テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
(誰……?)
羽理がそう思ったのと同時。
「たいくん。土井さん――貴方の伯父さんが言ってたの。私、貴方の好みのタイプだって。土井さんも乗り気だったって。だったら何で私、お見合いを断られたの? 散々待たされた挙句、たいくんからは何も言ってくれなくて……土井さんから電話が掛かってくるだけとか、酷すぎるよ! 私、たいくんに会えるの、ずっと楽しみにしてたんだよ!?」
悲痛な女性の声が聞こえてきて、大葉の腰に回されたその人の腕に力が込められたのを目の当たりにした羽理は、ヒュッと息を詰めた。
(イヤだ、大葉に触らないで!?)
そう言いたいのに、喉の奥が押しつぶされたみたいに苦しくて、声が出せない。
キュウリの甲高い吠え声は、羽理にはそんな自分の気持ちを代弁してくれているみたいに聞こえる。
だってよく見てみると、キュウリは二人の周りをぐるぐると駆けまわりながらも、吠え付いているのは女性の方にだけなのだ。それが、羽理にはたまらなく頼もしかった。
「……杏子」
こちらに背中を向けていても……。キュウリがそばでワンワン吠えたけっていても……。そんなに大きな声を張り上げたわけではない大葉の声が、羽理には嫌になるぐらいハッキリと聞こえてくる。
(ねぇ大葉。ひょっとして貴方はその人と旧知の仲なの?)
低くて耳触りがいいはずの大葉の声が、酷く不快に感じられたのはきっと、大葉が彼に抱き付いている女性――恐らくはお見合い相手――のものと思しき彼女の名を、どこか親し気な様子で呼んだからだ。
「見合いの打診もらったのに……ずっと放置したまま連絡しなかったのは悪かった。言い訳に聞こえるかも知んねぇけど……俺は見合い相手がキミだって知らなかったんだ」
大葉が、言いながら杏子と呼び掛けた女性の腕をやんわり振り解いたのが見えた。
そうしながら、目の前の女性を気遣うように言葉を選んで話している様子の大葉に、羽理は胸が張り裂けそうにチクチクと痛んだ。
(ねぇ大葉。最初からお見合い相手が彼女だって知っていたらどうしていたの? ――もしかして、断らなかった……?)
その忖度が大葉の優しさなのだと理解は出来るけれど、そんな不安に苛まれるあまり、羽理はいっそのこと『放せ』と冷たく言い放って、彼女のことを突き飛ばして欲しいと思ってしまった。
(ヤダ。……私、すごくイヤな女になってる……)
自分にするみたいに、大葉が彼女の背中へ腕を回していなかったことは一目瞭然で……。それだけでも自分の方が〝杏子〟さんとやらより大葉から優遇されているのは明確なのに。それでもこんなに不安になって、杏子さんが大葉から傷つけられるのを望んでしまっている。
――こんなの、人として最低じゃない!
ズキズキと痛みを訴えてくる胸のところをギュウッと掴みながら、羽理は大葉起因のこの胸の痛みや動悸のことを、心臓の病気だと思っていた頃を懐かしく思う。
あの頃ならばきっと、こんなシーンを見せられてもここまで辛くならなかったはずだ。
「もう、イヤ……」
ポロリと涙をこぼしてそうつぶやいたと同時。
大葉が「けどごめん。伯父さんが期待させるようなこと言って悪かったとは思うけど……俺にはもう心に決めた女性がいるんだ。……だから、キミとはどうこうなれない」と杏子をハッキリと拒絶して……。キュウリが少し離れたところへ立ち尽くしたままの羽理に気付いて、尻尾を振りながら駆け寄ってきた。
***
今の今まで足元でキャンキャン吠えていた愛犬キュウリが、ふと何かに気付いたようにぴたりと吠えるのをやめて駆け出したことに、大葉は思わず意識をそちらに囚われて。
見るとはなしにキュウリの動作を追って背後に視線を向けて、三メートルばかり離れたところに羽理が立っているのに気が付いた。
「羽理……!」
大葉より一足早く羽理の足元へたどり着いたキュウリが、嬉しそうに彼女の足元で尻尾をブンブン振りながら、撫でられ待ちをするみたいにお座りをして羽理を見上げている。
杏子への塩対応が嘘みたいに羽理へ甘える愛娘の態度に、大葉はキュウリも自分のパートナーとして羽理を認めてくれているような気がして何だか嬉しくなった。
思い返してみれば、キュウリは初めましての時から羽理には吠え付かなかったな? と、今更のように気付かされる。
実家へ来るまでの道すがら、散々アレコレ思い悩んでいたくせに、羽理と彼女に懐く愛犬の姿を見た途端全てどうでもよくなって……。ただただ羽理を腕の中へ抱き締めたい! と思った。
大葉がその衝動に突き動かされるみたいに一歩足を踏み出したら、「ヤダ! たいくん、行かないで!」と杏子に右腕全体を抱き締めるみたいに掴まれて――。
それを見た羽理が、居た堪れないみたいに眉根を寄せて、フイッと大葉から視線を逸らした。
そればかりか、クルリと向きを変えて大葉から逃げたいみたいに歩き始めてしまうから。
「――っ!」
大葉は羽理以外のことなんてどうでもいいと思ってしまった。
つい今し方までは、伯父からの不用意な発言で変な期待を抱かせてしまった杏子のことを、――それこそ全く知らない間柄じゃないという気持ちも手伝って、これ以上傷付けないで遠ざけるにはどうしたらいいかと考えて行動していた大葉である。
だけど、今このタイミングで自分に触れてくる羽理以外の異性に割ける気遣いなんて、申し訳ないけれど持ち合わせていない。そんなことを許して愛する羽理を傷付けてしまうことの方が、羽理以外の誰かを傷付けるより何億倍も回避しなくてはいけないことに思えた。
「放せ」
杏子を腕から引き剥がしながら、自分でもびっくりするぐらい冷たい声が出て、それを聞いた杏子が怯んだみたいに大葉から離れる。
大葉はそんな杏子を気遣うゆとりもないままに、今にも駆け出してしまいそうな羽理の元へと急いだ。
背後から、杏子が「たいくん!」と泣きそうな声音で呼び掛けてきたけれど、不思議なくらい罪悪感の欠片も芽生えてこなかった。
見れば、家の前には柚子と母親が立っていて、大葉が杏子と一緒だったことに驚いているみたいに瞳を見開いていて――。
羽理はそんな二人さえ避けたいみたいに裏庭――畑の影の方へ向いて走って行ってしまう。
コメント
1件