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僕の名前を呼ぶ女子の声。それが背後から聞こえた。聞き覚えのない声だった。だけれど、それは違った。完全に忘却していた。
もちろん『あの出来事』のことを忘れていたわけではない。忘れるはずもない。だけど声までは覚えていなかった。あまりにもショックが大きすぎたからだろう。
「はい?」
返事をして、振り返る。そこには、今まで見たこともない程に美しく、可愛い女子がいた。控えめなダークブラウンの美しいセミロングの髪。整った顔立ち。まるでお手本のようなモードカジュアルな服装。
全てが完璧で、だけど全く嫌味を感じない美少女。
僕がしばし見惚れてしまう程に。
「あ、もしかして違いましたか? でしたら申し訳ないです」
「い、いえ、あ、あ、合ってます。但木です。た、但木勇気です」
やっぱり女性恐怖症は発動してしまうか。心野さんや音有さんと普通に喋ることができるようになったから、もしかしたら治っているかもと思っていたけど。期待をしていたのだけど。まあ今日に限っては武士みたいな口調にならないだけマシか。しかし、何故だろう。彼女から妙な既視感を感じる。
チラリと心野さんを見やった。どうしてなのか、警戒心のようなものが伝わってきた。これは彼女に対してのものなのだろうか。少なくとも、今まで感じたことのない心野さんの感情。それが僕に流れ込んできた。
「あ、ごめんなさい、名前まだ言ってませんでしたね。凜花です。早乙女凛花と言います。中学時代に同じクラスになったことはないですけど」
「り、凜花さん!!?」
その名前を忘れるわけがない。それこそ、一生。僕が女性恐怖症になった原因の一人なのだから。
その名を聞いて、知って、身構える。そして思い出す。『あの日の出来事』について。だからだろう。僕は無意識的に険しい顔になった。
しかし、既視感を覚えた理由は分かった。中学生の頃よりも大人っぽくなっていたから気付くのが遅くなったけど。
「……そうですよね、そんな顔になっちゃいますよね」
「う、うん……まあ……」
「あの時は、本当にごめんなさい。いえ、許してもらえるだなんて思ってません。私は一生、十字架を背負って生きていく、そう決めています。だけど、どうしても但木くんに伝えたいことがありまして。それで声をかけさせてもらいました」
十字架を、背負って? 少し頭の中が混乱してきた。僕は『あの日の出来事』をできるだけ詳細に思い出す。そうだ、あの時の凜花さんの表情は曇っていて、とても辛そうな顔をしていたんだった。でも、どういうことだ? 理解が追いつかない。
「あ、ごめんなさい。但木くん、今デート中ですよね。……ご迷惑ですよね」
僕は心野さんの様子を伺う。首を横に振っている。大丈夫、という意味だろう。そう、僕は捉えた。だけれど、それは間違いだった。僕は凜花さんと喋ることを拒否するべきだったんだ。
「と、とりあえず、は、話を続けてもらっていいですか?」
「はい……ありがとうございます。但木くんにはずっと謝りたくて。あと、伝えたいことがあって。罰ゲームとはいえ、私は最低なことをしてしまいました。それが原因で、但木くんを女性恐怖症にさせてしまった。ずっと、ずっと、悩んでいました。泣いていました。全ては私の弱さが原因です」
僕はあえて言葉を発しなかった。凜花さんの言葉の続きを待った。その間に、僕は頭の中を整理する。弱さが、原因――?
「罰ゲームをさせられた理由は、言い訳にしかならないので言いません。ただ……ただ! どうしても伝えたかったんです」
「伝えたかった……」
「こんな所で言うことではないかもしれません。それは分かっています。だけど、あの時の告白。但木くんに言った、私の言葉。あれは私の本心でした」
「……ほ、本心?」
今日会った時の凜花さんは若干俯き加減だったけど、今は違う。真っ直ぐな瞳で僕を見つめ、その瞳の奥底に何かを訴えてくるような、そんな瞳だった。
「私は、但木くんのことが好きでした!! 一目惚れでした!! 入学式の時に但木くんのことを見てから、ずっと、ずっと、ずーっと好きだったんです!! 私の初恋でした。なのに、私……」
「僕のことが、好きだった……?」
彼女の目を見れば分かる。この言葉が嘘ではないことが。
「だけど――」
凜花さんが続けて言葉を紡ごうとした時、心野さんが僕の袖を引っ張った。さっき取った景品のぬいぐるみをギュッと力強く抱き締めながら。
「た、但木くん、ごめんなさい……。ちょっと具合が悪くて。申し訳ないけど、先に帰ります……」
深く俯きながら、小さな声で心野さんは僕にそう伝えた。
「具合が悪いって、だ、大丈夫!? いや、心配だから家まで送るよ!」
「いえ、大丈夫です」
「そう言われても心配なものは心配なんだよ!」
「ありがとうございます。でも大丈夫です。それに、今は一人でいたくて」
「一人でいたい? いや、今はあえて訊かないけど。で、でも――!!」
黙ったまま首を横に振り、心野さんはもう一度、力強くぬいぐるみを抱き締めながら店外へと向かった。そして、心野さんの背中を見て、不思議と分かった。
彼女は今、泣いているのだと。
『第三章 章末』