テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
100 ◇針の筵
「今すぐ、お茶淹れますね。
今日はね、ふたりともちょうど家にいるの。良かったわ」
『茜~、淳平~、降りてらっしゃい。お父さんが来てるわよ』
百子が気を利かせて子供たちに声を掛けてくれたが
俺は心中穏やかではいられなかった。
娘が中学生になったばかりの年に俺は妻もろとも子供たちをも捨てて
家を出て行った身。
息子においてはまだ小学生だったのだ。
仕事にかまけて家族サービスもほとんどしてなかった上での、母親を裏切り若い女に
うつつを抜かして家族を捨てた父親。
それが俺だ。
どの面下げて子供たちに会えるというのか。
こんなことなら突撃せずに子供たちのいない頃合いを見計らって
百子と会うべきだったと後悔が走る。
すでに家を出て7年余りの時が過ぎている。
俺が出されたコーヒーを啜っているところでちょうど娘と息子のふたりが
二階から降りてきた。
「ほらほらふたりとも、お父さんにご挨拶して!」
そんなふうに百子がふたりに声を掛けた。
そして……
「久しぶりだから、ふたりとも照れてるのよ~」
と俺に向けて俺と子供たちの橋渡しをするための言葉を掛けてくれた。
「「こんにちは」」
「久しぶりだな。茜はもう大学生なんだってな。
淳平は昨年大学受験だったんだろ?」
「僕は運よく推薦枠で行きたかったところに受かって通ってるよ」
「そっか、よかったな。おめでとう」
「どうも……ありが……」
息子の声の最後は尻つぼみにはなってしまったがなんとか息子との会話が
成り立ち、俺はほっと胸を撫でおろした。
「茜、大学のほうはどうなんだい?
下宿してたりするのかい?」
「うん、自宅から通えなくもないんだけど遠いから一応部屋は借りてるよー。
でも絶対土日と授業が早く終わる日はここに帰って来てる。
お母さんのおいしい手料理が待ってるもん」
「そっか、お母さんは料理上手いからね」
娘があっけらかんと俺に普通に話しかけてくれる。
だからと言って俺のことを許したりはしていないだろうなぁ。
子供たちと話す間中もこれまでの自分の許されない所業が頭から離れず
平静を装ってはいるものの、針の筵に座らされている感が半端ない。
「淳平は一般入試を受験する予定だったんだけど昨年初めての学科枠推薦の話が高校にきて、
それがちょうど淳平が受けたかった大学で、嘘みたいだけど……ほんとに淳平は良い運に
恵まれてね。
茜も大学近くに部屋は借りてるけど、週に3~4日はここに帰って来て
いろいろと私の手伝いやらしてくれて助かってるの」
百子が穏やかな暮らしぶりを説明し教えてくれる。
さて持参した金の入れてある封筒をどのタイミングで渡そうかと
思案していたら、チャイムが鳴り百子が席を立ってしまった。
近所の人らしく玄関先で立ち話が始まった。
さて彼女を待つ間子供たちにどんな話題を振ればよいのやら、困った。
101 ◇伸之と家族
どんな話題を振ろうかと思案していると、娘の茜のほうから話を
振ってきてくれた。
「お父さん、名前何ていうんだっけ?
おチビちゃんは元気にしてるのかな」
一瞬誰のことを訊かれてるのかわからなかった……が、
あぁ翔麻のことかと気付いた。
茜は翔麻の存在は知ってはいても一度も顔合わせはしていない。
世間話として話を振ってくれたのだ。
しかし……。
「百合子が連れて家を出て行ったからね、まぁ元気にしてるんじゃないだろうか」
「えっ、百合子さん、家を出てるの?
それってお父さんの会社が駄目になったことと関係あるの?」
「ははっ、そういうことになるかな。
潰れる前に出てったさ」
「酷いね~」
『私たちからお父さんを略奪までしておきながら……』
そう口から出かかった言葉を茜は飲み込んだ。
そして今の父親の状況がおぼろげながら、しかしはっきりとした形で
見えてきた。
茜は前回父親が尋ねて来た折にたまたま部屋にいた。
だから百子からはこれまで何も聞かされてはいないが父親が困窮して
お金の無心に来たことは知っている。
だが父親がその後仕事を得て働いていることも、僅かばかりだが返済のため
今回家を訪ねたことも知らない。
なので今目の前に座る父親が何故我が家を訪ねてきたのか、
予測という名の検討を付けるしかなかった。
『またお金を借りにきた?』
そんなことしか思いつかない。
元々我が家にあるお金は母親への慰謝料やら自分たちの養育費として父親が
支払ってくれたものだということは認識しているので、捨てられたという
遺恨はあれどもそのことに関して不服はない。
どんなことを話せばいいのか話題もない中で脳内のコンピューターから出てきた
言葉の羅列を眺めてみるに、私たちを捨てて若い女に走った父親……困窮しそうに
なると父親と共に苦労することを選ばず泥船からいち早く脱出した小狡い女……
その後二度も元妻の住む家を訪ねてくる父親……。
ふむぅ~、何が見える?
何か話を振らなければならない父親を前に、あまり考える時間はない。
必死でどのような話題を振ろうかと思案していると、今まで黙っていた
淳平が父親に話し掛けた。
102☑◇息子からの励ましが胸に染みる
「お父さん、逃げてった奥さんって随分と薄情な人なんだね。
あれだよ、時代ごとの運気みたいなのも周期的に上下するし、金融もそう、
人生もそうらしいよ、山あり谷あり。
お父さんは今少しばかし低迷してるけどまた上昇していくよきっと」
「淳平に励まされるとは、有難いな」
「ところでさ、お母さんは今すごい上昇気流だよ。
ねっ? お姉」
淳平ったら、何を話し始めようとしているの?
それとも私に話させようと言うのか……う~ん見えない。
奴の本意が読めない~。
「ほう~、上昇気流ってことは何かいいことあったのか」
「お姉の大学卒業を待って結婚するんだぜ」
「結婚って、お母さんがか?」
「お母さんが若い恋人出来てたなんて、聞いた時ほんとに吃驚したわ」
「若い恋人? ほんとに?
働いてたってことはちらっと聞いたけどあれか、同じ職場の人なのか」
お母さんに恋人がいるってことを話したのはいいけど、淳平もお父さんに
話したことで変なテンションになっちゃって、ちゃんとお父さんの質問に
答えられないみたい。
しばらくお父さんと同じで私も淳平の説明を待ってたけど少し息苦しそうだ。
しゃあない、それではわたしめが話そうか。
「お母さんが働いてたっていうのはちょっと訳ありでどこかに
勤めに出てたってわけじゃないの」
「……」
「お父さん、嫌味じゃないからそれだけは分かって私の話を聞いてね」
「わかった」
「やっぱりね、お父さんが家を出てっちゃってお母さん
淋しかったのかもしれない。
私も後から知ったんだけど、しばらく小説書いてたらしいの。
それも小説を書きたくてたまらないからという理由ではなくて、
淋しさや不安とかマイナスの感情を捨てるために小説を書いたって
言ってた、お母さん。
『一心不乱に書きまくったのよ』って言ってた」
コメント
1件
読ませてもらったよー!「針の筵」ってタイトル、まさにその通りの空気感だった。父親の後悔と申し訳なさがひしひし伝わってきて胸が苦しかったわ。でもそんな中で淳平が励ましたり、茜が気を遣って話を振ってくれたり、子供たちの優しさにじんときた。しかも百子さんに恋人がいるってオチ、全然予想してなかったから「えっ!?」って声出たよ。淋しさを紛らわすために一心不乱に書きまくってたっていうエピソードも深いなあ…。続きすごく気になる!
設楽理沙
981
空蝉 桜
136