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カップから立ち昇る香りが
会話の幕開けをゆるやかに告げた。
濃く淹れられたコーヒーの熱が
陶器の肌をほんのりと染めている。
円卓の中心には
レイチェルが運んできた
色とりどりの菓子が盛られた大皿が置かれた
苺をあしらった小さなタルト
ラムレーズンバターを挟んだサブレ
ナッツとキャラメルが乗った焼き菓子などが
まるで花畑のように華やかに並んでいる。
目にも楽しいその皿を囲むように
時也、アリア、アライン、ソーレン
そしてアビゲイルが各々の席についた。
最後にレイチェルが
ソーレンの横に腰を下ろす。
ソーレンはやや椅子を引き
彼女が座るのを何気なく手伝った。
無言ながらも、自然な所作に
アビゲイルは目を細める。
その傍らで、青龍が黙々と働いていた。
車から運び入れた荷物を丁寧に解き
お菓子教室で使った
金属のボウルや泡立て器
スケールなどを一つひとつ
洗浄し、拭き上げていく。
小さな体からは想像できないほどの
手際の良さと正確さで
動きにはまるで淀みがなかった。
時也はその様子に
ひと目視線を落としながら
アビゲイルの方へと向き直る。
「改めて、ようこそいらっしゃいました
アビゲイルさん。
彼女はレイチェルさん。
その隣は彼女の恋人のソーレンさんです。
皆⋯⋯魔女の転生者です」
丁寧で、けれどもどこか柔らかく
あたたかい紹介に
アビゲイルは緊張しつつも
礼儀正しく立ち上がり
スカートの裾を摘まんで小さく会釈をした。
「初めまして。
アビゲイル・キルシュナーと申します。
どうぞ、よろしくお願いいたします⋯⋯」
そして、視線を少し逸らし
ふと迷ったように言葉を継ぐ。
「⋯⋯時也様
あの子は⋯⋯御子息様、ですか?」
視線の先には
椅子に座らず器材を片付ける幼子──
青龍の後ろ姿がある。
最初に吹き出したのはレイチェルだった。
その笑顔は快活で
どこか懐かしさすら滲んでいた。
「あははっ!そう思うよね!
私も、初めてここに来たときは
青龍のこと、そう思っちゃったもん」
彼女は胸に手を当てて
ひとしきり笑ってから
目元を綻ばせて続けた。
「私はレイチェル・カメレリス。
よろしくね、アビゲイルちゃん!」
「ご丁寧に、ありがとうございます!
御子息様とは違うのですか?
では、あの子も、転生者という存在⋯⋯?」
戸惑いながら問い返すアビゲイルに
今度は時也が静かに応えた。
その声音には
敬意と深い絆が含まれていた。
「彼は⋯⋯
僕の一族に代々仕えてきた
〝式神〟という存在です」
アビゲイルの眉が、ふとわずかに上がる。
聞き慣れない言葉だった。
時也は、それに気づいたように
ゆっくりと説明を加えた。
「式神とは
霊的な存在を術によって定着させ
己の力の一部として扱うものです。
彼は元々、龍の姿を持つ精霊で⋯⋯
僕の家に
何代にも渡って仕えてくれています。
いまは、ある代償によって
幼子の姿を取っていますが⋯⋯
実はこの中で
アリアさんに次ぐ年長者でもあります」
アビゲイルは、視線をそっと青龍に移す。
その幼子の背に
何百年という時間の重みが
確かに重なっているように見えた。
だが、あまりにも信じがたい真実に
彼女はわずかに唇を開きかけて
言葉を失った。
時也はそんな様子に、ふっと微笑む。
「⋯⋯戸惑いますよね。
最初は皆そうでした。
ですが、少しずつ
この〝喫茶桜〟の在り方に触れるうち
きっと自然と馴染んでいけると思いますよ」
その声は
まるで古くからの友人に
語りかけるようだった。
アビゲイルの緊張した心が
そっとほどけていく。
彼女は頷きながら、心の中で呟いた。
(早く⋯⋯慣れねばなりませんね。
ここの一員となるためにも)
テーブルの上
コーヒーの香りがくるりと輪を描く。
それはまるで
新たな家族の輪が紡がれ始めた印のように──
優しく、温かく香っていた。
レイチェルが膝の上で手を打ち
ぱっと笑顔を咲かせた。
「ま、私もそうだったけど
時也さんの話は難しいし
ソーレンは言葉足らずだし⋯⋯
女同士、わかんないことあったら
気軽に私に言ってね!」
その朗らかな声に
アビゲイルは肩をぴくりと震わせた後
瞳を丸くし──
すぐに小さく頷いた。
「は、はい⋯⋯とても、助かります!」
その返答が嬉しかったのか
レイチェルは
小さく拍手するように手を打つと
隣のソーレンの腕に
頬を預けてにんまりと笑った。
「確かに
女性同士の方が話しやすいでしょうしね。
では、ここは
レイチェルさんにお任せいたします」
時也が柔らかく頷き
アリアもまた何も言わぬまま
目を伏せて静かに頷いた。
「で、アビゲイルちゃんって⋯⋯
どんな異能の転生者なの?」
レイチェルの質問に
アビゲイルは小さく肩をすくめるように
申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「あ⋯⋯わたくしも
自分に異能があったなんて
ついさっき知ったばかりで
何と説明していいやら⋯⋯」
「⋯⋯ああ、そういえばキミは
二階に行ってて、確かいなかったもんね?」
アラインが
口元にサブレを運びながら笑った。
サブレは中央にたっぷりの
レーズンバターが挟まれ
アラインの舌にちょうどいい甘さだったのか
満足げに目を細めている。
「その子は信仰の魔女の転生者。
キミにわかりやすく言えば
推せば推すほど
その相手に奇跡の強化バフを付与してくれる
優れものな異能さ」
「ふーん?」
レイチェルが頬杖をついたまま
興味深そうにアビゲイルを見やると──
その瞳が鋭く細まった。
「アラインの傍にいちゃいけない異能ね!」
アラインが口からサブレを吹き出しかけ
わずかに咳き込む。
「⋯⋯ほんとキミ⋯⋯
ボクに容赦ないよね?」
「だって、儲けるために
この子に色仕掛けでも何でも
しそうじゃない?」
一瞬の沈黙。
アラインは曖昧な笑みで
カップを口に運んだまま
話を逸らすように視線を泳がせる。
その仕草だけで
彼が〝図星を突かれた〟という事実を
雄弁に物語っていた。
その瞬間
アビゲイルの背筋に
ぞわりとした記憶が蘇る。
──森の中。
囁くような声、濡れた空気、そして──
(⋯⋯し、知らないのに、鋭すぎますわ⋯⋯
レイチェルさん⋯⋯)
スカートを撫でた指先
レースに触れたあの冷たい掌
膝へ這うような──
羞恥と怒りの熱が再び顔を赤く染める。
だが、すぐに脳裏に浮かんだのは
別の光景だった。
(ライエル様が
もし、あのようなことをなさったら──)
想像した瞬間
脳内の全てが解釈違いを叫んだ。
清廉なる推しに
あんな肉体的アプローチは似合わない。
もっとこう、手紙のやり取りとか
祭壇越しの視線の交差とか
そういう聖域的接触でなければならない──
(負けませんわ。
これしきの羞恥で
ライエル様推しの心は揺らぎません!)
強い意思を瞳に宿しながら
アビゲイルの口元がゆるりと緩む。
思考が妄想という神域に入った証だった。
その時
前方のソーレンがちらりと視線を向けた。
「⋯⋯なんだ?急にニヤニヤして⋯⋯」
訝しむ声に
アビゲイルは反射的に
ニコッと笑みを浮かべた。
その笑みは、あまりに純粋で
何の邪念もないように見える
〝訓練された顔〟
推し活で鍛えられた感情隠蔽スキルが
ここで華麗に発動された。
ソーレンは眉を寄せてしばし黙った後
はぁ⋯⋯とため息を吐く。
「やっぱ⋯⋯女ってよくわかんねぇわ」
そう言って再びコーヒーに口をつけた。
その言葉に、アビゲイルは何も返さず
にっこりと微笑んだままだった。
(⋯⋯やっぱり、アラインさん⋯⋯
彼女の気を引こうとされてましたか)
時也は黙っていたが
レイチェルの指摘にアラインが動揺した
その瞬間──見逃してなど無かった。
ふと視線を落としながら
静かにカップを傾ける。
その瞳の奥には
確かに何かを見透かす光が
微かに揺れていた。