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□ズレ
真澄と付き合い始めてから、ますます僕は真澄のことが好きになっていった。真澄はお店に来るお客さんにも人気があり、離れて見ていてもハラハラすることがある。
「ね、彼氏とかいるの?今度お茶でもどう?」
そう問いかける男を見かけると、“僕の彼女に手を出すな”と言いたくなるけど、そこは真澄のために我慢している。
『お客さんとトラブルは起こしたくないの。私はカフェの店員の仕事が好きだから』
そんなふうに真澄が言っていたからだ。僕がお店でコーヒーを飲んでいると、たまたまそんな客が真澄に声をかけている場面を目にしたことがあった。
「ね、お茶でもどう?なんなら美味しいパスタランチのお店も知ってるよ」
「お客様、お茶でしたらここで飲んでいただくことが私はうれしいですし、美味しいランチも提供していますので、よろしかったらぜひどうぞ」
「いや、そんなつもりじゃなくてさ……」
「では、美味しいひとときを。ごゆっくりお過ごしください」
その男性客に、恭しくお辞儀をして戻っていく真澄は、離れて見ていた僕の方を見て小さく微笑んだ。僕は“グッジョブ”の意味を込めて、右手の親指で合図した。自分の彼女がモテるというのは、悪い気はしないけど。他の男に取られたくないという独占欲が湧いて、ジリジリとした思いに駆られる。
だから僕は、真澄にふさわしい男になりたくて、とにかく仕事を頑張った。フリーライターの仕事が空いてしまった時は、デリバリーの仕事や引っ越しの手伝いなどのアルバイトもやった。そうやって、真澄が欲しがるアクセサリーや洋服をプレゼントした。
「ありがとう♪これ欲しかったの」
リボンを解いてペンダントを出すと、早速身につけている。真澄の胸元でキラキラ輝くペンダントを見ていると、自分の気持ちが真澄に届いているという実感がしてうれしかった。
「ね、このまま仕事にもつけてっていい?」
「もちろんだよ。喜んでくれてうれしいよ」
そうやって、真澄のわがままを聞いて真澄に必要とされたい、僕のことをずっと好きでいて欲しいとそればかりを考えて行動していた。それは、間違いではなかったんだと思う。真澄と結婚できたのだから。
今思えば、真澄のことが好きでたまらないという気持ちを、そういうことでしか表現できなかった僕にも落ち度はあると思う。真澄が僕に求めていたものは、そんなものではなかったということだ。僕が真澄に求めていたもの、真澄が僕に求めていたものがズレていると気づいたのは、あの架空デートのことがあったからだった。
「私、今日、帰りが遅くなると思う。バイトの子が一人辞めちゃったから」
「わかった。今日は僕が晩御飯を用意しておくから」
「んー、晩御飯か。お店の子と食べてくると思うから、私の分は用意しなくてもいいよ」
「そう?じゃあ、テキトーに済ませとくよ」
「うん、ごめんね」
「いや、友達との時間も大切だからね」
僕と真澄の間には子どもはいなかった。当分は二人きりの生活がしたいと真澄に言われて、僕もそれに賛成した。これで真澄との暮らしを存分に味わえると思っていたのは最初の頃だけで、だんだんとすれ違いが多くなっていった。それでも。
___僕は真澄の夫なのだ
薬指にはめたお揃いの結婚指輪が、ふと寂しくなってしまう気持ちを宥めてくれた。
◇◇◇◇◇
そんなある日。
僕は、雑誌のグルメ記事の取材であるホテルに来ていた。ディナーコースが一新されて、女性ウケがいいレストランは、予約席でほとんどが埋まっていた。仕事でもなければ、こんなところへ来ることは、滅多にないだろうと思う。
案内されたテーブルに一人で座り、メニューを開いたら、たくさんの人の会話に混じって聞き覚えのある声が聞こえてきた。
___え?真澄?
思わず周りを見渡す。
「いた!」
見つけたと同時に、僕はメニューで顔を隠してしまった。真澄の声がしたのは、男女4人ずつのグループのテーブルからだった。
___友達って、このグループのこと?
僕はてっきり、仲のいい女友達だとばかり思っていたから、面食らう。声をかけたりしてはいけない気がして、そっちを向かないように、ひたすら料理のレポートを書くことに専念していた。
それでも、やはり気になるわけで……。
どういう類の人間が集まっているのかわからないが、どう見てもコンパに見える。どんな会話をしているのか見えないが、ひとしきり食事と会話で盛り上がっていた。
僕はスマホを真澄の方に向け、真澄の手元を写真に撮る。ズームで確認すると、その手にはちゃんと結婚指輪がある。
___浮気というわけではないよな
ただの仲良しの集まりかなにかだろう、くらいにしか考えなかった。