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全身に衝撃が走る。エールが放つ魔力の一撃を受けることで、すべてはヒルデガルドの中に溶けていく。まっさらになった視界と肉体の感覚は、いつの間にか見慣れた部屋の中に取り戻されていた。
手に触れていた宝玉はばらばらに砕け、いくつかの破片になり、魔力さえ感じない、輝きも失った、ただの石ころに変わってしまった。
「……なんじゃ、急に割れおったぞ? 儂の魔力は?」
「まあ、なくなったんだろうな」
自分の体験したものがなんだったのか。深層心理の世界とは、時間の流れ自体が違うのか、あるいは宝玉から放たれた不思議な能力が働いて時間を止めていたのか。ヒルデガルドにもどちらかはハッキリしない。だが偽りではなかった。彼女は自身の肉体に、かつての魔力の三分の二ほどを取り戻していた。
「ハッ、面白れぇ現象だなあ」
ヤマヒメは、何が起きたのか気付いていて、ニヤッとする。ヒルデガルドの元の魔力が膨大で、やはりとても人間と呼んでいい水準ではない、と嬉しそうな顔をした。自分に並ぶような人間がいるほど世界は広いのだ、と。
「おい、イルネス。てめえの魔力は、どうやらヒルデガルドが全部持っていっちまったみてえだぞ。意識を集中して、感じ取ってみな」
言われた通りにしてみると、確かに自分の魔力の気配が彼女の周辺にうっすら漂っていて、それがふわっと消えたと分かると、ギリッと歯を鳴らした。
「なーんで儂の魔力をぬしが持ってっとるんじゃ!!」
「ああ、えーと……全部話すから落ち着いて聞いてくれ」
神の涙と呼ばれる宝玉が、魔物の魔力を吸収し、人間が触れることで起動する特別なものであったこと。その中でヒルデガルドは、自分が出会った〝エール〟と名乗る者と戦い、彼女の力を受け入れることで魔力を取り戻したのを伝える。未だに夢でも見ているような、頭のおかしい話と思われるかもしれないとさえ思った話に食いついたのは、ヤマヒメだった。
「現人神の遺物とやらが、てめえの深層心理の世界にでてきやがったって?」
「私もよく分からなかったが、そうなんだろう。エールは、私とそっくりな姿をしていた。今のではなく、本来の大賢者としての私の姿に」
ヒルデガルドもイルネスもぴんとは来なかったが、ヤマヒメには心当たりがあるのか、うーんと腕を組んで。
「エール……。そりゃあ、てめえらの土地の神様じゃねえのか?」
「私たちの? いや、だが聞いたこともないが……」
「わちきは覚えがある。この島に外から来た、最初の人間」
テーブルに置いてあった漬物をひとつ齧って、彼女は言った。
「──クロウゼン・イェンネマン。この島国に現れた、わちきに並ぶ強さを持った魔導師が、そのエールって名前を口にしていた覚えがある」
ヒルデガルドがぴくっと反応する。
「そのクロウゼンは、君に匹敵する強さを?」
彼女はこくんと頷き、都の景色を眺めて思いを馳せた。
「良い男だったさ。アイツが不老不死だったなら、わちきはきっと、あいつを伴侶に選んだことだろう。それくらい種の垣根を超えて、わちきは奴を尊敬し、愛していた。晩年は床に伏してばかりでな。飯も酒の趣味も合った。全部が全部気に入るわけじゃなかったけどもよ。でも、わちきは、居心地が良かった。……今でも忘れらんねえよ」
クロウゼンについて語るヤマヒメの表情は明るく、いつまでも話していられるのではないかと思うほど饒舌だった。ヒルデガルドも、自身の祖先の話を聞くのは嫌じゃなかった。魔力を取り戻したことはあとにして、穏やかな時間に、飽きたイルネスはぐうぐうと眠ったり、ときどき起きては散歩に出たが、その間も話は途切れなかった。
「──でなあ、クロウゼンは、最後には山奥を切り開いて、そこで葬儀を行ったんだ。どこまでも煙がのぼってよ。わちきも、いっしょになって消えたいと思った。でも同胞共を放ってはおけず、主君としては堪え時だと涙のひとつ零すのも耐えたよ。ああ、また会いたくなってきちまう。夢にすら見なくなっちまったからよ」
うっすら頬を紅く染め、いつもなら酒などに酔わないはずのヤマヒメも、部屋中に酒の空き瓶を山ほど転がして、ほろ酔い気分になっていたらしい。「つまらねえ話を長々としすぎちまったか」とヒルデガルドをじっと見て、フッと笑う。
「わりぃなあ。なんだか、てめえを見てるとクロウゼンの奴を思い出しちまってよ。情けねえなあ、死んだ男の姿を重ねちまうなんて」
珍しく弱気な彼女に、ヒルデガルドは真剣な目つきを向けた。
「そんなことはないさ、とても有意義だったよ。ヤマヒメ、君にはきちんと名乗ったことがなかったから、今一度改めて伝えておきたい。私の名はヒルデガルド・イェンネマン。──君の言うクロウゼン・イェンネマンの血を継ぐ者だ」
酔いも醒める勢いで、ヤマヒメは言葉が喉に詰まって声すら出ない。感じた面影が偽りではなかったと同時に、改めて彼女の姿が、当時のクロウゼンに重なって見えたのだ。ぼんやりとしていた思い出が、はっきりとした形になった。
『そんなことはないさ、ヤマヒメ。君の話はいつだって面白いよ』
ああ、と彼女は手で顔を覆って、くっくっと笑いながら涙をこぼす。
「こんな形でまた会えるとはねえ。長生きはしてみるもんだ……」