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「……お邪魔します」
「ただいま、だろ?」
仕事を終えた麗が、明彦が所有するマンションを訪ねると、一階のエントランスでチャイムを鳴らしたころから不機嫌を隠す気がない声をしていた明彦が玄関のドアを開き、仁王立ちしていた。
そう、麗も今日からここに住むのだ。結婚したのだから、当たり前のことである。
当たり前のことではあるが、ハイグレードマンションと呼ばれる明彦の住居に、麗はエントランスに入る前から身の置き場がないと感じていた。
一応、社長令嬢として、父親に引き取られてからは、それなりの家に住んではいたが和風建築だったこともあり、慣れそうにない。
何てったって、このマンション、駅が近くて、ジムがあって、24時間の警備とコンシェルジュがいる。
その上、敷地内にちょっとした公園がある。最早、意味不明だ。
「………ただいまです」
小さくなっている麗を他所に、明彦は廊下を歩いていく。
そっと中に入って、ドアを閉めると低い電子音がした。
(あ、これ自動ドアだ)
まるで、ホテルのようで、麗はじっと鍵が閉まっていく様子を見守ってしまった。
そんな麗をリビングに続くと思われるドアに手をかけた明彦が何も言わずに見ている。
後を追いかけなければますます機嫌を損ねそうで、麗は飾り気のない通勤靴を脱いで、音をたてないように爪先で走って追いかける。
さながら忍者のように明彦に続いてリビングに入ると、麗はまたしても動きを止めてしまった。
シンプルな家具が置かれたリビングはガラス張りで外が見渡せた。
「わぁ!」
圧倒的な景観に見惚れていたいが、不機嫌なオーラを放っている明彦を放置できず、それでもやっぱり逃げたくてゆっくりと明彦と目を合わせる。
「今朝の俺の気持ちがわかるか?」
明彦がソファに足を組んで座り睨み付けてきた。
ソファの後ろにある笹を食べているパンダのカレンダーは貰い物だろうか。それだけが完璧に整った部屋から浮いて見える。でもパンダ可愛い。
それに、アキ兄ちゃん、脚長いね。あと、このソファも高そう。
私も座ってみていい? 飛び跳ねたい。とは言ってはいけない雰囲気なので麗はフローリングの上に正座した。
「私、何かしてもうた? ごめんね」
よく寝ていた明彦を起こすのが憚られ、何時に起きたいか聞いてあげなかった。
もしかしたら、何かの用事に遅れてしまったのかもしれない。
「何かした? だと! 結婚式の翌朝、消えた花嫁の言葉か? それは!」
そう言われれば、確かにそうである。
「ごめんなさい。仕事あったし。別に私がおらんくても気にせぇへんかなぁと」
「気にしない? そんなわけあるか!
「いや、だって、今朝は明彦さんが気持ち良さそうに寝てたから、起こすの悪いなーと思って、つい」
「そうだな。花嫁はすやすやよく寝ていたが、残念ながら花婿のほうは昨夜なかなか寝付けなくて寝坊したからな」
「え、私、いびきとかうるさかった? ごめん」
「違う、そうじゃない。兎に角、麗は俺が起きるまで待っていれば良かったんじゃないか? ええ? それか、夫を朝だよと可愛く起こす新妻をしてくれればよかったはず」
麗は、明彦が夫と妻という単語を強く発音するせいで、己が明彦の妻になったのだと強制的に意識させられた。
「オッシャルトオリデス」
麗はシュンと俯いた。
「ごめんなさい。でも、所詮は政略結婚なんやし、もうほんまに、私の事は気にせんと好きに生きてくれてええんやで。明彦さんに好きな人とかできても、嫉妬のあまり暴れたりせんと粛々と離婚するって約束できるし」
明彦の妹分のままでいたいのも、明彦にこれ以上面倒をかけたくないのも麗の本心だった
ずっと可愛がってくれていた明彦にこれ以上迷惑はかけたくない。
明彦に相応しい女性は、姉のような才媛で麗ではない。当たり前のことだ。
「そう約束される方が不快だ。絶対に離婚はしない。大体、本当に好きにしていいなら、麗は今頃ベットの上で俺に組み敷かれて鳴いている」