1週間ほど経つうちに、俺はだんだんとあの日、必要以上に感情的になって彼にピアスを投げつけて逃げてきてしまったことを後悔し始めていた。しかし、それと同時に、あれ以降なんのアクションも起こしてこない彼に対する苛立ちも募っていた。意地を張る気持ちもあり、向こうから連絡が来るまではなんの連絡もしてやるものかと決めていた。
その日の三限は冬休み明け初めての学部必修の授業で、講義室で俺の姿をみとめるなりミズノは駆け寄ってきた。
「なぁ涼ちゃん、大丈夫?」
心配が前面に押し出された表情に、あぁシュンがあのことを2人にも伝えたのだと察する。俺はつとめてなんでもないふうを装って
「え?なにが?」
と返すと
「クロ、留学決まったって……申し訳ないけどバンド活動も休まなきゃだからって一昨日連絡もらったんだ。涼ちゃんはもともと知ってた?」
俺は黙ってかぶりをふる。
「僕もこないだ聞いたとこ、なんかびっくりだよねぇ〜」
なんとかやわらかい口調を保とうとするが、声が少し震えてしまった気がする。何か言いたげに口を開きかけたミズノの視線が俺の耳元に釘付けになる。おそらくピアスが付いていないことに気づいたのだ。俺たちが恋人関係にあることはメンバーにも知らせていなかったが、お揃いのピアスのことは特に隠していなかった。それきりミズノはシュンのことに触れなかった。講義の課題のこと、冬休み中に親戚の集まりに行ったら従兄弟が結婚していて子供まで産まれていたこと、初詣のおみくじは小吉だったこと。ミズノは気まずさを打ち消すように次から次へと色んな話をしてくれる。あれ、そういえばあの大吉のおみくじは、どこへやってしまったかな。
「そういえばさ、大晦日の寒波が凄かったろ」
「そうだったの?」
「そうだったんだよ、長野のが寒かったとは思うけど、こっちもすごくて……なんと雪が降ったんだよ!ニュースにもなったよ、みなかった?」
見たような気もするし、見ていないような気もする。今年の正月をどう過ごしていたか、なんだかうまく思い出せなかった。
「さして積もらなかったし、元日の日中はあったかかったから直ぐに消えちゃったんだけど、こっちで雪なんて珍しいからさ〜超テンションあがったよね」
へぇそうだったんだ、と俺は相槌を打つ。そういえば愛知県の海沿いの町に生まれたシュンは、雪が積もったところをまだ見たことがないと言っていた。いつか冬の長野に雪を見に行きたいとも。東京の雪を彼は見たのかな、とふと思った。
その日の夜、みっちーから着信があった。たまたまバイトもなく家にいた俺はそのまま電話をとる。
「あぁもしもし?わりぃね、文章にするより話したほうが早いやろなって」
いつも通りの関西訛りののんびりした口調。シュンのことだろうと予想を立てていたため、焦った感じか深刻そうな様子を想定していたために拍子抜けする。大丈夫だよ、と返すと、電話口の彼は少し困ったように笑ってから変わらない口調で話を続ける。
「だいたいのこと、シュンから聞いたんよ。それで藤澤に渡してほしいって預かりもん渡されそうになって、でも直接渡しやってはねのけたから、そのうちあいつから連絡来ると思うんやけど」
藤澤、と少しだけその声色に真剣さが帯びる。
「お前ら二人、絶対話さなあかんよ。意地はっとったらダメやで。……俺は詳しいことはなんもわからんけど、関わり持った以上はお節介焼いてしまうんや」
俺はちょっとだけ笑う。多分シュンが渡したがっているのはあの日投げつけたピアスだろう。みっちーに礼を言ってから電話を切り、しばらくスマホの画面を眺めていたが、このままもやもやして時間を無駄にするくらいなら、と思い切ってシュンに電話をかける。コール音、1回、2回、3回、4回……。切れてしまうかも、と思った瞬間に
「っ、もしもし」
慌てた様子のシュンの声が聞こえた。
「もしもし……急にごめん、でもさっきみっちーから連絡あって」
「いや、こっちもかけようと思って……ちょうど、その」
言葉を濁す彼。おそらく迷ってなかなか動けずにいたのだろう。そうだ、彼は、何をするにも器用にこなすのに、人に対しては頗る不器用なのだ。こちらからかけてしまって正解だったな、と少し心が軽くなる。
「明日、会えないかな」
シュンの申し出に俺は頷く。明日は講義がないことを伝えると、自分は4限があるからその後に家に行ってもいいかと聞かれる。
「分かった、待ってるよ」
それだけ言って俺は電話を切った。
俺はシュンにあったらどんな顔をすればいいのか、何を言えばいいのか、結局考えがまとまらないままに彼を出迎えることになった。彼は講義が終わってかなり急いで来てくれたのか、その息は少し上がり、髪も乱れていた。付き合ってからは俺が帰省で長野に帰ってでもいない限り3日と空けて会わないことはなかった。そのために、この1週間会わなかっただけで、彼に会うのは実際の時間以上に久しぶりなような気がした。
「みっちーに頼もうと思ったんだ、涼架はいま俺に会いたくないと思って。……でもあいつに言われたよ、本当に大事なことは人に委ねちゃいけないって」
シュンはそう言って何かを握った手を差し出す。俺が受け取るように手を差し出すと、小さくて硬いものが手に触れた。
「……傷、入っちゃったね」
お揃いで買ったストーンピアス。俺が地面に投げつけたときの衝撃のせいだろう。そのストーン部分には小さいがはっきりと分かる傷が入ってしまっていた。
「ごめんね、ごめんなさい。でも俺、さみしかったんだ。シュンの未来には俺は必要ないんだって言われてるように思えて」
彼の顔は見れなかった。俺は手の平の上におかれた傷の入ったピアスをただじっと眺めた。
「こっちこそ、ごめん。でもこれだけは分かってほしい。俺は別に涼架といい加減な気持ちで付き合ってたわけじゃないんだ。ただ、俺たちはまだ学生だし……それに男同士だし、この先どうなるかなんて不安定で。留学のこととか、将来に関わることとか、自分一人で決めなきゃって思ったんだよ。あの時は、決断に変わりはないなんてカッコつけたけど、本当は涼架に話して、もし引き止められたら、その手を振りほどく自信がなかったんだ」
「それでも、話してほしかったよ……不安定なことなんて俺だって分かってる、だからこそあんな風に突き放されたら……どうしたらいいか分かんなくなっちゃうじゃん」
それに、と俺は続ける。気が昂っているせいか身体が熱い。目が潤んできて視界もぼやける。
「ちゃんと話してくれてたら俺だってちゃんとシュンのこと背中押して送り出せたよ」
これは嘘だな、と言ったそばから自分でも思った。たとえばシュンが夏にドイツへの推薦がもらえると話してくれたとして。俺はきっとありとあらゆる手で行ってほしくないと駄々をこねたはずだ。俺はシュンに甘えてばかりだったから。今だからこんなことを言えてしまうのは、自分でも狡いことだと分かっている。シュンは、そうだな、とため息を吐きながら笑った。
「ちゃんと話せば、解決できたんだと思う。そうすればこんなことにはなってなかったよな。ごめん、ずっと話さずにいたこと、今は後悔してるよ」
違うよ、と俺は反論したかった。俺がどれだけ君に甘えきっていたか、君は分かっていたから話せなかったんだ。
「俺、涼架に対して甘えすぎてたんだと思う。決まってから話しても、もしそれで泣かれても、涼架は変わらずに俺を好きでいてくれるだろうから、それでいいやって。涼架が傷つくこと分かってて、それなのにそのことから目を逸らしていたんだ」
ねぇ、涼架。静かな声だ。優しい声だ。低くて落ち着いていて、俺の大好きな声だ。
「別れようか、俺たち」
コメント
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わぁぁあえ??ァァえ?ひやぁァァァ??ピエ(ง 🥺 )วピエくぅぁぁあ ダメだ、死んじゃう笑
2人が素敵で一生懸命なので、切なくてキュンとしちゃいますが、この一年後の春にはm君と出会う訳で…ううん、複雑な気持ちです💦
やぁぁやぁぁぁ!語彙力なくなる