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奈落の縫い目・第一層、入口付近。
「……縫い目って、比喩じゃなかったわね……」
壁に手を当てた瞬間、ゾクリと背筋に悪寒が走る。
黒い布のようなものが脈打つように波打っている。
まるで生きた心臓のように。
表面はざらついていて、
銀色の細い糸がふわりと漂っては消える。
触れた指先がピリッと痺れた。
「ふむ……これは”魔力繊維”ですな。
かなり高度な魔力工作が施されているようです」
辰夫が低い声で解説する。
「辰夫って物知りだねー!」
「さすが辰夫さん! 詳しい〜!」
エスト様と辰美が揃って褒めると、
辰夫が照れたように頬を掻いた。
「いやぁ。ははは」
「……」
カシャン!(私のイラっとカウント音)
私は軽くイラっとした。
「我がかつての知識と経験は、
こうしたダンジョン探索には有用でしょう」
辰夫が照れくさそうに続けた。
「……」
カシャン! カシャン!(私のイラっとカウント音)
……空気が、少しだけ歪んだ。
「……さ、進むわよ」
私が振り返って一言告げると、
辰夫はガタッと背筋を伸ばした。
「辰夫、先頭よろしく」
「は、はい! 承知!」
辰夫は私と目が合った一瞬だけ震えていた。
ほんとに、この竜王は私にだけ妙に忠実でビビりだ。
「うわ、絶対餃子ないよねぇ〜ここ……」
カエデがのんびり呟きながらついてくる。
「私は後ろから援護するわ。後ろの方が安全でしょ」
ツバキが即座に後方を確保した。
「おお……! 自らを案じつつ後方を護る、
その偽りなき真理のお言葉……!
『新約教義・第一節:後ろから援護しろ。後ろの方が安全也』……っと」
ローザがツバキの隣で感極まりながらペンを走らせる。
「ローザ、それただの私の本音(逃げ口上)だから!?」
カエデの天然とツバキとローザの小競り合いを無視して、
辰夫は一歩歩くたびに背後をきっちり警戒していた。
汗が頬を伝っている。
「周囲、異常は……特になし。
しかし魔力濃度が高まってきています。
エスト殿、お気をつけを」
「うん! 辰夫ありがと☆」
「……」
カシャン! カシャン! カシャン!(私のイラっとカウント音)
──と、その時。
視界が、ぐらり、と揺れた。
「……あ?」
私は反射的に足を止めた。
心臓が一拍飛んだ。
周囲の景色が一瞬、変わった……いや、塗り替えられた。
そこに見えたのは、東京時代のスーツ姿の自分だった。
目の前には上司──当時の部長の胸ぐらを掴み、
顔を真っ赤にして怒鳴っている私。
『納期を私一人に押しつけてんじゃねぇ!! クソが!!』
#男装女子
98
机の上に書類が散乱している。
背後の同僚たちがドン引きしている。
……あー、これ……懐かしいな。
このあと窓際部署に異動になったやつ。
「幻覚、ね。めんどくさいタイプ来たわ」
声が少し震えた。動揺を隠しきれない。
「お姉ちゃん、今なんか怒ってた?」
エスト様が首をかしげている。
「昔の話よ。さぁ進むわよ」
歩調が早くなる。逃げるように。
「あ、私にも見えた。
……サクラ、ひとり焼肉してからひとりカラオケ行ってた。」
カエデがしみじみと頷いた。
「やめて。黒歴史を掘るな……」
気付くと拳を握っていた。
「私は……なんか知らないカップルの前で、
ファイティングポーズのサクラが見えた。夜中の住宅街で」
ツバキが遠い目をした。
「それ私が死んだ時!!」
「『聖女様の親友、過去の奇行を語る』……っと」
ローザがメモを取る。
「全員黙れ!!」
「あ、今ツバキ……夜中にポエム書いて泣いてた」
カエデがツバキを見る。
「勇者様!詳しくお聞かせください!!」
ローザがカエデの元にダッシュ。
「やめて!?!? なんでそれ見えるの!?!?」
「あ、待って! 私もローザの過去見えた!」
ツバキが反撃とばかりにローザを指差した。
「なっ……!? 聖女様! 見てはなりませぬ!!」
「夜中の部屋で頭抱えてる!
『狂王(サクラ)のあの圧倒的な暴力と理不尽なカリスマ……!
い、いかん! 私は聖女様の第一使徒!
……なのに、なぜ私のペンはサクラ様の語録ばかりを書き留めてしまうのだぁぁ!!』って、
聖典の半分以上がサクラの観察日記になってる!!」
「ぎゃあああああああ!!
私の背徳行為を覗かないでくださいぃぃ!!
あ、あれは敵の生態を分析しているだけで……!」
「あんたサクラのこと新しい教祖にしようとしてる!?」
ツバキが激しくツッコんだ。
「異端審問にかけられるぅぅぅぅぅぅ!!」
ローザが両手で顔を覆って崩れ落ちた。
「ん?カエデ……英会話セット買ってる!!」
私がカエデを見る。
「そう言えばそれ使ってないや。」
「……いくらしたのそれ」
「あはは! 辰美さん、サクラそっくりの手作りぬいぐるみ抱きしめて寝てるよ!」
カエデが楽しそうに笑う。
「ふぇええ!? 見ないでぇ! カエデさん見ないでぇぇ!!」
辰美が顔を真っ赤にしてカエデの視線を遮ろうとする。
「あ! エストが夜中に鏡の前でマント羽織って、
悪い魔王の練習してる!」
ツバキがエスト様を指差す。
「『ふははは! 愚かな人間どもめ!
ぜんいん、おやつ抜きの刑にしてやるの!』
って言ったあと、
『……やっぱりかわいそうだから半分だけにするね』って悩んでる!!」
「あわわ!? だ、だって!!
おやつ抜きなんて残酷すぎるし!?」
エスト様が顔を真っ赤にして両手で顔を覆った。
「あれ?辰夫の黒歴史は?」
私がふと気づいて聞くと──
「そう言えば、誰も見てないかな?」
エスト様がみんなを確認。
「それは……現在進行形で黒歴史だからです……」
辰夫は泣いてないと、後に語った。
「お前らツッコミどころ多すぎんだろ!!
……って」
……あれ?
さっき見たはずの自分が、まだそこに立っていた。
こっちを見て、笑っている。
「……嫌な予感しかしないわ」
「ふむ……これは”精神誘導型幻影術”の一種ですね。
記憶に直接干渉してきます。
全員、意識を強く保ってください」
辰夫は涙を隠すかのように、
無理やり冷静な声を出して分析した。
「……」
カシャン! カシャン! カシャン! カシャン!(私のイラっとカウント音)
──進み出した次の瞬間だった。
ズズズ……と低い振動音。
空気が震える。
裂け目の奥から、何かがぞろぞろと這い出してくる。
「っ、モンスターです!
“アーリマン”と推測されます。
高い精神干渉能力を持つ個体!」
辰夫が即座に識別した。
「……」
カシャン! カシャン! カシャン! カシャン! カシャン!(私のイラっとカウント音)
「きゃー! お姉ちゃん! こっちにきたよ! きたよー!」
エスト様の声に恐怖が混じる。
「落ち着いて! 辰夫、辰美! ここは任せるわ!」
「了解っ!燃やすのは任せてーっ♪」
辰美が大きく跳躍して、掌に炎を纏う。
「爆炎牙《フレイムファング》!!」
鋭い火柱がアーリマンの前方に走り、一気に焼かれる。
だが、すぐに再生が始まった。
その隙を突いて辰夫が前に出た。
「貫穿撃《ドラゴンスパイン・スラスト》!」
竜の魔力を纏った爪がアーリマンのコア部分を正確に突き抜けた。
「再生は……想定より早いですが……
撃破確認。完了です。サクラ殿」
辰夫が振り返り、静かに一礼した。
「……」
カカカカカカカカカカカシャン!(私のイラっとカウント音)
……壁の表面が、びり、と裂けた。
(違う。お前は「ひいぃぃ! 怖いよぉぉ!」って泣き叫ぶトカゲだろ! なんでそんな強キャラ感出してんの!? なんで私より目立ってんの!?)
ビキビキビキビキ……ッカチン☆!!(イラっとカウント限界突破)
(つづく)
◇◇◇
──【本日のカメリア聖典追加節】──
『新約教義・第一節:後ろから援護しろ。後ろの方が安全也』
解説:
これは──
己の身の安全を最優先とし、前線で血を流す者たちに背中を預けるという究極の信頼の形である。
……嗚呼、なんと慈悲深き生存本能……!
ツバキ「捏造にも程がある!?」