テラーノベル
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ライブの余韻がまだ残る控室。機材も片付いて、ふたりきりになったその空間で、初兎は無言のままいふのそばに立っていた。
「……初兎?」
いつもとどこか違う空気を感じ取ったいふが、不思議そうに顔を上げる。
「ちょっと……しゃがんで?」
「え?」
「いいから」
その言い方があまりにも真剣で、いふは静かにしゃがみ込む。
目線がぐっと近づき、初兎の表情がよく見える高さ。
「……なあ、本当にどうした?」
「……別に、大したことじゃないけど」
初兎はそっと、自分の指でいふの前髪を払うように持ち上げて、額に触れる。
そして――
やさしく、おでこにキスを落とした。
「……えっ……」
思わず硬直するいふ。
けど、初兎は何も言わず、そのまま手を離して、ほんの少し照れくさそうに目を伏せた。
「……ありがとうって。今日も、ちゃんと隣にいてくれて」
「初兎……」
「言葉にすると、なんか恥ずかしいから。……代わりに」
しゃがんでいるいふの目線から見上げると、
初兎の表情はいつもよりずっとやさしくて、少しだけ震えていた。
「おでこって、なんか落ち着くじゃん。……俺もされると安心するし」
その小さな手が、そっといふの頬に触れる。
「だから俺も、してみたかった」
いふは一瞬、言葉を失ってから――ふっと笑って、初兎の手を取った。
「……まいったな。こんなんされたら、今すぐ抱きしめたくなる」
「……いいよ?」
「……今だけ、僕からぎゅってしたいから」
そう言って、初兎はしゃがんだいふをそっと自分の胸に引き寄せる。
小さな体が、大きな背にそっと触れる。
「……あったかいな、お前」
「僕だって、あったかいよ。……まろちゃんがそばにいてくれるから」
初兎の腕の中で、しゃがんだいふはしばらくじっとしていた。
まるで、そこが世界の中心のように――何も喋らず、何も考えず、ただ彼の体温に溶けていた。
「……初兎」
「ん?」
ゆっくりと、いふが顔を上げる。
瞳の奥にあるのは、少しだけ潤んだような優しさと、静かな熱。
「……お返し、していい?」
「……お返し?」
いふは微笑んで、今度は自分がそっと初兎の前髪をかきあげた。
「俺も、したい。……同じ場所に」
そして――
額に、そっと口づけを落とす。
その唇はやわらかくて、あたたかくて、
なによりも優しさと、愛しさと、独占欲が混ざっていた。
「……お前がくれたもの、ちゃんと大事に返したかった」
「……まろちゃん」
「俺に、甘えてくれるのが嬉しいんだ。だけどな――
その分、俺も初兎に甘えたい。触れてたい。離したくない」
いふはそのまま、立ち上がって――
初兎の体を、強く抱きしめた。
さっきよりも、もっと深く。もっと強く。
身長差のあるふたりが、ぴたりと重なる。
「……いつも俺ばっか守ってる気がしてたけどさ。
今みたいに、たまにお前から来てくれると、ほんと……俺、やばい」
「……やばいって何」
「好きすぎて、冷静でいられない」
初兎は少し黙ってから、小さく笑った。
「……じゃあ、今日は冷静じゃなくていいよ。
僕も、まろちゃんのこと――それくらい好きだから」
いふの肩に顔を埋めながら、初兎は小さく、息を吐いた。
「……今だけは、もっと近くにいて」
「……ずっと、そばにいるよ」
耳元でそう囁いて、いふはもう一度、今度は髪の間から、優しく額にキスを落とした。
世界で一番、心地いい時間だった。
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