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唯由の心配は杞憂に終わりそうだった。
人数が多かったせいもあり、蓮太郎も唯由も王様も下僕(?)も当たらず、黙々と食べたり呑んだりしていた。
最初は盛り上がっていた王様ゲームだったが。
みんなそのうち、また話出し、クジは引くものの、話の合間にやる感じで適当になっていった。
最後の最後で、蓮太郎が王様を引き、唯由が下僕になったが、ちょうどそこで閉店になってしまった。
何人かは連絡先を交わし合い、解散になる。
「唯由ー、お疲れっ。
帰れる?」
「大丈夫~。
秋海、帰れる?」
「楽勝~」
と秋海は駅に向かい歩いていく。
楽勝、どういう意味で楽勝なんだろうな。
酔ってないから楽勝?
まだ電車かバスがあるから楽勝?
と考えながら、他の友人やコンパの人にも挨拶し、唯由は歩き出した。
家が近かったからだ。
人気のないシャッター街を通り抜けようとしたとき、背後から人の気配を感じた。
ここを通り抜ける人だろうと思いながらも、真後ろに近づく気配に、なんとなく足を速めてしまう。
すると、相手はそれに気づいたように大股で歩き出した。
あっという間に気配がすぐそこまで来て、唯由の肩をがっしりとした手がつかんだ。
ひっ、と唯由が声を上げたとき、その手の主が、
「どうした、大丈夫か?」
と訊いてくる。
雪村蓮太郎だった。
「あ、お、お疲れ様です。
雪村さんもこっちですか?」
「いや」
……いや?
じゃあ、なんで、こっち向いて歩いてるんだ、と思いながら、唯由はまた歩き出した。
離れた道を走る車の音が時折聞こえる以外、アーケードに覆われたシャッター街は静かだった。
なので、靴音がよく響く。
唯由の靴音は忙しげだった。
気づかれないよう小走りになっていたからだ。
蓮太郎の靴音は、長身で脚が長いせいか、そんな小走りな唯由に、余裕の一歩で追いついていた。
まさにネズミと虎だ。
小動物の心臓は速く打ち、大型動物はゆったりと打つというが、二人の靴音はそんな感じだった。
なんだかわからないが、ひねり潰されそうだっ、
と唯由は就職の最終面接でもここまで緊張しなかったというくらい緊張して歩いていた。
「お前の家はこっちか。
送ってやろう」
と後ろから蓮太郎が話しかけてくる。
「いっ、いえいえ、申し訳ないですっ。
すぐですし」
「遠慮するな。
下僕を守るのも王様のつとめだ」
……ん?
今、なんて言いました? と思い、唯由は振り向く。
すると、相変わらず威風堂々とした感じの蓮太郎が唯由を見下ろし、言ってきた。
「お前はまだ俺の下僕だ。
さっきの王様ゲーム、終わってないからな」
お前は、まだ俺の望みを叶えてない、と王様はおっしゃる。
これはまさか……
この人の願いを叶えない限り、私は、一生、この人の下僕!?
いや、そんな莫迦なっ、と唯由は固まる。
「しかし、なんでも願いを叶えてくれるとは、王様と下僕というより、魔法のランプだな」
「いや、なんでもは叶えませんよ……」
でも、魔法のランプとは、意外に可愛いこと言うなと唯由が思ったとき、蓮太郎が呼びかけてきた。
「おい、魔法のランプ」
どっちかと言うと、ランプの精かと思いますね。
「みっつの願いのうちのひとつめだ」
「……何故、増えました」
おそらく、魔法のランプという言葉に引きずられてしまったのだろう。
だが、まあ、所詮は酔っ払いの戯言。
たいしたことは言ってこないだろうと唯由は高をくくっていた。
何故なら、蓮太郎はコンパの最初から最後までハメを外すこともなく、綺麗な食べ方で食事をし。
きちんとしたおうちで育てられたんだろうな、という雰囲気を醸し出していたからだ。
三回まわってワンと言えと言われても、ワンと言おう。
それで済むのなら、と唯由が覚悟を決めたとき、蓮太郎が言った。
「では、ひとつめの願いだ。
お前、俺の愛人になれ」
食べ方もしつけも、なにも性格には関係なかったようだ……。
王様の声が反響する静かなシャッター街で、唯由はぼんやり、そう思っていた。
「あのー、今、愛人になれと聞こえた気がするんですが」
蓮太郎の言葉に耳を疑い、唯由はそう訊き返す。
「ああ、すまない。
言葉足らずだったな」
と蓮太郎は深く頷き、言い直した。
「俺の愛人のフリをしろ」
言いかえたところで、なにも、まともな話ではない。
そして、王様ゲームの王様ごときが頼んでいい願いではない。
というか、そもそもの疑問があったので、訊いてみた。
「あの~、愛人って。
雪村さん、既婚者だったんですか?」
「いや」
「じゃあ、それ、恋人になりませんか?」
「いや、俺はそんなもの欲しくない。
欲しいのは愛人だ。
俺と背徳的な関係を結んでくれる女を俺は欲している」
我欲背徳的関係女。
という古典の教師に背後から蹴り上げられそうな怪しい漢文が頭に浮かんだ。
唯由は混乱している。
シャッター街を歩いていて、突然、モンスターに遭遇したくらい混乱している。
だが、そんな唯由を前に、蓮太郎は淡々と状況を説明してくる。
「俺は不祥事を起こしたいんだ。
俺のひいじいさんは女にだらしない男が大嫌いでな。
うちは親族経営の会社なんだが。
若い身内はどいつもこいつも問題を起こしてて。
ひいじいさんは女性問題のない俺に会社を継がせようとしている。
だが、俺がなりたいのは経営者じゃない。
俺は研究員のままでいたいんだ」
蓮形寺、と蓮太郎は唯由の両手を握ってきた。
「俺にスキャンダルをくれ。
そしたら、俺は自由になれる」
あの鳶色の瞳で見つめられ、思わず後退しながら、唯由は思っていた。
いや、あなたにそんな風にされたら、誰でも、はい、どうぞ、と頷くと思いますよ、と。
……でも、私は勘弁だ。
だが、そんな唯由に蓮太郎は懇願してくる。
「蓮形寺。
俺と付き合い、そして、背徳的な雰囲気を醸し出してくれ」
……それ、完全な人選ミスですよ、と早朝のラジオ体操が似合いそうな唯由は思っていた。
「あの~」
「なんだ」
「そもそも、愛人ってなにするんですかね?」
だが、そこで蓮太郎は首をひねる。
「……なにをするんだろうな?
そうだ。
膝に乗ったりするのが愛人じゃないのか?」
「恋人でも乗るんじゃないですか?」
「乗ったことあるのか」
「ありません。
そもそも、恋人がいたことがありません」
と唯由が言うと、蓮太郎は真顔で、
「そんなに可愛いのに何故だ」
と訊いてくる。
ひっ、と唯由は怯えた。
ものすごいイケメン様に手を握られ、顔を近づけられ、そんなことを言われたからだ。
衝撃が大きすぎるっ。
だが、蓮太郎はただ、見たまま思ったままを言っているだけのようで。
可愛いとか言いながらも、そこには、なんの感慨もないようだった。
おそらく彼にとってのその一言は、
「このテーブルの上、片付いてるな」
というのと変わりない。
まだ手を握ったまま、いろいろと考えていたらしい蓮太郎が重々しく言ってきた。
「キスとかしてみるか」
い、いやいやっ、と唯由は後退して逃げようとする。
「そっ、それは恋人でもすると思いますねっ」
「では、愛人しかしないこととはなんだ?」
「……愛人しかしないことはわかりませんが。
愛人だとしないことはなんとなくわかります。
ずっと一緒にいて、つきあってても、将来、結婚しないとかなんじゃないですかね?」
「それは不誠実だな」
と言う蓮太郎に、
この人、愛人作るのに向いてないな、と唯由は思う。
見た目ワンマンな王様なのに、なにか何処かが誠実そうだ。
「そうだ。
恋人のようなことをして、金を渡すのが愛人なんじゃないか?」
金をやろう、唯由。
幾ら欲しい? と蓮太郎は訊いてくる。
「幾らでも望む金額を言え」
いりませんっ、と思った唯由は慌てて言う。
「あっ、あのっ、お金いりませんっ」
「何故だ、愛人」
「愛人らしいことなにもしてないのにお金をもらうのは、募金してもらってるのと変わりないじゃないですか」
「そうか。
では、愛人らしいことをしよう。
うんうん。
わかってきたぞ」
と蓮太郎は頷く。
「つまり、お前といちゃついて金を渡せばいいんだ。
それはやぶさかではない」
やぶさかではないんだ……。
私は、やぶさかですよ……と意味不明なことを思う唯由の手をつかんだまま、
「よし、お前の家は何処だ」
と蓮太郎は引っ張って行こうとする。
踏ん張りながら唯由は叫んだ。
「違うと思いますっ、違うと思いますっ。
なにかがきっと、違うと思いますっ」
なにが違うかと問われれば、おそらく、そこに愛がないことが違っていたのだが。
愛人どころか恋人もいたことがない二人にはわからないままだった。
「ともかく愛人がいたら、なにかがうまくいくんだ」
だから、なにかってなにがだ……。
蓮太郎の主張にそう思う唯由を蓮太郎はやはり引きずって行こうとする。
「おまわりさんっ。
おまわりさんはいませんか~っ」
「お医者さんはいませんかみたいに叫ぶな。
ドラマじゃないんだ。
そうそうその辺に都合よくおまわりさんはいない。
そして、呼んですぐ来るのなら、この世界に犯罪都市はない」
ここは犯罪都市ではありませんっ。
近くには、ほっこりしそうな田舎もある、そこそこの街ですっ、と思う唯由の手をぐっと引き寄せ、蓮太郎は言った。
「逃げようとしても無駄だ。
お前はもう俺のものだ。
お前が俺の指定した番号を持っていたあのときから」
書き足して、3を8にしとくんだったっ。
唯由は席替えのときと同じ、3を引いていた。
「お前は今日から俺の愛人だ」
逃げられないよう唯由の両手をつかんだ蓮太郎は、かなり迷って額にキスしてくる。
すぐに離れた彼は強引な言葉とは裏腹にちょっと照れたような表情を見せた。
そして、照れ隠しなのか本気なのか。
「……これで幾らだ」
と訊いてくる。
「百万か、二百万か」
どうしても金を払って愛人にしたいらしいが。
額に軽くキスされたくらいで、百万とか二百万とかとってたら、確実に私の方が悪人だ。
「金を払わせろ」
「いやです」
「なにかお前のために金を使わせろ。
マンションを買ってやろうか」
「しょぼいアパートで満足してるんで」
狭くて掃除が楽なんです、と唯由は言った。
「今、狭小な部屋のありがたみを噛み締めているところです。
邪魔しないでください」
だが、蓮太郎は、
「そんなボロいアパートに若い娘が住むなんて物騒じゃないか」
と眉をひそめる。
いや、しょぼいで、ボロいじゃないんですけど……。
きっとこの人の頭の中では、うちのアパートは倒壊寸前で鍵も壊れてる感じなんだろうなと思う。
そもそも、うちの会社、結構いい会社なんで、そんな幽霊の出そうなアパートにしか住めないはずもないのだが……。
「お前の親兄弟はどうしてるんだ?」
どうして、そっちに身を寄せないんだ、と蓮太郎は言い出す。
「まあ、親兄弟は居ていないようなものなので」
そう曖昧に言うと、しんみりとした顔で蓮太郎は言い出した。
「そうだったのか……。
蓮形寺。
今日から、俺を家族と思っていいぞ」
いや、あなた、愛人か、私の仕える王様なんですよね?
だが、王様はさらに、
「お前、うちに住むか?」
などと言ってくる。
「いや、なんでですかっ」
「お前の家族になってやると言っただろう。
それに、下僕をそんな倒壊寸前のアパートに住まわせておくことはできない」
いやあの、下僕なんで、放っておいてください……。
だが、なんだかんだと揉めたので、つい、
「ほんとにそんなボロくないですからっ。
その先なんで、見てみてくださいっ」
と言ってしまった。
「……じゃあ、見に行こうか」
と言う蓮太郎に、
はっ、もしや、これは王様のワナ!?
私自らが王様を家に招くようにっ?
と思ったが、意外に人のいい王様は、そういうわけでもなかったようで。
「じゃあ、ジュース買ってやる。
二人で飲みながら、アパートを眺めよう」
と言い出した。
いや、私が私のアパート眺めてどうすんですか、と思いながらも、よくわからない王様にジュースを買ってもらい、
「なんだ、こじんまりしてるが、いいアパートじゃないか」
と言う王様と二人、星空の下、アパートの向かいの公園のベンチに座り、しばらく自分の家を眺めていた。