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keitaさんhttps://teller.jp/user/XvzGOnnokzY5AsBWbHzeOYUJORz2 に前半部分を書いて頂きました。ありがとうございます。
含まれる要素
欠損 軽微なホラー要素
幽霊の見える? ハル×深影
赤いライトが明滅する。ハルの目はもう順応を諦めていて、視界の全てが派手なハレーションを起こしていた。
針のような雨が降る。血が流れているせいで、水滴が痛いほど冷たく感じた。アスファルトに倒れているのに、三半規管がグラグラ揺れている。
遠くで人が叫んでいる。ふっと痛みが戻ってきて、過去の嫌な記憶と結びつく。
ハルは歯を食いしばり、最後の力で目を閉じた。
深影さんが心配するな、と思った。
巨大なコンパスがものすごい勢いで病院の廊下を走っていく。深影は普段の冷静さをかなぐり捨て、ハルの元へ急いだ。交通事故だと聞いていた。籍を入れていないせいで、深影に連絡が来たのは手術が終わり、ハルが意識を取り戻してからだった。
荒く息を吐くと消毒液の匂いがした。その奥にむっと立ち込めるのは絶望の気配だ。美しい顔をクシャリと歪めて、深影は病室の扉を開けた。
「ハル!」
ハルは重たそうに瞼を開けた。「ぁ、みかぇ、しゃ……」と麻酔の残る口でむにゃむにゃ言う。痺れたまま嬉しそうに笑うせいで、頬の片方が引きつって見えた。
「ハル、はる……。心配した、良かった、生きてて……」
「ぁい。しゅいまぇん、ぉんな、ことに……」
「……事故って聞いたよ。お前は悪くないでしょ。本当に、命があって、よかった……」
全力で走った体にどっと疲労が押し寄せる。深影は床にべたりと座り込んで、真っ白なベッドに頭を預けた。ジワジワ顔に熱が集まって、目からポロリと涙がこぼれる。歪んだ視界に凹んだシーツが見えた。
ハルの左足があるはずの場所だった。
「……痛かったね。ごめんね、ハルの傍に居れなくて」
「ぅあ」
ハルは何かを言おうとしたが、舌が回らなかったらしい。点滴をつけたままの腕を伸ばして、深影の髪に触れた。愛おしそうにノタリノタリとくし削り、頭の丸みに沿って手のひらを乗せた。血を失ったハルの手は冷たかった。それでも、四角い、ゴツゴツした、いつものハルの手だった。
「ありがと……」
「ん。ぉいら、こそ」
「……ふふ、おいら?」
「こぉー、ぃー……」
「あはは」
深影は努めて笑った。無機質な病室が少しでも明るくなればいいと、ハルの手を握る。
ハルは眠そうに、また「ごぇん、らさぃ」と言った。
「どうして謝るの? 辛いのはハルでしょ」
「でも、ぉれの、じごー、じとく、らんぇ……」
ハルの瞳が左右に揺れて、瞼が落ちた。手から力が抜ける。深影は胃に氷を詰め込まれた心地で、慌ててハルの顔を覗き込んだ。
細く長い呼吸音が聞こえた。体力の限界で眠っただけのようだった。強ばった肩から力を抜いて、シーツにため息を吐く。
怖かった。ハルを失うのも、それを知らされない可能性も、ハルがこれ以上苦しむのも。
眠るハルは魘されていた。少しでも夢見が良くなれと、深影はハルの頬を撫でた。
小ちゃなハルくんは困っていた。幼少期の話だ。嫌なお父さんと、嫌なお母さんをまだキチンと憎めなかった頃。
お母さんはハルに毎日お弁当を作ってくれた。栄養バランスを考えて、ハルが健康になれるように、素敵な大人になれるようにと願いの籠ったお昼ご飯だった。ただ、母の思いは空回りしていた。
ハルはどうしたってピーマンが食べられなかったし、甲殻類を食べると口の中が痒くなった。トマトも人参も食感が苦手で、それでも毎回お弁当に詰められていた。塩分を控えた料理は素材の味を誤魔化してくれない。真っ白なお米だって、小さなハルには拷問に思えた。母は残すと大きな声で泣くのだ。腕を振って、お弁当箱を投げて、嵐が来たような有様になる。
ハルはいつからか、お弁当の中身捨てることを覚えた。幼稚園の片隅に穴を掘ってプラスチックの箱をひっくり返す。ずっと同じ場所に捨てているから、その一角からは酷い臭いがするようになった。腐った母の愛情に蛆虫が湧いて、ハルはその虫を一つ一つ潰して隠した。下半身を失っても蛆はビクビク身を捩り動いていた。事故に遭った、今のハルみたいに。
――因果応報。自業自得。きっとあの時殺した虫の呪いだ。
月の光が差し込む。ハルはふっと目を覚まして、深影と別れることを決めた。不幸が列を成している予感があった。
深影には笑っていて欲しい。愛する人の幸せを願い、間違えた母の顔が思い浮かぶ。
死んだら良かったな、と思った。母のことなのか、父のことなのか、自分のことなのか。ハルには分からなかった。
医者の話によれば、現状ハルの足がくっつくことは絶望的らしい。深影からすれば、あげられるならいくらでもあげたかった。足も、血液も、命だってあげたい。無くなってしまったとなれば、ハルが酷く悲しむのは百も承知だが。とにかく、深影はハルのために動きたかった。そうでなければ、頭がおかしくなりそうだったから。
ハルが事故に遭ったあの場所は、数年前にも大きな事故があったらしい。昼間でも何となく暗い道だった。オカルト話なんか自分ですら信じないのだから、ハルなんかもっと信じないだろうな、とため息を吐いた。
たまたまその日通った場所がたまたまホラースポットで、たまたま界隈じゃ有名で、なんて、誰が回避できるのだろう。
少なくとも、深影は相手が何者であろうが、ハルに一瞬でもあんな顔をさせた相手は生かしておけなかったし、バカは死んでも治らねえのか、とも思った。
住宅街から少し離れた、林道に面した道路。そこが事故現場だった。空気は冷えていて、何となくここに居たくないな、という感じがした。
「えーっと、」
居る。視界の端。正面で捉えると見えないが、カーブミラーの少し横。
「ねえ、返してくれない?俺のかわいい恋人なんだよね」
気配は何も答えない。代わりに、手のようなものが伸ばされる。物乞いのようなその手は、寂しそうに、悲しそうに伸びていた。
深影の中で何かが繋がる。ハルは見て見ぬふりが出来なかったのだ。いつもであれば、「知らないです」で済ませられたのだろう。伸ばされた手はあまりに小さくて、形の無いものを欲しているように見えた。その像を自分と結んでしまったせいで、愛と称して身体の一部を持っていかれたのだろう。
実に、憎たらしい。
怒りのまま、深影はその手を思い切り踏みつけた。実態の無い存在が、まるで痛みを訴えるかのようにのたうつ。
「何痛そうにしてんの、お前死んでんだろうが、なあ、奪ったくせに何一人前に人間アピールしてんだよ、おい。」
ハルと比べて、深影は優しい人間ではなかった。誰かに同情するのも、されるのも嫌いだったし、お前に何がわかるんだ、と思った事だってあった。本当は、あの子の欲しがるものをあげて、未練の無いように送ってやるべきだと、頭では理解ができる。けれど、奪った相手が悪い。ハルの遠い日に追いやった欲をチラつかせて、その上で、不意打ちみたいに奪ったのだから。
相手がガキだろうが化け物だろうが、絶対にこうすると決めていた。お前のことなんか誰も愛していないし、真の意味で二度死んで貰わなければ納得ができなかった。
「返さねえならこのままぐちゃぐちゃにして殺すけど。地獄に落ちるのは俺もお前も同じだからな。今更気になんかしねえよ」
小さな影は、山林へと帰って行った。怖い大人に怒られた、小さな子供のようだった。
手には小さな弁当箱が握られていた。背丈も当時のもので、ああ、ついに夢にまで見るようになってしまったな、と、ぼんやりと思った。
いつもの場所にしゃがんで、中身を返そうとして、自分に影が差したことに気づいた。大きい、黒い影。その人には見覚えがあったけど、誰だか思い出せなかった。
「えっと、おにいさん、だれ?」
「うーん、誰だろう。でもね、ハルを迎えに来たんだよ」
「おむかえ?」
「そう。ハル、そのお弁当一緒に食べよっか」
「でも、ぼくたべれないのいっぱいあって、のこすとままがおこるから、」
「そっか」
目の前の男はハルから弁当を受け取って、ピーマンと人参、トマトとエビのグラタンだけ綺麗に平らげた。
「はい、これなら食べれるでしょ」
「わ、」
初めて、初めて弁当箱が空になった。それでも罪悪感が残る。幼いながらに、その弁当の意味を知っていたから。
「おにいさんにたべてもらった、ってしったら、ままおこるよね」
「めちゃくちゃ怒るだろうね。だから迎えに来たの。いい?ハル。ハルと俺は今共犯なんだよ」
「きょー、はん?」
「一緒に悪いことしたってこと。だけどね、ハル、ハルのそれは、逃げていいんだから。逃げらんないなら俺が一緒に逃げてあげる」
「?、よく、わかんないかも」
「はは、だよね。でもね、こうやって一緒に居ることはできるし、あんたが本当に欲しかったものを、俺に伝えてよ。だからさ、こうやって自分の感情まで埋めるのも、今日でおしまい。」
ハルの瞳から、ぽたぽたと涙が落ちた。いつの間にか身体は元に戻っていて、男の顔がより近くで見えた。夢だとしても、その愛おしい人の名前を、呼びたいと思った。
「深影さ、」
「はあい」
飛び起きたと同時に、横から声が聞こえた。深影は横でリンゴを剥いていて、皿に並べていた。うさぎだ。幼い頃、母に作って欲しいと思いながらも、して貰えなかったリンゴのうさぎ。
「食べな」
「ありがとう、ございます」
うっかり名前を呼んでしまったこと、それから、この後どうやっても、別れ話を切り出すべきなことを思い出して陰鬱になる。手を、離すべきだ。だけど、
「ねえ」
「は、はい」
「二度とああいうところ行かないで」
強い、声だった。否定を許さない声色がそこにはあって、恐らく自分があの存在に反応してしまったこともお見通しなのだろう。
「わ、かりました。」
「その件、もう俺が何とかしといたから」
「え、」
何とかとは、なんだろうか。
「だから俺から離れようとするとか、自分のいない所で幸せになって欲しいとか そういう考え本当にやめてね」
「なんで、分かるんですか」
「ハルの顔見たら大体分かるよ。それに、その寂しさやら苦しさって、1人で埋めないようにって、約束したでしょ」
付き合うことにしたあの日、確かに決めたこと。お互いに寂しいことも、辛いこともあって、抱えられる重さじゃ無かったから、一緒に分けると決めたのだ。
「勝手なことしてごめんなさい」
「いいよ、ハルが本気で考えてくれたの分かってるし」
深影は立ち上がって、ハルのおでこに口付けた。久しぶりの感覚で、冷えきっていた心に暖かさが戻ってくる。
「あ、あとね、その足治るって。良かったね」
「あ、え?」
「確かに絶望的状態だったみたいだけど、ちゃんと調べ直したらくっつきそうなんだって。俺も安心した」
「そう、なんですね 良かったです」
自分の全ては深影のものだと思っていたから、失った時、どうしようかと思った。他の存在に取られてしまって、その事実が罪悪感としてのしかかった。だからこそ、離れるべきだなんて思ってしまったのかもな、と思い返す。痛いものは痛いし、思い返せば辛いこともあるけれど、深影さんがいるなら良いか、と深影の手を握った。
例の林道に、花を片手に蛇草深影は立っていた。カーブミラーの下に花を添えて、子供の好きそうなお菓子を置いて、あとは、開けたばかりのタバコをそのまま一箱くれてやった。
「なあ、二度と奪うなよ。」
どこか遠くで、嬉しそうに笑う子供の声が聞こえた気がした。