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うたた寝をしていた和香は、ふいに目を覚ました。
ここは……?
どうやらソファに寝ていて、毛布をかけられているようだった。
「起きたか」
とラグの上に寝ていた耀がむくりと起き上がって言う。
「石崎。
二晩も一緒に寝たんだから、もう結婚してもいいだろう」
いやいやいや。
なんなんですか。
起きた途端、唐突に。
一晩は寝てる課長についてただけですし。
今日は今日で、全然別に寝てたみたいなんですけど。
ちなみに、まだ午前三時です。
一晩をともに過ごしたとは言えないのでは?
そう思ったままを言ってみたが、
「屁理屈を言うな」
と言われてしまう。
いや、訳のわからないことを言ってるのはあなたですが……。
何故、私と結婚したがるのですか。
課長ほどの人が私を好きとかないだろうし。
そもそも、好きとか言われたこともないし。
これは、あれかな。
なんか、こういう場合はに責任をとらなければとか、思ってしまう人なのかな。
……いや、なんの責任だ。
私たちの間にはなにもないですが。
それか、最初に結婚するかもと思ったから、なんか、思い込みのまま突っ走ってるとか?
どのみち、私は課長とは結婚できませんけど……。
なんだかんだで、人のいいあなたを私の運命に巻き込むことなんてできませんしね。
そう和香は思っていた。
翌朝、一階の和室で和香は目を覚ました。
ここは何処?
私は誰?
とまた思っているうちに、
「朝食だぞ」
と襖の向こうから耀の声がした。
ちょっぴり、シワになった服を手で伸ばしながら、襖を開けると、トーストと完璧なオムレツと淹れたての紅茶が並んでいた。
おお、ホテルとかで見る感じの、つるんとしたオムレツだ。
美しい……。
黄色いオムレツにケチャップの赤が映えている。
「早く食べろ」
と言われて見た皿には、花のように切られたオレンジも盛ってあった。
いつの間にやら、技を盗まれていたらしい。
「うむ。
免許皆伝だ」
とか課長に言ったら、殴られるだろうな、と思いながら。
いただきます、と言って、サクッとトーストを噛んだとき、耀が言った。
「二晩も一緒に寝たんだから、もう結婚してもいいだろう」
なんか昨夜も聞いたな、と和香は思う。
あのあと、和室に布団を敷いてもらって寝たのだが――。
まだ、その話題、終わっていなかったのか、
と思いながら、和香は食べかけの朝食を見て言った。
「これだけいろいろしていただいたので、なにかお礼をしなければなりませんね」
少し考えたあとで、和香は言う。
「肩でもお揉みしましょうか?」
「……お前は小学生か」
でも、この人、なんでも持ってるし。
なんでもできるしなあ。
一番のお礼は、これ以上関わらないようにすること、のような気がするけど……。
「なんか食べすぎました。
美味しすぎて」
「じゃあ、ちょっと家の周りでも散歩するか」
あ、いいですね~と二人でぐるっと図書館の辺まで歩き、民家の花々を眺めたあとで、図書館の本を手に和香は帰った。
耀は送ってくれると言ったのだが、
「散歩のつづきをしながら帰りたいので」
と言って断った。
爽やかな日曜の朝だ。
こんな清々しい朝帰りってあるんだな~と思いながら、コンビニでお昼に食べるお弁当を買ったあとで、アパートに戻った。
アパートのむき出しの外廊下。
和香は部屋の前で立ち止まり、外を見る。
カンカンと音をさせ、羽積が上がってきた。
朝か昼か、微妙な時間だったので。
和香は、ちょっと迷ったあとで、
「おはようございます」
と声をかけた。
羽積は、
「ああ、おはよう」
と言ったあとで、
「また締め出されたのか」
と訊いてくる。
外に、ぼんやり立っていたからだろう。
「今日は鍵、ありますよ」
そうか、と言ったあとで、羽積はさっさと部屋に入ってしまったが。
鍵がないと言えば、この間みたいに、残って助けてくれそうな雰囲気があった。
パタンと扉が閉まり、和香はもう一度、外を振り返る。
古い民家とそれを囲む木々の向こう。
ここからまっすぐの場所に半年前まで自分が住んでいた部屋の扉と小さな窓が見える。
カーテンのかかったその窓を見ながら、見張るには最適な場所だな、ここ、と和香は思った。
二晩ともに過ごしたんだから、これはもう結婚すべきだろう。
そんなことを思いながら、月曜日、耀は社食に来ていた。
いや、夜をともに過ごしたと言っても。
和香は猫みたいに丸くなって寝ていただけなんだが。
そして、自分はそんな和香の寝顔をただ見てただけ――。
すかーっとあどけなく寝ている和香を思い出しながら。
ちょっと得体の知れない女だが、ああしていると、ただ可愛いだけだな、と思ったとき、後ろから和香の声が聞こえてきた。
「それで、取っ手が取れたんですよ。
取っ手が取れないティファールだったのに」
……なんかしょうもない話してるな、後ろで。
騒がしい社食でも。
前で時也が大きな声でコンパの話をしていても。
少し離れた席にいる和香の声はよく聞こえた。
みんなにもよく聞こえるのか。
自分にだけ彼女の声がよく聞き取れるのかはわからないが。
和香にとんでもない秘密があったとしても、触れなければいいんじゃないか?
うん。
そうだ。
そうしよう、と思ったとき、美那らしき人物が和香に話しているのが聞こえてきた。
「よかったじゃない。
やっぱり、取っ手が取れてこそのティファールよ」
「いやだから、壊れたんですってば」
その後は、誰かがテレビで見たというアメリカの幽霊屋敷の話をはじめたようだった。
「外国の幽霊って騒々しいわよね」
「なんか日本のみたいに、じめっとしてなくて、カラッとしてるわよね。
霊になっても、国民性の違いってあるのね」
「和香、外国の幽霊って見たことある?」
そんなもの見たことある奴、そういないだろう、と思ったとき、和香が、
「いや、日本のもないですよ。
幽霊っぽいものは見ましたけど」
と言うのが聞こえてきた。
和香の声だけ、やはり、自分にはクリアに聞こえてくる。
「なに、幽霊っぽいものって……」
と言った誰かに和香が言った。
「でも、外国の幽霊とかって、ほんとうに事件に関わってきたりして、存在感ありますよね」
「なんでそんなこと知ってるの?」
「昔、FBIにいたんで――」
と言う和香に、みんなが笑う。
だが、耀だけは食べる手を止め、思っていた。
やめろ。
お前が言うと、なんだかほんとっぽいから……と。
和香は元ではなく、現役のFBIの人間で。
これは潜入捜査なのかもしれない。
だったら、いつの間にか消えてしまうかもしれないからな、と思い、急いで、和香を誘った。
いや、もちろん。
あれは和香のジョークだったようなのだが。
ほんとうにFBIなのかもしれないという、とんでもな理由をつけても、和香を誘いたかったので、ともかく誘った。
すると、このFBIはFBIのくせに、
「いいですよー」
とひょこひょこついてきた。
「家呑み、おつきあいしましょう」
と言って和香は笑う。
「そうですよね。
家呑みがいいですよね。
酔ったら、すぐに寝られますもんね」
弱い課長にはピッタリですよね、とは言わずに、和香は、そこで、ただ微笑んだ。
おつまみになにを買うかという話になったとき、和香が食べたいチーズがあると言ったのだが。
それはこの辺りでは見かけないチーズだった。
「前、カタログギフトでもらって美味しかったんです」
と和香は言う。
FBIにもカタログギフトのお返しとか来るのか、とまだFBIを引きずって思う。
「そうだ。
そのチーズ、あの、ちょっと高めの品を置いているスーパーにならあるかも」
と言ったあとで、
「だが、あのスーパーは危険だ」
と耀は言う。
「何故ですか?
お金持ちの人たちに蔑まれるとか?」
いや、どんなスーパーだ……。
「ああでも、課長はお金持ちですよね」
「別に金持ちじゃない。
でも――」
会社から近いそのスーパーの前まで、結局、和香を連れてきていた耀は呟く。
「……あれが出そうだ、こういうスーパー」
ちょっと小洒落たその建物を見ながら思う。
まあ、二、三度来たけど、出なかったしな。
……と思って、油断した。
それは向こうからやってきた。
たいして物の入っていないカゴを手に、優雅な仕草で果物などを見ている。