うそだろ……。なんでリンを殺さなきゃいけないんだ。何だよそれ……どういう儀式だよ。何の意味があるんだ?
あの少女が、ただそうさせたいだけじゃないのか?
俺は光り輝く円陣の中にぽつりと佇む彼女と目を合わせる。
「リンなのか? 本当にリンなのか?」
『ゲン、わたしよ。うまく伝えられないけど……呼び戻されたみたい。あの少女に聞いたわ。私をその刃物で殺すのよね。私は承諾したわ。だって、あなたとソウのためになるのなら、この命は懸けられる。もう、とっくに尽きた命だもの。私を殺して……』
リンは両手で胸を押さえる仕草をする。
「何を言ってるんだよ……。愛したお前を簡単に殺せるわけないだろ! あの少女の言葉を信じられるか!」
力が欲しいのは事実だ。
だが、なぜ妻を殺さなければならない?
『時間がないの。ゲン……あなたが自分の手で、その刃物を私に刺すの。この心臓を貫いて。さあ……』
リンの表情はわずかに曇っている。だが、その瞳には確かな覚悟があった。
無理だ。
そんなの無理に決まっている。
最も信頼し、最も近くで見てきた顔。
最も愛した女性。
「お、俺にはできない……」
水面に映る黒い影が囁く。
『それじゃ……何も変わらない……。ねえ……? 彼女も報われないよ……ボクも……報われない……』
「ふざけるな! お前に何の関係がある! ただそうさせたいだけだろ! 力を貸せるなら貸せよ! リンを殺すってどういうことだ!」
怒鳴ると、少女のシルエットを形作る黒い粒子が揺らいだ。
『ボクは……君たちと同じなんだよ……悲しい思いをして……憎い……憎いんだ……』
少女は囁きながら黒い炭となり、水面へ沈んでいった。
『ゲン……いい加減にして。言ったでしょ? 二人は欠けてはならない。あの子のために守らないといけないの。私は先に死んだけど……あなたにはまだ希望がある。ソウを守れる希望が。私にできるのは、これだけなの』
「でも……」
『“でも”じゃない。子供じゃないんだから』
リンは一度間を置き、穏やかに微笑む。
『大きな体で、食欲旺盛で、馬鹿みたいなあなた。でも、いざという時は誰よりも頼れる。そんなあなたが好き。こんなところで失望させないで。ゲン……私の最後の願い、聞いてくれる?』
「……わかった。覚悟はできているんだな。きっと、ものすごく痛い。許してくれ」
少女にもらった刃物を、彼女の胸へと向ける。
「ごめん……」
走馬灯が蘇る。
笑い合った日々。
三人で抱き合った温もり。
夕暮れの帰り道。
手が震える。
だが、決めたのなら——。
刃が沈む。
――ザスッ。
『あ゙っ……』
リンがかすかに声を漏らす。
胸に刃が突き刺さる。
血が溢れ、円陣を赤く染める。灯火は橙色に強く揺らめいた。
「ごめん……ごめん……」
嗚咽が止まらない。
深く刺さった刃は、柄が当たりそれ以上入らない。
俺は彼女を抱きしめ、顔を覗き込む。
『愛してる……』
「俺もだ……愛してる」
リンは血を吐きながら微笑んだ。
力が抜ける。
やがて彼女の体は光の粒子となり、俺をすり抜け円陣を巡る。
魂だった。
光が俺の胸へ飛び込む。
――ドクンッ。
リンの記憶が逆流する。
俺とソウの笑顔ばかりが映る。
涙が止まらなかった。
黒い水面から少女が現れる。
その姿は黒と白が半分ずつ混ざり合っていた。
『儀式は成功した。親しき者を自らの手で殺したね……さあ、この力を解放しよう』
少女が手を伸ばす。
俺の体から黒い炭素の粒子が舞い上がる。
封じられていた遺伝子の情報が解放され、膨大な記憶が流れ込む。
未来の歴史が見えた。
真紅の甲冑を纏う一人の武将。
武田信玄。
領民を想い、戦場では修羅のごとく立つ姿。
その圧倒的なカリスマに、俺は惹かれた。
何故、彼を見たのかは分からない。ただ、こうなりたいと思った人に一番近い人物だったのかも知れない。
『祖魄と通ずる力は、私たちの現在へと繋がる。私は待っている。君たちがあの王国を止めることを……さもなくば、この先の人類は生まれない。創生の時だ。君が使う力の名を紡げ』
リンを救えなかった痛みは消えない。
だが、彼女が望んだ未来を作れるなら——
ソウに、俺の背中を見せられるなら——
夕陽のように揺らめく灯火の中、俺は叫ぶ。
「我が源、我が身に宿らせ——祖魄創臨ソハクソウリン!」
黒と白の粒子が舞う。
可逆進化と進化を繰り返し、俺が思う姿へ再現するよう、俺の肉体は再構築される。
やがて——
真紅の甲冑を纏う姿へと変貌した。






