「つまり。
きみに敵意を抱いている人間は一人ではない。
きみはそう、確信しているんだね」
早速週明けの会議室に呼び出されてランチなう。ランチミーティングと称して才我さんは会議室を予約してくれたらしいが、はてさて。会社で二人きりで会うのが吉と出るか凶と出るか。犯人につけいる隙を見せるのか、或いは、こちらの不倫の材料となりうる、つまり弱みになるのか、不安要素は残る。
勿論、簡単にえっちなんてしないけど。場所が会社じゃなくってもネ☆
◯◯さんのことは言っていない。本題と無関係の可能性もゼロではないし、不必要に、才我さんのなかに疑念を植え付けたくはない。別に、◯◯さんが勘違いやちょっとしたいたずらごころでキャンプのときにああ言った可能性だってあるし、才我さんはみなの上司で等しくみなを評価すべきだ。ならば、わたしの主観は邪魔となりうる。
「夫は、わたしの留守に女を何回か連れ込んでいるの」さらりとわたしは認めた。「ただ。相手も周到で。金髪のウィッグを被ったりして、変装してくるの。背格好も、よくいる、わたしくらいの身長の女で、判別がつかない」
裏を返せばそれはつまり。わたしの顔見知りという可能性を孕んでいるということだ。わたしにバレずにわたしの夫と浮気したい人間が候補となる。
「鷹取の面子はシロね」と確信している事実を打ち明けた。「プールに行った日、義母には、スマホで詠史の写真を送ったの。すぐに返信が来たわ。
義理の妹一家はその日、別のプールに行っているし、鷹取の両親にあんな体力があるとは思えないわ」
あの、強引に引っ張った力を思い返しわたしは断言する。鷹取の親族が集まるときに、台所に立つのはわたしばかりで、特に義理両親は呑気に酒を飲んでいる。……それに、義理両親は、嫁のわたしのことを疎ましくは思えど、そこまでの労苦を背負うかといえば甚だ疑問だ。還暦を過ぎた義理両親にプールは辛いはず。
料理を台所からリビングに運ぶのさえ億劫がる、あの老いた義理両親が、息子のためにそこまで手を汚すとは考えにくい。そんな暇があるのなら、リビングでビールでも飲んでぐだぐだご近所さんの悪口や噂話に花を咲かせる。そんな連中だ。
だいたいこういうときに、憎んでくるのは同世代の人間だ。テレビのワイドショーばかり見て過ごす義理両親と、犯人像は重ならない。
「以外の親族は、お兄ちゃんが中学生とか部活動をしているから、今更プールに行くなんて思えないし。もし、ミステリー小説なら、詠史と年の近い、明日奈ちゃんの母親である、汐音《しおね》さんが夫の浮気相手でもアリだとは思ったんだけど。小説のネタとして近親相姦は珍しくはないし。
でも、汐音さんは、兄貴であるうちの夫を、ちょっと、疎ましがっている節はあるわね」
なにをするでもなく。単にスマホでゲームをするがために、鷹取のリビングでソファーでだらだらスマホをいじる夫に向けた汐音さんの眼差し。あれは、恋をしているとは到底思えない。ゴミを見るような目つきだった。
「A.きみを困らせることを楽しむ人間と。
B.……きみに怪我をさせることに喜びを感じる人間。
更にはC.きみの旦那さんの浮気相手。
最低でもこのふたりが必要となる」
才我さんはこのようにまとめる。「AとBが同一犯の可能性もある」と解説する。
「さて。鷹取有香子は、誰が怪しいと思っている?」
「さぁ」本当に分からなかったので濁した。「わたしは転職もしているし、過去に関わった人間は少なくはないけれど。といっても、憎まれるほどに関わったひとはいないわ。退職しても誰とも連絡は取っていないし……」
話しながら自分の思考を整理している。こういうとき、人間は宙を見据えがちだ。
「大学の頃の友人と、地元の友達。
……あとは、いまの職場の同僚。
現在鷹取有香子と繫がりがある人間といえばこのくらいね。
地元は遠いし、田舎というコミュニティの世界観に染まった友達がわざわざそんな遠方の、犯罪じみた行為に加担するとは思えないし、……となると、大学絡みの友達。職場の同僚。この二択となるわ」
「なるほど」と顎を摘まむ才我さんは、「イヴが決戦。……てのはずらせないの?」
分かっていながらも問う、才我さんの気持ちは痛いほどに分かる。
「きみは、ちゃんと、物事を整理したいと思っている。そのためならば」
やや暗い目をした才我さんは、
「犯人と差し違えてもいいとさえ思っている。……違うかい?」
答えられなかった。わたし自身、どこまでの復讐を求めているのか。掴みきれないでいるのだ。
そもそも犯人と、彼らの目論見のすべてが判明していない。単純に、夫とわたしを引き離したいのか? 広岡課長とわたしが接近しているのを分かっていて、くっつけたがっている? その人物は夫の浮気相手と同一? ふたりはグル?
……というところまで暴いて確固たる証拠を掴んでからにしたい。犯人のお披露目パーティーをするのは。
半端な証拠では、鷹取一族を追い詰められない。あの中ではわたしの立場はどこまでも弱い。
もし、鷹取の一族が関わっているのなら、尻尾も掴んでやりたいところではある。長年、召使のようにこき使われたのよ。メッ。
「鷹取の親族をうちに招待するのは、十月に入ったらアナウンスしようと思っているわ。……正直。
義理両親と、汐音さん一家が来てくれればこと足りるけれど」
「きみがホームズでぼくがワトソンだ」と言い切る才我さん。「きみは子育てもしている関係上、自由に動けない部分もあるだろうから。足が必要ならぼくを使って。それに、車も持っているし」
「そう……ね」遠い目をしてわたしは、「すべてが落ち着いたらドライブに行きたいな……どこかふらっと……真夜中のドライブに憧れてるの」
「えっ」驚いた顔を見せた才我さんは、「むしろそれ、ぼくの趣味だよ。……よぅし。それを楽しみにこれからも頑張る。
きみとのドライブデート。真夜中のバカンス。うぅーん。楽しみだ」
そしてその念願のドライブデートは、予想外に早く実現することになる。ある一件によって。
* * *
毎年苦手な時期がやってきた。
お盆だ。
お盆……。考えるだけで憂鬱。鷹取の実家に行き、朝から晩まで台所に立つ。まだ、汐音さん一家が義母と車で買い出しに行って材料を用意してくれるだけマシなのかもしれないけれど。盆くらい、ゆっくり……したいよ。
断る口実を作るとか、詠史をプールに連れていくとかしようとしても無駄だった。夫と義母が連絡を取り合い、勝手に決められる。義母は、わたしからのラインも無視さえする。
挙げ句、今回は、祝日も挟むこともあり、二泊三日……。なんという地獄。洗濯物は溜まるしまったく、行ってもなにひとついいことがない。普段はほぼフルタイムで働いて、ワンオペ育児をしているんだから。休みの日くらいだらだらしたいよぅ。
あーやだやだ鷹取の興味のない噂話とか悪口とかどうでもいいっつうの。あれにつきあわされると思うだけでうんざり。鷹取の面子は、視野が狭いし、義理両親はワイドショーの情報とご近所さんがすべてで、毎回興味のない話を聞かされる。別の部屋に行ってだらだらユーチューブを流しながらインスタ見たいと何度思ったことか。
行ってもあのひとたち、宇宙人だから。まったく話が合わないのよね。汐音さんは何故か、スキンケアがどうでもよくなった、手入れをしなくなったという話を延々とするし、汐音さんの旦那さんは仕事の話かFFの話か、うちの夫と同じでスマホばっか。リビングでみんなが喋ってる中堂々とスマホをいじりたおすさまはいっそ気持ちがいい。
義母の妹や彼女の息子夫婦も来るけど、なんかもう、カオスだし。しかも、やっぱり、食事の支度も後片付けも全然やらない。義理の祖父は酒を勧めるし、料理が足りなくなれば即座にみんなが文句を言うし。ああ……。
いやだぁ。
お陰で荷物作りが進まない。化粧もせず、うだうだとインスタを見ながらユーチューブで音楽を聴く。……逃げたい。
誰か、わたしを、助けて。
と思って虚構のインスタの世界に酔いしれていると電話だ。才我さんだ。
「おはよう有香子」課長の声を聞くと胸がじん、とする。癒やされる……。「お盆は親族で集まるんでしょう? 夜も飲み会?」
「まあねー。十一時くらいまでかなぁ」
「……有香子。抜け出してぼくとドライブに行こうか。ふたりきりで」
えっ。そんな……。
「勿論目的は他にもあって」と才我さんは、「鷹取の一族に仲間がいるのなら、きみがドライブデートをするのを見逃すはずがないと思うけれど?」
「でも。……危険よ」
「安全運転で行くよ。免許はゴールドだ」
「そういう意味じゃなくって」とちょっと笑った。才我さんのジョークでこころがほぐれる。「ふたりで逢い引きする証拠を作るのは、いまの時点では、得策ではないわ」
「じゃあ。……詠史くんも連れてくるといい」
驚くようなことを、このひとは、言ってのけるのだ。
「時間をすこし早めて。……例えば、八時くらいにして。詠史くんと一緒にドライブしよう。
ぼくはね。我慢がならないんだ。
……きみをあんな地獄に送ることに対してなにも出来ない自分が、歯がゆい。詠史くんだって辛い思いをしているはずだ。
酒が入った連中は勝手に騒がせておけばいい。最低限のことだけやって、あとは知らん顔でエスケープするといいよ。料理なんて、作るか買うかして後はほっとけ。ほっとけほっとけホットケーキ」
最後のジョークにくすりと笑った。同時に、……胸が熱くなる。
わたしはひとりではない。詠史もいるし、こんな素敵な味方がいる。
「魅力的な提案ね。……じゃ、逃げちゃおっかな……」
「うんうん。後で住所は送って。今夜八時に迎えに行くよ。ぼくのシンデレラ」
王子様のように言う才我さんに、こころを揺さぶられていた。電話を終えたらさぁ、パッキングだ。逃避行。真夏のアヴァンチュールを楽しみに出かけよう。
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