言いようもない感情から離れられなかった。考えることをやめればいいものを周回する毎日だ。されどくだらない毎日、毎(ごと)の日と書いて毎日。そのくせ変化するそれこそが毎日。絶望と私は隣り合わせで切っても切れない縁なのに。なのに誰かは、生きろと言った。
日記を書いていた。辛いことを、嬉しいことを、忘れたくないことを書きたい時に書くのが、私の日記だった。自由をこよなく愛している。養ってくれる両親には大切にしまわれて生きていたから私には世間がわからなかった。駄目と言われるとどうしても疼くのが人間。約束を破って叱声を浴びるのは平常。その表情を見る度に怯えていたくせに私は自分の好奇心を抑えられなかった。それでも諦める時は何度も訪れた。反面、辛い記憶や嫌悪の記憶は寝ている間に少しずつ引き取られていくものであった。だから何度も性懲りも無く繰り返した。馬鹿馬鹿しいと思いながらも思うがままに動いた。最盛期だろうか。自分の意思を持っていた幼心が、今ではすっかり恐怖心に覆われている。自分が臆病者だと気づいたのはかなり後だった。単なる心配性は只の小心者。諦めることに抗わなかった私はまさにそう。今もそうなのだから。叱られるということは、否定されること。恐れていたのはそれだ。何度も何度も怒られた中で一等記憶に残っているのは駐車場の車内で後方を見て運転をする母が言った「育て方を間違えた。」その一言。その時の自分の気持ちや目線全て鮮明に覚えている。こんなものは詩的な比喩的表現だと思っていた。違った。結局言われる側ばかり覚えるもので、言った側にはなんの意味もないのだ。無意味であることに気付いたからと傷が治るわけではなかった。その一言を言わせるような自分に嫌気が刺したのは当たり前。そんな一言を子供に浴びせた母に反抗の意を抱いたことも当たり前。それなら私が必死で笑ったことは当たり前か。嘘の笑顔が得意になったのだ。何度も泣くうちに、泣くなと言われるうちに、それなら笑って受け流すという技を身につけた。独学ではあったがなかなかの腕前だと思う。嘘をつくことが当たり前になればなるほど今の私は空っぽになったのだ。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!