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マンションの部屋に戻ったら、さらに甘々な時間が待っているのではと期待していたその時。
突然、知っている女性の声が聞こえてきた。
「この嘘つき女! 西園寺先輩と二股をかけるなんて! 西園寺先輩の言っていた通り!」
この声は元カレの彼女、野堀 麻衣(のぼり まい)だと思った瞬間。
野堀が手に持つ紙コップをこちらへ向けた。
見覚えのある紙コップ。
それは私と悠真くんが住む隣のマンションの一階のコンビニで販売されている、セルフサービスのコーヒーをいれる紙カップだ。しかもサイズはM!
「アリス」
悠真くんの声と、ビシャッと液体が道路に当たり飛び散る音が、聞こえた。
野堀が私に向けてかけようとしたコーヒーを、悠真くんは咄嗟に私を抱きしめ、庇ってくれたと理解する。
悠真くんの背中は、コーヒーで濡れているはずだ。
しかも道路に当たり、はねたコーヒーは、悠真くんのズボンにも飛び散っていると思う。
悠真くんは私から離れるとすぐに背に庇い、野堀と向き合った。
想像通り、悠真くんの着ている明るいグレーのコートの背中は、コーヒーで濡れている。こんな状況なのに。それでもやはりコーヒーはいい香りがしていた。
「どこのどなたか知りませんが、彼女は僕の恋人です。二股なんてかけていません。しかもいきなりコーヒーをかけるなんて。名誉棄損です。警察、呼びますか?」
悠真くんの声はいつもより低く、ドスも聞いており、野堀の顔は青ざめる。
「な、警察って! 何を大袈裟な」
「あなたがやった行為は嫌がらせで、迷惑行為です。アリス、警察に電話を」
「ま、待ってください!」
野堀が慌ててこちらへ近づこうとするのを、悠真くんは「近寄らないでください」と唸るような声で牽制する。野堀の顔が青ざめていく。
「その女は、私の彼に、西園寺先輩に復縁を迫り、私との交際を邪魔しているんです。しかも結婚を狙っていて、西園寺先輩だけでなく、別の男性と二股をかけている、悪女なんです!」
「何を言っているのですか、あなたは? アリスはその男とは縁が切れています。彼女は僕と付き合っているのです。それにそんなことを言うからには、証拠があるのですか?」
「そ、それは西園寺先輩が私に話してくれて……」
「そんなことでは証拠になりません。あなたの行為はストーカーと同じです。警察に行きましょう」
悠真くんが手を伸ばすと、野堀は「イヤです!」と紙カップを投げつけ、駆け出した。すると立ち止まって私達の様子を見ていたらしい男性とぶつかり、よろめきながら駅の方角へと向かう。
「追いかけます」「待ってください」と悠真くんを止め「もう、いいです。次、同じことをされたら、警察に通報しますから」と押し殺した声で告げ、私は野堀がぶつかった男性に声をかける。
野堀がぶつかることで、その男性の存在に気付けた。
同時に。
その男性がスマホで、私達の様子を撮影していることに気づいたのだ。
悠真くんに「ここで動かず、待っていてください」と話すと、その男性に近づく。
「あの、すみません。今の様子、スマホで撮影していましたよね?」
すると、無精ひげがはやした年齢不詳の男性は、私の言葉を無視して歩き出す。
「待ってください。その動画が今の女性のストーカー行為の証拠になるかもしれません。見せていただけませんか?」
ストーカー行為の証拠。
そんなこと、どうでもいい。
重要なのは、この男性が撮影した動画を消すこと。
悠真くんは眼鏡をかけ、マスクもつけている。声だって普段とは別人のようだった。
だから、バレていない――かもしれない。
それでも、今の様子を撮影した動画がアップされ、目ざとい人物にこれが悠真くんだと気づいたら……。大スキャンダルになる。
動画を見せてもらうフリをして削除。
そう思い、男に声をかけたが……。
男はこちらに背を向け、歩き出していた。
「待ってください、お願いします」
男性の背に手を伸ばした瞬間「動画なんてとってねーよー」と怒鳴られ、手を振り払われた。その力は想像以上に強く、私は突き飛ばされる形になった。
だが……。
「アリス!」
悠真くんが私を抱きとめてくれた。
「アリス、大丈夫です。動画がなくても、一応、僕のスマホで音声は録音できていますから。もしもの時はこれを警察に聞かせしましょう。証拠になるかは分かりませんが」
「悠真……」
男が歩いて行った方角を見ると……。
いない!
いや、信号がない場所なのに、道路の反対側に横断していた。
「部屋に戻りましょう」
「でも……。あの動画をSNSにアップされたら、悠真だって、バレちゃうかもしれないです。それに女性と一緒だとスキャンダルですよね!?」
泣きそうな私の頭を、悠真くんは優しく撫でた。
「バレても構わないですよ。だって事実でしょう。あれは僕で、そしてアリスは僕の恋人です。不倫や浮気をしているわけではない。問題はないはずです」
「そうだとしても……」
「もしものことがあった時。アリスは芸能活動をしていない僕のことを、嫌いなりますか?」
私はそんなことはないと大きく首を振る。
「悠真くん……悠真が芸能人であるとかないとか、関係ないです。私が好きなのは、猫と手料理が大好きな悠真ですから。どんな仕事であろうと、悠真が打ち込めるものであり、頑張れるなら、それでいいと思います。芸能活動をしていようが、していまいが、気にしません」
すると悠真くんは、私のことをぎゅっと抱きしめる。
「その言葉を聞けて、安心しました。アリスがそう思ってくれるなら、怖いものなんて何もないです」
私から体を離した悠真くんは、私のワイドパンツや足元を確認している。
「コーヒーは飛んでいないようですよね。でも明るいところで確認した方がいいです。白い服ですから。部屋に戻りましょう」
悠真くんは私の手を取り、歩き出す。
「悠真くん……悠真、ありがとうございます。そして、ごめんなさい。私のせいでコートが濡れてしまいましたね……」
「気にしないでください。僕は濡れましたが、アリスが助かったのですから。ホント、良かったです」
「熱くは……なかったですか?」
「大丈夫でしたよ。隣のマンションのコンビニで、ずっとアリスのことを待ち伏せしていたのでしょうね。もうコーヒーは冷めていました」
「それなら風邪をひかないか心配です!」
エントランスに入り、オートロックを解除して、エレベーターまで移動する。
エレベーターに乗り込むと、悠真くんは……。
私が降りる階と、自身の部屋の階のボタンを押している。
「ひとまずコートを脱いで、軽く水洗いしてから、アリスの部屋に行くようにします。アリスもどこか汚れていないか、確認してくださいね」
「は、はい……」
このまま一緒に私の部屋に来ると思ったのに。
でも仕方ない。
私もコーヒーが飛んでいるかもしれないし、それなら服を着替えることになるのだから。
あっという間に私の降りる階に到着し、部屋に戻る。
姿見の前でコーヒーが飛んでいないか確認しようとすると、コーヒーの香りを感じた。
どこかにコーヒーが飛んでいるんだ。
念入りに確認した結果。
白のノーカラーコートの裾とショートブーツにコーヒーが跳ねていることが分かった。でもそれは食器用洗剤でなんとか落とすことができた。
そこでスマホにメッセージが来ていることに気づく。
「なんか、髪にもコーヒー、被っていたみたいです。
シャワー浴びたりするので、あと30分後に行きます。
アリスも良かったら、シャワー浴びてください。
パジャマパーティーをしませんか? 」
これにはもう、ときめきが止まらない!
野堀と動画男のせいで沈んでいた気分から一転。
パジャマパーティーを想像し、ワクワク・ドキドキだった。