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古い、とても古い時代だ。もう次第に声さえ忘れて、二度とあんな奴には会えまいと思っていた。だが、その血は既に大陸で脈々と受け継がれていて、その子孫が小さな島国へやってきたのは、もはや運命だとしか考えられなかった。
涙を拭い、笑顔を見せたヤマヒメは、自分の全てを賭けてでも彼女の手助けをしてやることが、クロウゼンへの義理だと心に誓って。
「話を戻すとしようか、ヒルデガルド。クロウゼンの子孫って分かった以上、いちいち勿体ぶるつもりはねえ。エールって神様について教えてやる」
立ち上がって、イルネスが持って帰って来た人形の飾ってある棚の前に立ち、一冊の本を手に取った。あまりにぼろぼろだったのでヒルデガルドも触ろうとしなかったものだが、彼女は遠慮なく持ってきて、ページが取れるのも気にせずテーブルに次々と広げた。そのうち、一枚を指差して──。
「エールっつうのは、てめえらの大陸における最高神。創造神とも呼ばれている奴だ。なんで、そんな奴がてめえの前に現れたかまでは知らねえが、クロウゼンはそいつに会ったらしい。ほれ、ここを見てみな。奴が会ったときの特徴が……」
ヒルデガルドは、指を差された資料に目を滑らせる。
『エールと名乗った神の姿は、意外にも私とそっくりであった。おそらく彼は定まった外見を持たないのかもしれない。その強さは計り知れず、あくまでこちら側に合わせたような雰囲気がある。彼は自身を神の遺した希望、あるいは預言者であることを告げた。そして槐山姫《エンジュノヤマヒメ》を探せ、と。きっと、このホウジョウにいるヤマヒメのことだろうが、理由は分からない。しかし、鬼人で神の領域に至った者がいるとは、なんと面白きことだろう。カースミュールが知ったら、さぞ悔しがるに違いない』
ああ、とヒルデガルドは自身のルーツを知ると同時に、嫌な気配を感じ取った。カースミュールの目的の一端が垣間見えた気がしたのだ。
「……君は槐山姫《エンジュノヤマヒメ》と言うんだな」
「おう。名付けた連中はとっくに逝っちまったが」
もし、エールが預言者であり、全てを知っているのなら。今、この状況になる未来をはるか昔から繋げてきたのだろうか。だとしたら、その理由はなんなのだろう? なんにしても力を貸してくれる人類の味方であるのは紛れもない事実だ。イェンネマンの血に導かれて、ヒルデガルドは何かを託されて辿り着いたのだと結論付けた。
たとえそれが、アバドンの思惑の中にあるとしても。
「私も確かに予言を受けたな。エールは思念のようなものなのか?」
「おそらく本体とは別の、埋め込まれた意思みてえなもんだろう」
ヤマヒメは次の資料を一枚、指差す。
「どうも、クロウゼンは奴にもう一度会って、お告げを聞きたがったみてえだが……当人は、最初にどうやって出会ったのかも曖昧らしい。それで、ホウジョウに来たら会えるんじゃないかと、あちこちを調べて回ってた」
記されているのは、悔しさの滲む言葉たちだった。
『ホウジョウへ来てからどれほど経っただろう。研究は進まず、残してきた仲間たちは元気にしているだろうか。カースミュール、君の言う通り、共に魔塔で研究を続けておくべきだったのか? もはやここまで来て後戻りはできない。多くの魔法を極めてきて、今日ほど辛いと思ったことはない。私ですら届かない何かが、ここにはあると分かっているのに。エール、君にもう一度会って聞いてみたい。なぜ、私がホウジョウに来なければならなかったのか。彼女に会って、私は何をすれば──』
結局、年老いてしまったクロウゼンには、何かを成すだけの余力がなかった。そのうちヤマヒメと過ごす時間を大切にするようになり、晩年には彼女に面倒を見てもらうことに申し訳なさと、幸福と、後悔を感じて、彼は逝った。
無力さが伝わってくる文面に、ヒルデガルドは自分が受け継ぐべきものがここにある気がした。不老不死となったからこそ、受け継ぐことが出来る、と。
「彼は当時、神の涙については知っていたのか?」
「いや。わちきも、それがまさか本当に神の遺物とは……」
「そうか。それならちょうどいい」
資料を束ねて、とんとん、と机で叩いて揃えながら。
「では、残りの神の涙も回収したい。それを大陸に持ち帰れば、起動するのに都合がいい数の魔物があちこちに十分なほど存在している。……私の目的は、エールに再び会うこと。そのために、まずは君の頼みを済ませよう」
力の多くを取り戻し始めたヒルデガルドは、もう頼ってばかりでいる必要もないと探索に出るつもりでいた。クロウゼンの意志を継ぐ意味でも、リュウシンの捜索のついでに神の涙を集めるのは都合がいいと考える。
「なら、わちきも付き合おう。だけども、先に残った魔物を──」
「主君様、会話を遮って申し訳ありません、取り急ぎ報告が」
急に、ノキマルが慌てた様子でやってくる。額には汗をたっぷり流し、緊急を要するのがよく分かる。
「どうした? 都で誰か喧嘩でもおっ始めたってのか?」
彼は汗を拭い、深呼吸をして落ち着き、ゆっくりと言った。
「いえ、それが。フヅキが護衛を連れて都を出て山菜を取りに出かけたそうなのですが、いつまで経っても帰ってこず……。調査に向かったところ、彼女がいたと思われる周辺に──リュウシンの妖力を感じ取りました」
ヒルデガルドとヤマヒメは顔を見合わせる。
「……わかった、わちきも捜索に加わろう。ヒルデガルド、頼めるか」
「任せてくれ。確実に見つけ出してやるとも」