「う~ん…」
食事後は再び自室に籠もる。椅子に腰掛けて思考を巡らせながら。食事中の彼女はいつも通りの優しい口調。アンタなんて単語は一言も口にしなかった。
「……何なんだろう」
もしかしたら恥ずかしい趣味を見られてパニックになってしまっただけなのかもしれない。トイレで鉢合わせした時にも同じように蹴りを浴びせられたし。
「まぁ、自分も思い当たる節があるわけで…」
横目で漫画が並べられた本棚を見る。裏に大量のいかがわしい物が置かれた場所を。
今でこそ親しくしているが母親や妹とは元々他人だった間柄。意識の中に女性という感情が残っていた。
「あ~あ、颯太が持って帰ってくれたら良いんだけど…」
彼は中学時代からの知り合いなので地元は同じ。ただ高校へは親戚の家から通っているので通学は別々。
そして親戚の家に下宿する際に部屋に大量に隠していたエロ本の処分に困ったらしい。どうするか悩んだ挙げ句、預かってくれと頼んできたのだ。問題はその量よりも中身。妹や人妻物が数多く紛れ込んでいた。
「ん?」
椅子をクルクル回転させていると扉をノックする音が聞こえてくる。廊下から呼びつける音が。
「はいはい、今開けますよ~」
隣の部屋にいる妹が遊びにでも来たと予測。立ち上がって素直に応答した。
「……え」
「下……来て」
「は?」
しかしドアを開けた瞬間に全身が硬直する。立っていたのが数時間前に理不尽な暴力を振るってきた同居人だったので。
「ちょ、ちょっと!」
彼女は小さく言葉を発すると早歩きで階段へ。そのまま素早い身のこなしで下りていった。
「なんなんだ…」
もしかしたら謝ろうとしているのかもしれない。さすがに申し訳なくなってきて。
頭の中で様々な状況をシミュレーションしながら後を追いかける。前を行く背中に続いて客間へと入った。
「アンタ、夕方のこと誰にも言うんじゃないわよ」
「え?」
「バラしたらアンタの秘密もバレる事になるんだからね」
「ぐっ…」
開口一番に彼女がタメ口で話しかけてくる。口論を再開するかのような台詞を。
「アンタは私にセクハラした。そして私はアンタに暴力を振るってしまった」
「は、はぁ…」
「この事実はお互いにとってデメリットにしかならないわけ。分かる?」
「……はい」
「だから絶対に誰かにバラしたりなんかするんじゃないわよ」
要するにトイレで起きたハプニングやコスプレの件を黙っていろと主張したいらしい。秘密裏に持ち出された契約だった。
「返事は?」
「へ?」
「黙ってないで何か言いなさいよ。カカシみたいにボーっと突っ立っちゃってさ」
「カカシって…」
なぜあの優しそうな女性がこうも高飛車に変わってしまうのか。本当に同一人物なのかと疑わずにはいられなかった。
「別に元々バラしたりするつもりなんかないよ」
「……あっそ」
「あのさ。君、本当に華恋さん?」
「はぁ? 何言ってんの、アンタ」
質問に対して呆れたような表情が返ってくる。口を歪めた顔付きが。
もしかしたら彼女は誰かと心が入れ替わってしまったのかもしれない。そのような事が起こらない限りこの奇妙な状況が納得出来なかった。
「だって昨日までと全然様子が違うし、口調も声質も別人っていうか」
「初対面の人にこんな態度出来る訳ないでしょ」
「猫被ってるって事?」
「違うわよっ! 場に合わせてるだけでしょうが。アンタは親と喋る時と先生に喋る時と同じ口調なわけ!?」
「そ、それは…」
もちろん自分だって目上の人と話す時は敬語を使う。同級生でも初対面の人に対しては馴れ馴れしい言葉なんか使ったりしない。ただこのシチュエーションはまるで状況が違っていた。
「いや、だからって様変わりしすぎだよ。昨日はあんなに優しかったのに」
「アンタがデレーッとした顔付きしてた事だけは覚えてるわ」
「なっ!?」
「女の子に免疫ないわけ? 話しかけられただけで狼狽えちゃってさ」
「う、うるさいな。人見知りなんだから仕方ないじゃん!」
指摘の言葉で負の感情が蘇ってきた。憎しみにも近い苛立ちが。
「ちょっと、あんまり大きい声出さないでよ」
「あ…」
論争中に慌てて口を塞ぐ。失態をごまかすように。
「聞こえてないよね…」
廊下へと出てリビングの様子を窺った。どうやらテレビの音でかき消されたらしい。
「大丈夫。誰も反応してなかった」
「……ったく。気をつけてよね、本当に」
「君のせいだよ…」
再び客間へ戻ると睨み合いを開始する。同時に視界の隅に見慣れないダンボール箱を発見した。
「何これ?」
「ん? 私の着替え。覗くんじゃないわよ」
「あぁ、そっか。今日届いたんだね」
前に住んでいた家から送った荷物との事。あのフリフリ衣装をどこから持ってきたのか不思議だったが謎が解けた。
「用件ってそれだけ?」
「……そうよ」
「な、ならもう部屋に戻っても良いかな」
コスプレの事を黙っておけば良いのだろう。エロ本や痴漢行為の件をバラされたりしたら困るから言うつもりはない。振り返って襖の取っ手に手をかけた。
「あっ!」
「ん?」
「そ、その…」
「まだ何か用?」
「手……怪我させちゃってゴメン」
「あぁ、コレか」
戸を開けようとしたタイミングで呼び止められる。彼女の口から飛び出したのは意外にも謝罪の言葉だった。
「別に血は出てないよ。ただアザになっただけだから」
「そ、そう。なら良かった」
「まぁ痛い事に変わりはないんだけど」
無事をアピールするように手首を動かしてみせる。申し訳なさそうにしている対話相手に向かって。同時にある疑問が浮かんだので尋ねてみた。
「ねぇ、さっきコスプレしてたキャラってツンデレなの?」
「はぁ?」
「いや、何でもないです」
どうやら違うらしい。返ってきたリアクションから勝手にそう推測した。
「あっ、そうだ」
「ん?」
退出しようとしていた足の動きを再び止める。今度は自ら話題を切り出した。
「この前は泥棒扱いしちゃってごめんね」
「……あ」
「知らない人がいきなりトイレにいたものだからビックリしちゃって」
「う、うん…」
「君が事情を説明しようとしてたのに全く聞く耳を持たなかったのは悪かったなぁと、ずっと思ってたんだ」
気に悩んでいた無礼をようやく言葉に表す。謝罪をしたかったのは彼女だけではない。自分もだった。
「本当にごめんなさい。なんて失礼な事してしまったんだろうと後から凄く後悔しました」
「あ、あれは別にアナタが悪い事した訳じゃないし…」
「それと胸も触ってしまってすいません」
「……は?」
「ついでに言うとトイレに入ってきた時の事を気にしてるみたいだけど大事な所は見えてなかったんで大丈夫ですよ」
「あ?」
「ま、まぁワザとやった訳じゃないから仕方ないですよね」
「ぐっ…」
ヘラヘラと笑いながら言い訳を展開する。同じようなリアクションをとってくれかと予想して。だが返ってきたのは目尻をピクピクと痙攣させた表情だった。
「……あはは」
もしかして地雷を踏んでしまったのかもしれない。謝るつもりが反対に怒らせてしまったらしい。
「し、失礼しましたっ!」
室内に気まずい空気が流れる。同時に殺気のようなオーラも。
襖を開けると逃げ出すように隣の部屋へと移動。大急ぎで自室に避難した。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!