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今日は周年イベント当日だ。
建物前の広場がある辺りは、キッチンカーや着ぐるみショーなどで特に賑わいを見せている。
午前中は、田代と一緒に視聴者からの電話を受け付けた。イベントに関する問い合わせがあった時のためということで、半日だけ回線を開放していたのだ。
午後は矢嶋のラジオ番組の手伝いだ。二時間半にわたって放送されることになっている。
いつもと違うのは、放送時間が長いことだけではない。局内をツアー形式で見学するという企画があって、その中に、ラジオ放送の様子を廊下側から見ることができるという時間が組み込まれている。
いったんロビーで梨乃と待ち合せて、それから一緒にラジオスタジオへと向かった。場所によっては屋内を見学する一般の人々の姿があって、彼らをよけながらの移動となった。
スタジオのある階に到着して、梨乃が私に真顔を向ける。
「夏貴さん、今日絶対来ますよ、あの人。南風さん」
「やっぱり来るかしらね」
私は苦笑いを浮かべた。その可能性は非常に高い。前に電話で話した時、彼はこのイベントを楽しみにしていると言っていて、来る気満々だった。
「でも、来たとしても、直接会ったり話したりすることはないでしょ。そもそも私、南風さんが特別嫌いってわけじゃないし」
梨乃の眉根が寄る。
「ここだけの話ですけど、私、あの方が少し苦手なんですよ。だって、声とか口調とか、粘着系っていうか、マニアっぽいっていうか」
私は彼女をたしなめる。
「会ったこともない人なのに、そんなこと言ったら失礼よ?」
「分かってますけど……。でも、できるだけ私たち、特に夏貴さんは、顔を見られないようにした方がいいんじゃないかなぁ。前にも言ったと思いますけど、南風さんは夏貴さんのことがお気に入りみたいだから、万が一執着でもされたら、色々と面倒じゃないですか。確か、あの人、住んでる所もここから近いはずですよ」
「お気に入りかどうかは分からないけど、この前の電話で、確かに言っていたわ。家がここの近くだ、って」
「あぁ、やっぱり?だったらなおさら、気を付けた方がいいかも。だって顔を覚えられて、ストーカーされたら恐いじゃないですか」
「梨乃ちゃん、何かの見過ぎなんじゃない?そんなこと、起こりっこないって。私をストーカーしたって意味ないし」
「私の考えすぎなら、それに越したことはないんですけどねぇ。だけど今日は、ブース側での電話受付ですよね。廊下側から見えちゃうっていうのが、ちょっとねぇ……」
私たちは普段、マスタールーム側でリクエスト電話を取っている。ところが、せっかくのイベントなのだから臨場感がほしいと役員が言い出したとかで、今日は特別にブース内で電話を取ることになっていた。
「大丈夫でしょ。だって主役は私たちじゃないし、窓側から離れてる場所にいるわけだし」
「そうなんですけど……」
「心配してくれてありがとう」
「だって、夏貴さんとはできるだけ長く一緒に組んでいたいから。もしも嫌なことがあったりして、番組の手伝いはやめる、なんてことに、なってほしくないですから」
梨乃はへへッと照れたように笑い、急に歩幅を広げてずんずんとスタジオに向かって歩いて行った。
可愛いなぁと思いながら、私は彼女の後ろ姿を追いかけた。
マスタールームでは、辻と技術担当者が打ち合わせをしていた。
彼らに挨拶をして、私と梨乃はスタジオに入る。
矢嶋はマイクの前に座り、手元の資料らしきものに目を落としていた。私たちに気がついて顔を上げる。
「やぁ、二人ともお疲れ様。今日はいつもよりちょっと長いけど、やることはいつも通りだから、よろしくね」
「よろしくお願いします」
挨拶するだけでも、どきどきしてしまう。この動揺を他の二人に気づかれないように、私はそっと目を伏せてスタジオの片隅にあるテーブルに足を向けた。そのまま腰を下ろそうとしたところを梨乃に止められる。
「待って、夏貴さん。こっちの方がいいですよ」
「そんなに気にしなくても大丈夫だよ」
「でも、念のためです。私がそっちに座りますから」
梨乃は言いながら、私を反対側の椅子へと促した。
「二人とも何してるんだ?どっちに座るかで揉めてるの?」
矢嶋が不思議そうな顔をして私たちを見ていた。
「揉めてるわけじゃないです。実は今日……」
その理由を梨乃が口にする前に、私は二人の間に割って入った。特定の人のことをあれこれ言うのは、やっぱり良くないような気がしたからだ。
「あの窓から見えるのが恥ずかしいなって思ったので、梨乃ちゃんにお願いして、向こうからは顔が見えない方に座らせてもらおうかな、と」
「あぁ、あれね」
矢嶋が苦々しく笑う。
「なんだか落ち着かないよな。上の命令だから仕方ないけどね。そもそもあんな窓いらないのにさ」
――間もなく本番だよ。
頭上から辻の声が降ってきて、私たちはそそくさと各自座るべき場所に腰を落ち着けた。
しばらくして、カウントダウンする辻の声が聞こえてきた。その声が消えると同時に、オープニングの音楽が流れ出す。番組の始まりだ。
私と梨乃は目の前の電話をじっと見つめていたが、番組開始早々、二台の電話が鳴った。その後も、ひっきりなしに電話が続いたのは、日曜日だからか。
電話の音がようやく途切れた時、私は何の気なく窓向こうの廊下側に目を向けた。
見学ポイントの一つだからだろう、結構な数の人の姿が見えた。圧倒的に女性が多いのは、パーソナリティが矢嶋だからだろう。その中に混じって男性の姿もちらほらと見えたのは、ご夫婦か、それとも純粋な興味でやって来た人たちか。
顔を戻した時、梨乃が私の前にメモをそっと置いた。
『あのライトグレーのスーツの人、まさか南風さん?』
私は肩越しに、もう一度窓の向こうに目を走らせた。梨乃のメモにあったスーツ姿の男性を探し、すぐに顔を元に戻す。
スーツを着た、比較的若く見える小柄な男性の姿があった。きっちりとネクタイまで締めた格好は、カジュアルな装いばかりの人たちの中、周りからだいぶ浮いて見えた。だからこそすぐに目が捉えたということもあるが、他にも違和感があったからだ。他の見学者たちと違って彼がじっと見ていたのは、矢嶋ではなく私たちだった。
彼だ、と直感が告げる。
私と梨乃はこっそりと視線をかわし合った。
その後再び電話が立て込み、改めて窓の外に目を向けた時には、誰の姿もなくなっていた。見学客たちはその場を離れて、次の場所に移動したのだろう。
南風は今日をとても楽しみにしていた様子だった。彼らしき人物は、きっとそれなりに満足して帰って行ったに違いない。
梨乃は色々と不安や心配を口にしていたが、これでひとまず、今日最大の心配事はなくなったはずだと、私は思うことにした。
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