テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
夜の家は、まるで深い森の中にいるようだった。
外の世界の音は何も届かず、ただ家の中にだけ、重く淀んだ空気が満ちている。
リビングの蛍光灯は、暗闇を押し返すほどの力もなく、
壁にぼんやりとした影を落としていた。
父親はソファに沈み、手にした酒瓶を何度も傾けている。
母親はキッチンで、包丁をまな板に叩きつけるようにして野菜を刻んでいた。
時折、包丁の「トン、トン、トン」という音が、家じゅうに響く。
僕と滉斗は、ダイニングの椅子に並んで座っていた。
テーブルの上には、冷めたカレーと、しおれたサラダ。
元貴は自分の部屋で、図工の道具を広げている。
時々、紙を切るハサミの音や、セロテープを引き出す音が、遠くから聞こえてきた。
「いただきます」
元貴の声だけが、かすかに響いた。
父親は無言でスプーンを動かし、
母親は食器を乱暴に並べる。
空気は重く、誰も口を開こうとしない。
「なんでこんなにルーが薄いのよ」
母親がぼそりとつぶやく。
「文句言うなら自分で作ればいいだろ」
父親が低く返す。
「は? 私だって忙しいのよ」
「忙しい? 家のこともろくにできてないくせに」
母親は包丁をシンクに投げるように置いた。
「あなたがちゃんと稼いでくれれば、こんなことにはならないのに」
父親の顔が、じわじわと赤くなっていく。
その様子を見ているだけで、僕の背中に冷たい汗が流れる。
滉斗はスプーンを握ったまま、じっと皿を見つめている。
僕は、元貴の方をちらりと見た。
元貴は何も知らず、カレーを一口ずつ食べている。
父親のグラスがテーブルにぶつかる音。
ガチン
母親が舌打ちする。
「もう、ほんとに……」
「何だその態度は」
父親が母親を睨む。
「別に」
「お前、最近生意気だな」
母親は無言で立ち上がり、滉斗の肩を乱暴に掴む。
「ちゃんとしなさいって言ってるでしょ!」
バシッ
乾いた音。
滉斗の体が小さく揺れる。
僕は慌てて立ち上がる。
「やめてください」
父親が僕の腕を掴む。
「お前もだ、涼架」
ドンッ
背中が椅子にぶつかる。
元貴が部屋から顔を出す。
「お兄ちゃんたち、どうしたの?」
僕はとっさに笑顔を作った。
「なんでもないよ、元貴。すぐ行くから」
「うん」
元貴は安心したように部屋に戻った。
リビングに戻ると、父親と母親が低い声で言い争っている。
「お前が甘やかすから、子どもがこうなるんだ」
「は? あなたがちゃんと稼いでくれないからでしょ!」
「何だと?」
「もういい加減にしてよ!」
二人の声がどんどん大きくなる。
僕と滉斗は、息を殺して立ち尽くしていた。
そのとき、母親が皿をシンクに叩きつけた。
ガシャン
ガラスの割れる音が響く。
「うるさい! 全部あんたたちのせいよ!」
母親の怒鳴り声。
父親が立ち上がり、母親の肩を掴む。
「ふざけるな!」
「離して!」
テーブルが揺れる。
食器がカタカタと震える。
僕と滉斗は、ただ固まって見ているしかなかった。
父親が母親の手を振り払う。
母親は涙目で僕たちを睨んだ。
「もう、全部嫌!」
母親はそのまま寝室に消えた。
父親は荒い息を吐き、ソファにどさりと座り込む。
しばらく、リビングには誰の声も響かなかった。
時計の針の音だけが、やけに大きく聞こえる。
滉斗が小さな声で言った。
「兄ちゃん、怖いよ……」
僕は滉斗の手を握った。
「大丈夫。大丈夫だから」
でも、その声は自分でも頼りなく聞こえた。
夜が更けていく。
父親は酒を飲み続け、母親は寝室から出てこない。
僕と滉斗は、リビングの隅で膝を抱えて座っていた。
時々、父親がテーブルを叩く音が響く。
ドンッ ドンッ
そのたびに、僕の体がびくりと震える。
深夜、元貴がトイレに起きてきた。
「お兄ちゃん、まだ起きてるの?」
「うん、もうすぐ寝るよ」
「おやすみ」
「おやすみ、元貴」
元貴は、何も知らずに部屋に戻っていった。
僕は滉斗の肩をそっと抱いた。
「明日は、何も起きませんように」
滉斗は、ただ黙ってうなずいた。
夜明け前の家は、静かすぎて不気味だった。
でも、その静けさの奥に、
何か大きなものが爆発しそうな予感が漂っていた。
おかわりいただけただろうか
投稿頻度が遅くなっていることに…