マフィア組織内での生活は過酷だった。
いきなり、いつ死ぬかわからない環境に放り出され、厳しさ極まりない特訓を受けた。
私は外交部門に配属され、外国語、交渉術、そして武器の使い方を学んだ。
銃の扱いを極めるのはもちろんだが、私はもう一つ、独自の武器として中世の騎士が使うようなサーベルを好んだ。
私は幹部の手先として、ただひたすら働き、組織内での地位を固めていった。
思うに、大半の人間は、実力以前に、忍耐力が足りない。
日本人は真面目すぎる、我慢をしすぎる、と良く言われているが、私に言わせてみれば、こちらの人間は最低限の忍耐に欠けていた。
もちろん、生まれや家柄、年齢など、どうにも逆らえない要因で、早い出世が困難なときもある。しかし、どのような組織においても、本人のそもそもの実力がなければ、どんな人間にしろ、いずれは必ず潰れる。そしてその実力をつけるにあたって最も重要なもの、それは忍耐なのだ。
世の中は怒ったもん負けだとよく言われる。
理不尽で不平等な世の中だからこそ、私はまさしくそのとおりだと思った。
私はボスよりも頭がいいことに、とうの昔から気づいていた。しかし何年もの間口をつぐみ、ただただ「優秀な部下」として働いていた。
その地位に満足していたから?
もちろん違う。
私が目指したのは、目の前のボスに刃向かうことではなく、
La conquista del mondo (ラ・コンクィスタ・デル・モンド/ 世界征服)
だったからだ。
当時ライバル組織であった別マフィアとの交渉中、ボスは襲撃された。もちろん私は応戦する。
ただ、ボスを守れなかったのは私の失敗ではない。
私は敢えて応戦するふりをしながらも、ボスを守らなかったのだ。
幹部の大半を失った私の組織はほぼ壊滅状態。ライバル組織は意気揚々と引き揚げていった。
だが抗争に勝利し、事業を拡大しようとする奴らは、大きな過ちを犯していた。
それは私を捕り逃したこと。
天災は忘れた頃にやってくるとはよく言ったものだ。
その四年後、ライバル組織のボスは他の幹部共々、腹をサーベルで裂かれて死んだ。
奴らの死は、イタリアの裏社会全体を震撼させた。
成人後も法の目をかいくぐり、日本とイタリアの二重国籍を所持していた私は、これを期に日本へ拠点を移すことにした。
私は極秘裏に母親の戸籍を調べ上げ、遠い親戚に当たるという、一人の男にたどり着いた。
その男は今、京極組という組織にいるというのだ。
私はその男にかけあって、組長の日下、そして若頭五十嵐との面会を試みた。