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Dream Gateの応接フロアは、芸能事務所らしい華やかさと、どこか冷たい緊張感を併せ持っていた。床には黒い大理石が敷かれ、天井から吊るされた細長い照明が鏡面の床に白い光を落としている。壁面には所属タレントの巨大な宣材写真が並び、笑顔のアイドルたちが訪問者を見下ろしていた。その中央を貫くガラス張りの廊下の向こうには、都会の高層ビル群が秋の陽光を受けている。 そんな応接フロアに星凪美夏(ほしなぎみか)はいた。
昨日の生放送から、まだ一日しか経っていない。それなのに、もう次の仕事が決まろうとしている。映画『君が消えた世界はまだ続いている』──回帰前には存在しなかった映像作品のヒロイン役に、自分が原作者から指名された。何度考えても現実味がない。まるで雲の上を歩いているかのよう。
「こちらへどうぞ、星凪さん」
スタッフに案内されて、美夏は会議室に入った。
すでに天導隆一(てんどうりゅういち)が席についている。
「お疲れ様、美夏さん」
社長はいつもどおりの穏やかな笑顔を美夏に向けた。昨日、電話越しに彼女を労った声と同じだった。その笑顔の裏に何があるのかを知ってしまった今となっては、薄ら寒いものにしか感じられなかったが、美夏は何事もなかったかのような顔で会釈した。
「よろしくお願いします」
「うん。今日は顔合わせと、企画の方向性について簡単に話すだけだよ」
美夏は指定された席に腰を下ろした。
向かいには映画制作のスタッフが数人。
そして──その中に一人だけ、見覚えのある青年がいた。
黒髪に、飾り気のない服装の、二十代半ばの男だった。芸能人を見慣れている美夏からすると、どこか地味な青年に見える。だけど彼が立ち上がった瞬間、美夏の胸にざわめきが走った。
「初めまして。暁文蓮(あけぶみれん)です」
「……」
声が出なかった。彼の名はすでに知っている。直接会ったことはない。それでも、この顔を知っている。回帰前にニュース映像で何度も見た男だった。出版社の前をうつむいて歩く姿。自宅前に集まる報道陣。ネットに流れ続ける誹謗中傷。そして──最後に流れたのは、彼の死を伝えるニュースだった。
(この人が……)
No.404。『君が消えた世界はまだ続いている』の作者。
美夏は名刺を受け取った。しかしそこに記されていた肩書きは、『映画脚本チーム統括』だった。
「……原作者の方が、脚本チームを?」
「いいえ。僕はNo.404ではありません」
「え……? でも……No.404って、暁文さんのペンネームですよね?」
室内の空気が、ほんの少しだけ変わった。
暁文は驚いた顔をしなかった。ただ、穏やかに笑った。
「いいえ。No.404は売り出し中のタレントです。近いうちに、メディアへ向けてNo.404の正体が発表される予定もありますよ」
美夏は目を見開く。目の前の男は、回帰前に見た映像と同じ顔だ。間違えるはずがない。しかし彼は、No.404は別人だと言っている。ならば目の前の暁文蓮は、いったい何者なのか。
(作者なのに……作者じゃない……?)
そんな矛盾したことが、本当にあり得るのだろうか。疑問に思ってから不意に、月城智明(つきしろともあき)の遺稿の内容を思い出す。いや、あり得るはずだ。Studio Asterなら。寿志清純(ずしきよすみ)という虚像を作り上げた、あの企業なら。No.404という虚像を生み出すことも出来るのだろう。
美夏は背筋に冷たいものを感じた。
「それでは、まず作品について──」
美夏の戸惑いをよそに、制作スタッフが資料を配り始める。
美夏は資料に目を落とした。
作品タイトル。キャスト案。撮影スケジュール。
そこに記された主演の名前を見た瞬間、美夏の呼吸が止まった。
主演──月城律(つきしろりつ)。
どうして彼の名前がここにあるのだろう。
回帰前には、この映画そのものが存在しなかった。少なくとも、美夏が知る限りではそうだった。しかし回帰した世界にはこの映画が存在し、自分が出演することになった。回帰前の世界に存在したはずの作者は、別人だということになっている。そして目の前の資料には、月城律の名前。
美夏の胸が、大きく鳴った。
これはただの偶然なのか。それとも、自分の存在によって変わり始めた未来が、また一つ新しい形を見せ始めているのか。そこに記された名前から、目を離すことができない。これから、この映画で律と共演する。そう思った瞬間、美夏の胸の奥に、嬉しさとは違う感情が込み上げてきた。
それは恐怖だった。せっかく距離を置いたのに、また律に近づくことになる。しかし同時に、彼を守る機会を得たと言えるのかも知れない。
美夏はゆっくりと息を吐き、資料に意識を戻す。
彼を守りたいのなら、内心のこの動揺を誰かに知られるわけにはいかない。
「──では、今回のキャスティングについて説明します」
制作スタッフの声がした。美夏はそちらに集中する。
「ヒロインについては、原作者のNo.404さんから具体的な希望がありまして。星凪美夏さんにお願いしたい、と」
「どうして……私なんですか?」
美夏は思わず暁文に尋ねていた。暁文が美夏を見る。
「No.404さんが、ライブステージを見たそうです」
「前座で出演した、あのステージですか?」
「はい」
暁文の返答に、美夏の背筋が伸びた。
回帰してすぐの、誰も見ていなかったはずのステージを覚えている人がいた。センターの舞白の陰で、自分は目立とうとせずに歌と踊りに集中していたのに。
暁文は穏やかに微笑んだ。
「あなたは、あまり笑っていなかったそうですね」
「……」
「でも、手を抜いていたわけじゃない。むしろ……何かを見据えているようで、その姿がこの作品の主人公に似ていたそうです」
暁文はしばらく黙って美夏の顔を眺めていたが、やがて再び口を開いた。
「僕は、笑顔だけが人を魅了するものだとは思っていません。笑えないときに笑わないことも、その人の表現だと思っています」
その言葉を聞いて、美夏は奇妙な気分になった。
自分のことを、そんなふうに見ていた人がいたなんて。昨日まで、母から「全然目立っていない」と責められていたのに。
「……ありがとうございます」
美夏は小さく頭を下げた。暁文も頷いた。
◇
打ち合わせが進む。美夏は資料に目を落としながら、暁文の話を聞いていた。彼は脚本について話すときだけ、明らかに雰囲気が変わった。普段はどこか気弱そうなのに、作品の話になると迷いがなかった。
やはり、彼が真の原作者なのだろう。
確信する美夏に、暁文が視線を向ける。
「……そういえば、星凪さんは演技の経験がありますよね?」
「え……?」
「子役をやっていたと聞きました」
美夏はふと、子供の頃のことを思い出した。
小学生の頃から、母に連れられてタレント養成所に通っていた。
アイドルになるために。母の夢を叶えるために。歌やダンスだけではなく、演技のレッスンも受けた。子役としてテレビに出たこともある。再現VTR。ドラマの端役。通行人。主人公の同級生の、さらに後ろにいる子供──
美夏に割り当てられたのは、華やかな役柄ではなかった。名前のない役。台詞が一言しかない役。画面の端を通り過ぎるだけの役。名前がテロップに出ないことも珍しくない。それでも、演技そのものは嫌いではなかった。
美夏は少し考えてから、暁文に頷いた。
「はい。テレビには何度か出ました。再現VTRとか、ドラマのちょっとした役とかです」
「そういえば、美夏さんには業界でも評判になった仕事があったよね」
横から天導が口を挟んだ。
美夏が振り向くと、天導は懐かしそうに笑った。
「連続殺人鬼になった看護師の子供時代を演じた、再現VTRだよ」
「……あれ?」
「覚えているだろう?」
「はい。でも……」
美夏は首を傾げた。嫌な記憶のつきまとう案件でしかなかったからた。
「あの仕事が、何か?」
「何かって……かなり評価されていたんだよ。現場のスタッフからは、子役とは思えない迫真の演技だってね。特に目の演技が凄い、と」
「……そう、なんですか?」
美夏は目を瞬いた。
知らなかった。撮影のあとで、母から散々叱られた記憶しか残っていない。
帰り道、母はずっと不機嫌だった。なぜ、あんな役を引き受けたのか。どうしてあんな暗い顔をしたのか。もっと可愛い役をやらせてほしい。そんな言葉ばかりだった。だからずっと思っていた。自分は演技が下手なのだ。母が怒るくらいなのだから。自分の演技が評価されていたなど、美夏は一度も考えたことがなかった。
「……なるほど」
暁文が静かに呟いた。その目が、少しだけ変わった。
「それなら、なおさら今回の役に向いていると思います」
「……私が?」
「はい」
暁文は穏やかに頷いた。
「演技というのは、笑顔を作ることだけじゃありませんから」
その言葉が美夏の胸にゆっくりと染み込んでいく。
美夏は思う。もしかすると、ずっと昔から、自分は誰かの心を演じることができていたのかもしれない。そして今、そのことを真正面から評価してくれる人が目の前にいる。
母がなぜ、あの役を嫌がったのか、今なら分かるような気がした。殺人鬼となった看護師は、幼少期に母親から虐待を受けていた。母の叶えられなかった夢や理想を押しつけられ、マウントを取るための道具にされて。そんな人物を娘が演じた。しかも迫真の演技で。母にとっては自身に対する批判のように感じられたのだろう。
小さい。あまりにも滑稽で、笑いたくなるほどに。
母はとうの昔に報いを受けていた。母の不機嫌を真に受ける必要などなかったのだ。
「星凪さん?」
「あ……」
暁文に名を呼ばれ、美夏は我に返った。
「大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です」
美夏は微笑んだ。
それは誰かに見せるための作り笑いではなかった。
コメント
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あおいです🌷第8話、とても心に残りました。特に暁文さんが「笑顔だけが人を魅了するものじゃない」と伝えたシーン、じんわり温かかったです。美夏が子役時代に母から否定された演技を、初めて「評価されていた」と知る場面も、胸が締め付けられました。No.404の正体や律との共演…これからどう転ぶのか、続きが気になって仕方ないです。しらなみさんの描く静かな緊張感が素敵でした。
専業プウタ
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