TellerNovel

テラーノベル

アプリでサクサク楽しめる

テラーノベル(Teller Novel)

タイトル、作家名、タグで検索

ストーリーを書く

シェアするシェアする
報告する

イベント当日がやってきた。

午前中は、田代と一緒に視聴者電話を受けることになっていた。イベントに関する問い合わせがあった時のためということで、半日だけ回線を開放している。

中沢から許可をもらっているからと、田代からイベントの様子を交代で見に行こうと提案されて、私たちは適当に時間を見計らって順番に見物に出向いた。

屋内外ともに、なかなかの賑わいだった。社屋前の広場にはキッチンカーが並び、その隣では着ぐるみショーが行われていて、思っていた以上に親子連れの姿も多く見られた。

午後は矢嶋のラジオ番組の手伝いだ。二時間半にわたって放送されることになっている。局内をツアー形式で見学できるという企画があり、その中にラジオ放送の様子を廊下側から見ることができるという時間も組み込まれていた。

今日はロビーで梨乃と待ち合せて一緒にラジオスタジオへ向かう。場所によっては屋内を見学する一般の人の姿があって、彼らをよけながらの移動だ。スタジオのある階に着いてから、彼女が不意に真顔になった。


「夏貴さん、今日絶対来ますよ、あの人。南風さん」

「やっぱりそうなのかしら」


その可能性は非常に高そうだ。先日の電話で、彼はこのイベントを楽しみにしていると言っていたし、来る気満々だった。


「でも、直接会ったり話したりすることはないんじゃない?それに私、別に南風さんが嫌いってわけじゃないよ」


梨乃が顔をしかめる。


「ここだけの話ですけど、私、あの方が少し苦手なんですよ。だって、声とか口調とか、粘着系っていうか、マニアっぽいっていうか」


私は苦笑した。


「会ったこともない人なのに、そんなこと言ったら失礼よ?」

「分かってますけど……。でも、できるだけ私たち、特に夏貴さんは顔を見られないようにした方がいいんじゃないかな。前にも言ったと思いますけど、南風さんは夏貴さんのことがお気に入りみたいだから、変に執着されたりしたら面倒じゃないですか。そう言えば、住んでる所もここから近いはずですよ」

「お気に入りかどうかは知らないけど、この前電話を取った時、確かに言っていたわ。家がここの近くだ、って」

「やっぱり?だったらなおさら、気を付けた方がいいかも。だって、万が一顔を覚えられたりして、ストーカー化されたら恐いじゃないですか」

「梨乃ちゃん、何かの見過ぎなんじゃない?そんなこと起こりっこないって。それに、私をストーカーしたって意味がないよ」

「ま、私の考えすぎなら、それに越したことはないんですけどね。だけど今日は、ブース側での電話受付ですよね。廊下側から見えちゃうっていうのがね……」


普段はマスタールーム側で電話を受けている。しかし、せっかくのイベントだから臨場感がほしいと役員が言い出したらしく、今日はブース内に入ることになっていた。


「大丈夫でしょ。だって主役は私たちじゃないし、窓側から離れてる場所にいるわけだし」

「そうなんですけど……」


梨乃はまだ心配が消えない様子を見せている。


「心配してくれてありがとね」

「だって夏貴さんとはできるだけ長く一緒に組んでいたいので。もしも嫌なことがあったりして、番組の手伝いをやめるなんてことにはなってほしくないんですもん」


梨乃はへへッと照れたように笑うと、急に歩幅を広げて私の前に出た。ずんずんとマスタールームに向かう。

可愛いなぁと思いながら、私は彼女の後ろ姿を追いかけた。

辻と技術の担当者はすでに来ていた。

私と梨乃は彼らに挨拶をして、早速スタジオに入る。

矢嶋はマイクの前に座り、手元の資料か何かに目を通していたが、私たちに気づいて顔を上げた。


「二人ともお疲れ様。今日はいつもよりちょっとだけ長いけど、やることはいつも通りだから。よろしくね」

「よろしくお願いします」


私は梨乃と一緒に挨拶を返す。矢嶋との距離が近くて落ち着かず、そわそわした。けれど梨乃も交えて会話を交わしているうちに、次第に平常心を取り戻す。そんな自分に苦笑しながら、私は片隅に置かれたテーブルに近づく。そのままその場所に座ろうとしたのを、梨乃に止められた。


「待って、夏貴さん。こっちの方がいいですよ」

「そんなに気にしなくても」

「でも、念のためです。私がそっちに座りますから」


梨乃は私のために椅子を引いて待っている。

確かにこの位置なら、廊下側からは横顔くらいしか分からないだろう。


「二人とも何してるんだ?どっちに座るかで揉めてるの?」


矢嶋の不思議そうな声が聞こえた。それまで私たちのやり取りなど気にしていないと思っていたが、そうでもなかったらしい。ただ、会話の中身までは聞こえていないようだ。


「揉めてるわけじゃないです。実は今日は」


梨乃がその理由を口にする前に、私は二人の間に割って入る。特定のリスナーのことをあれこれ言うのは、やっぱり良くないような気がした。


「あの窓から見えるのが恥ずかしいなって思ったので、梨乃ちゃんにお願いして、向こうからは顔が見えない方に座らせてもらおうかと」

「あぁ、あれね」


矢嶋が苦々しく笑った。


「なんだか落ち着かないよな。上の命令だから仕方ないけどね。あんな窓いらないのにさ」


―― 間もなく本番だよ。


頭上から辻の声が降ってきた。

はっとした私たちはそれぞれ自分の座るべき場所についた。

カウントダウンする辻の声が聞こえる。その声が消えると同時に、オープニングの音楽が流れ出した。番組の始まりだ。

いつかかって来てもいいようにと、私と梨乃は目の前の電話をじっと見つめた。

開始早々、二台の電話が鳴る。その後も休む暇なく電話が続いたのは、日曜日だからなのか。

電話の音がようやくいったん途切れたと思われた頃、何気なくふと廊下側に首を回した。見学ポイントの一つになっていることもあって、結構な数の人がいる。圧倒的に女性が多いのは、パーソナリティが矢嶋だからだろう。その中に混じって男性の姿もちらほらと見えたのは、ご夫婦か、それとも純粋な興味でやって来た人たちか。

首を戻した時、私の前にメモが置かれた。梨乃からだ。


『あのスーツの人、まさか南風さんじゃないですよね』


スーツ――?


私は肩越しにちらりと窓の向こうに目を走らせ、すぐに顔を戻す。

スーツを着た比較的若く見える小柄な男性の姿があった。イベントの場に、きっちりとネクタイまで締めた格好は周りから浮いて見えた。だからこそすぐに目に飛び込んできたというのもあるが、さらに彼の顔は他の見学客たちと違って、矢嶋ではなく私たちの方を向いていた。


彼みたいね――。


私と梨乃はこっそりと視線をかわし合った。

その後しばらくして、窓の外には誰もいなくなった。見学客たちがその場を離れて移動したようだ。ツアー形式ということで、時間で区切って見学者の入れ替えを行っているのだ。

はっきりと私たちの顔が見えなかったとしても、そして直接会うことはなかったとしても、それなりに満足して南風もきっと帰路についたに違いない。

今日最大の心配事はこれでもうなくなったはずと、この時の私はすっかり安心しきっていた。

意地悪な美声は愛を囁く~簡単には堕ちたくありません~

作品ページ作品ページ
次の話を読む

この作品はいかがでしたか?

32

コメント

0

👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!

チャット小説はテラーノベルアプリをインストール
テラーノベルのスクリーンショット
テラーノベル

電車の中でも寝る前のベッドの中でもサクサク快適に。
もっと読みたい!がどんどんみつかる。
「読んで」「書いて」毎日が楽しくなる小説アプリをダウンロードしよう。

Apple StoreGoogle Play Store
本棚

ホーム

本棚

検索

ストーリーを書く
本棚

通知

本棚

本棚