テラーノベル
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#独占欲
番組はスムーズに進行し、無事に終わった。
放送終了後は帰宅していいと言われていた私と梨乃は、 矢嶋たちに挨拶をして廊下に出た。
階段を降りて一階へと続く踊り場で彼女と別れた後、私は二階にあるロッカールームへ向かった。
その途中の廊下の端に、ちょっとした休憩用としての長椅子が置かれているのだが、そこに男性が腰を下ろしていた。
すでにイベントは終了している。一般の見学者たちが残っているはずはがない。だから、社員の誰かがそこに座っているのだろうと思い、軽く会釈して通り過ぎようとしたが、その男性に声をかけられた。
「すみません」
「え?」
つい立ち止まってしまった。
彼はおずおずと私を見上げている。
「たぶんですけど、ラジオの電話の方ですよね」
足を止めなければよかったと、すぐに後悔した。なぜなら、その人はあのスーツの男性だったからだ。動揺しすぎて、彼のラジオネームをうっかり口にしてしまう。
「南風さん……」
「やっぱり!毎週電話で聞いている声だ」
彼は勢いよく椅子から立ち上がり、にこにこと嬉しそうに私の方へと近づいてきた。無意識なのか意識的になのか、私がこれから進もうとしていた側に立つ。
にこやかな笑顔の中、彼の目の奥にじとっとした光が揺らめいて見えて、私は首筋や背中にぞわりとした悪寒を感じた。梨乃との間で彼について話題になったことがあったが、その時軽く流してしまった彼女の言葉は、決して的外れなものではなかったことを理解する。早く彼から逃げた方が無難だと思えた。
「今日はイベントに来てくださってありがとうございました。すみません、私はこれで」
私は愛想笑いを浮かべて早口で言い、彼の傍を通り抜けようとした。
ところが南風は、私の進行方向を塞ぐように立つ。
「初めまして、南風です。あぁでも、電話では何度もお話しているから、初めましてでもないですかね。この前電話でも言いましたけど、今日のイベントではラジオスタジオも見学できるっていうことだったので、すごく楽しみにしていたんですよ。電話の方にも会えるんじゃないかと思って」
「はぁ……」
私は引きつった笑顔を作り曖昧に相槌を打った。大事な視聴者の一人だと思うと、あまり無下にもできない。
南風は歯を見せて笑う。
「いつも丁寧に対応してくださってありがとうございます。きっと素敵な方だろうなって思ってたんですけど、想像通りだったなぁ。これ、あなたのために買ったんですよ。受け取ってください」
「えっ」
彼が私の前に差し出したのは、手のひらに載るほどの小さな小箱だった。何が入っているか分からないが、もちろん受けることなどできない。
「いえ、結構です。私、この後も仕事がありますのでもう失礼致します」
私はそそくさとお辞儀をし、大回りに歩いて彼の傍を通り抜けようとした。ところが、彼に手首をつかまれてしまう。
「えっ、ちょ、ちょっと、あのっ、離して下さい!」
その手を振りほどこうと腕を大きく振ったが、貧弱そうな見た目に反して彼の力は強い。
「せっかくお会いできたわけなので、食事を一緒にいかがですか?素敵なお店にお連れしますよ」
「いえ、大変申し訳ございませんが、この後も仕事が山積みですので、ご遠慮申し上げます。とにかく、手を離して頂けませんか」
もちろん仕事など何も残っていないが、忙しさを前面に押し出して、彼の誘いを断った。
しかし南風は諦めない。私の手を離そうともしない。
「お忙しいんですね。だったら、お仕事は何時に終わりますか?終わるまで、この近くでお待ちしています」
「いえ、あの、お誘いはお受けできないという意味で……」
「そう言わず、食事につき合ってくださいませんか。さっきも言いましたけど、この機会に、是非お近づきになりたいと思っているんです。実は僕、あなたの声が好きでして」
「っ……」
梨乃が語っていた彼の印象はまさにその通りで、当たっていたようだ。
そしてこんな風に手をつかんだり、食事に誘ったりする彼の強引な態度に、私の限界も近かった。それまでの遠慮はもうやめて、私は彼をきっとして睨み、強く抵抗する。
「離して下さいっ」
「まぁまぁ、そんなこと言わずに、ぜひ」
彼は私の手首をつかんだまま笑った。にこやかだと思った笑みは、へらへらした締まりのない物にしか見えず、気持ち悪くてたまらなかった。
このフロアにある部署のほとんどのスタッフが、今頃はイベントの撤収作業に駆り出されているはずで、助けは期待できそうにない。どうやって振り切ろうかと思った時、頭に矢嶋の顔がぱっと浮かんだ。私たちがスタジオを出る時、彼はテーブルの上でペンを走らせていたから、もしかしたらまだラジオブースにいるかもしれない。
矢嶋さん、早く降りて来て――。
心の中で祈りながら、私は南風から逃れようとして、再び抵抗を試みる。
「いい加減にしてください。誰か来て!!」
このフロアに誰もいなくても、誰かには届くかもしれないと願いながら、私は声を張り上げた。
その時、階段を降りて来る慌ただしい靴音が聞こえた。はっとして目を向けたその先には矢嶋の姿があった。
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