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「……ふん。この内壁、反響を抑えるための吸音パネルの配置が甘いわね。これじゃあ、密室殺人(ミステリー)の際、隣室に悲鳴が筒抜けだわ」
宮奈は168cmの長身に、フランス仕込みの洗練された黒のセットアップを纏い、取材用のタブレットを片手に、関係者以外立ち入り禁止のエリアを淡々と歩いていました。 彼女にとって、このスタジアムは「弟が輝く舞台」ではなく、**「自分の物語を収容するための器(ハコ)」**に過ぎません。
試合終了後の静まり返ったピッチ。 宮奈は、芝の感触とベンチからの死角を確認するため、フィールドの端へと足を踏み入れました。
「……あ。黒髪。……凛?」
視界の端に、自分と同じ漆黒の髪を揺らす背中が見えました。 しかし、その男が振り返った瞬間、宮奈は思わず眉を寄せ、手に持っていたタッチペンを止めました。
「……なんだ。冴じゃない」
「……あ?」
そこにいたのは、試合後のクールダウンを終えたばかりの糸師冴でした。 汗に濡れた前髪をかき上げ、自分を「なんだ」呼ばわりした不届き者を睨みつけた冴でしたが、その顔を見た瞬間、彼の時間が止まりました。
自分と瓜二つの、冷たく、知的な翡翠の瞳。
「……宮奈。……なんでここにいる。フランスで死んだんじゃなかったのか」
「相変わらず口が悪いのね、冴。お見舞いの電話一本よこさなかった薄情な弟に言われたくないわ。私はこの建物の構造を調べに来ただけ。……ついでに、アンタのプレーも少し見たわよ」
宮奈は、数年ぶりに会う実の弟を前にしても、親愛の情を見せるどころか、値踏みするように鼻で笑いました。
「相変わらず、合理性の塊みたいな動きね。……でも、少しはマシになったかしら。昔みたいに玄関でベタベタ甘えてた頃の面影は、微塵もないわ」
「……その話を蒸し返すな。ぶち殺すぞ」
冴の額に青筋が浮かびます。 スペインで「世界」を突きつけられ、冷徹なリアリストへと変貌したはずの冴が、この姉の前でだけは「年相応の弟」の苛立ちを見せていました。
宮奈は一歩、冴に近づきました。 168cmの彼女と、179cmの冴。視線が、火花を散らすように交差します。
「……顔が似過ぎじゃない? 鏡を見てるみたいで、おかしいと思うのよ。……アンタがその顔でサッカーをして、私がこの顔で地獄(小説)を書く。神様って、案外、構成力が欠けてるわね」
宮奈は、冴の頬を指先で軽く弾きました。
「ロキがよろしく言ってたわよ。……『君の姉さんの新作、最高だった』って。……アンタも読みなさいよ、私の本。少しは人間のドロドロした感情の機微(ロジック)を学べるわよ」
「……あのスピード馬鹿、何に感化されてんだ……」
冴は心底嫌そうな顔をしましたが、宮奈の翡翠の瞳に宿る圧倒的な「個」の力に、どこか満足げな笑みを零しました。
「……勝手にしろ。買い物くらいは付き合ってやる。……日本で、俺と並んで歩けるのは、お前くらいなもんだ」
「ふふ、エスコートの偏差値は上がったようね。……いいわ。荷物持ちくらいはやらせてあげる。行きましょう、ブラコン気味だった元・神童くん」