
「ボク自身が選んだ赤だ」
そして――
ドレスを床へ叩きつける。
「誰がキミの用意した白なんか着るかよ!」
白銀の床に、赤く染まったドレスが落ちる。
ヴァニティはそれを踏みつけた。
「これがボクのドレスだ!」
その顔には、久しぶりにいつもの狂気じみた笑みが戻っていた。
「ボクの愛と、ボクの美学で染め上げた――世界で一番綺麗な赤!」
アクチュアリティは黙ってその姿を見つめている。
ヴァニティは包丁を構えた。
「キミの白い世界に合わせるつもりなんて、これっぽっちもない」
一歩、踏み出す。
「ボクはボクのやり方で、ここに存在してやる」
さらに一歩。
「だから――」
包丁の刃が白銀の光を反射する。
「ボクの『調理』を邪魔するなら、今度こそ本気で相手をしてもらうよ」
白銀の空間に、赤い狂気が立ち上がる。
完全な白に染められていた世界へ――
初めて、ヴァニティという存在そのものを示す「赤」が刻まれた。
そしてその赤は、もう消えることを恐れてはいなかった。