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「っつ!」
思わず声を上げてしまったのは、碧斗が私の脚を突いたせいだ。
私は碧斗をにらんだ。
「やめてよ」
碧斗は悪びれずに軽い調子で謝る。
「ごめんごめん。なんかつい、悪戯したくなって」
「もう……っ」
むくれ顔をする私を碧斗はしげしげと見ている。
「な、何?」
「いや、やっぱりどんな表情でも、詩乃は可愛いな」
「か、からかわないでよ。碧斗の目、どうかしてるんじゃない」
「からかっていないよ」
碧斗は甘く微笑みながら、私の頬に手を伸ばした。
唇に柔らかな熱を感じたのは、次の瞬間だった。
「っ……!」
あっという間に顔が熱くなった。
「不意打ち過ぎる……」
「嫌だった?」
「嫌じゃないけど……」
私の返答を聞いた碧斗はにっと笑い、もう一度唇にキスをした。
「また、不意打ち……」
苦笑する私に碧斗はしれっとした顔で言う。
「不意打ちは嫌じゃないって言ったからね。ところで、足はどう?まだ痺れてる?」
真顔に戻って私を気遣う碧斗の言葉に、はっとした。不意打ちの連続で、足の痺れのことなど、すっかり頭の中から吹き飛んでしまっていた。
「も、もう、大丈夫。落ち着いたわ」
「それなら良かった」
碧斗はにこりと笑い、私の手を取って立ち上がった。
「とりあえず、ソファに座ろう」
「うん」
素直に頷き、私は碧斗に導かれるがまま彼の隣に腰を下ろした。まだどきどきしている胸を落ち着かせるために、コーヒーに手を伸ばす。
碧斗もまたコーヒーに口をつけたが、軽く眉根を寄せた。
「少し冷めってしまったな。淹れ直してくる」
「私は大丈夫よ。猫舌だから」
「そう言えばそうだったな。じゃ、俺もこのままでいいや」
碧斗は改めてコーヒーを口に含んだ後、カップを両手で包み込み、その飴色の表面を眺めていた。しばらくして、それをテーブルに戻し、私に訊ねる。
「今日も明日もホテルに泊まるんだよな」
「えぇ、二泊で部屋を取ったから」
「そうだよな……」
碧斗がため息をつく理由がよく分からない。
彼は私をじっと見つめてこう続けた。
「泊まって行ってくれとは言わないから、今日ぎりぎりまで一緒にいてくれるだろ?ホテルまでちゃんと送って行くから。……本当は、俺の隣で眠ってほしいんだけどね」
囁き声で言われて、鼓動が高鳴った。この音が碧斗に聞こえそうで心配になる。ところが、私は彼の胸に引き寄せられてしまった。そのせいでますます鼓動が激しさを増す。
「詩乃は今、どきどきしてるか?俺は相当どきどきしてるよ。詩乃には俺が平気そうに見えているかもしれないけど」
碧斗は私の体に回していた腕を解き、私の手を取って自分の胸に当てた。
そこから確かに、どくんどくんと強く打つ彼の鼓動が伝わってくる。
「……本当にどきどき言ってる」
「だろ?」
碧斗は私の手の上に自分の手を重ねた。
「初恋は実らないってよく聞くけど、俺は実った。幸運だったのかもしれないな。ずっと好きだった詩乃が今こうやって俺の目の前にいて、キスしたり抱き締めたりできるなんて、夢を見ているような気分だよ」
しみじみとした碧斗の言葉を聞いていた私は、少し前に終わった恋のことをふと思い出してしまった。
私の遅い初恋は実らずに終わってしまった――。
心の中だけでつぶやいたはずが、声となって口から出てしまったようだ。
碧斗が静かに問いかける。
「それは、戸崎さんのこと?」
私は慌てて口を手で覆った。碧斗といるのに、他の人のことを考えてしまうだなんてと、固い表情で碧斗の顔色をうかがう。
しかし、私を見る彼の目は優しい。
「詩乃は今でもあの人のこと……。いや、やっぱりなんでもない」
碧斗が何を尋ねたかったのか、言いかけたのか、すぐに察した。私は口元に苦い笑いを刻み、彼の目を真っすぐに見つめた。
「あの人のことは、もうなんとも思っていない。切ないだけの思い出の中の人よ」
「……そうか」
「信じていない、って顔してる」
「信じるよ」
碧斗はきっぱりと言って、私の顔をのぞき込んだ。
「そもそも詩乃が過去に誰を好きだったかなんて、どうでもいい。だって、今はもう詩乃は俺の彼女なんだから。あぁ、そうだ。この際だから言っておく。俺はこの先もずっと、詩乃を離すつもりはないってこと、しっかりと覚えておいてくれよ」
まるでプロポーズの言葉のようだと思いながら、私は彼の台詞の一部を反芻する。
「この先もずっと……」
「そう、この先もずっとだよ」
碧斗は私に言い聞かせるかのように繰り返すと、私の顔中に次々とキスを落とし始めた。
彼の口づけは私を幸せな気分にしてくれたが、今までに碧斗と交わした様々な会話がふと思い浮かび、そのためにあることが気になり出してしまった。
唇を離した彼に私は訊ねる。
「聞きたいことがあるの。ゴールデンウイークの帰省の時、見送りに行った私に、次に会った時に話すって言ったことがあったでしょ?あれって何だったの?」
「詩乃が好きだ、って言うつもりだったんだ」
碧斗は私の手に触れながら話し出す。
「花火大会の夜、俺が『好きな人』の話をしたこと、覚えてる?」
「えぇ、覚えているわ」
「詩乃のことだったんだ」
「え?」
碧斗の告白を聞いた時、私のことをずっと好きだったと言っていたことと、一時期好きな人がいたこととに、実は矛盾を感じないではなかった。その時は嬉しさの方が勝っていたし、その後も幸せに浸りきっていたために、それ以上深く考えずにいた。けれど、今の話を聞いてなんだかすっきりした気分なのは、自分でも自覚なく気にしていたせいなのかもしれない。
碧斗は話し続ける。
「いつかは詩乃に告白しようと思っているうちに、詩乃に好きな男ができた。そのことに気がついて告白のきっかけをますます失って、勇気を出せない俺は、そんな話になったあの夜、あんな言い方で自分の本心を隠してしまった。でも、この春から就職で詩乃の傍を離れることになって、ものすごく焦りを感じたんだ。悪い虫がついたりしないか、って。また同じことは繰り返したくない、早くこの気持ちを伝えなきゃって思った。それであの帰省中に今度こそ、って思ってたんだけど、なんだかな。言いそびれてしまったんだよな。だけど、夏に入院したあの時、思いがけず詩乃の気持ちを聞くことになって、おかげでっていうのは変かもしれないけど、ようやく気持ちを伝えることができた」
そんな彼の気持ちに気づかずにいただけでなく、戸崎のことではたくさん碧斗に甘えてしまった。謝らずにはいられない気持ちになる。
「えっと……。色々と、ごめんね」
「やめてくれよ」
碧斗はさらりと笑って流し、それからにっと笑う。
「とにかく、俺は昔から詩乃しか見ていなかった。だから、覚悟しておいてくれよ」
「か、覚悟ってどんな……」
「さぁ、どんな覚悟だと思う?」
碧斗は愛おし気な目をして私を見つめた。壊れ物でも扱うかのような優しさで、両手で私の顔を包み込む。私の耳に「愛している」と囁いて、彼は再び私の唇を塞いだ。キスにたどたどしく応える私の背を、彼はぎゅっと抱き締めて、いっそう熱く口づけた。
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ゆずき
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