「やっぱり向こうの方がいいよね」
その言葉に胸がチクリと痛んだ。
「そうかもな…でも、今は何でも話せる長濱さんがいるから、こっちも悪くないって思ってるよ」
「ふふっ。何それ?悪くない程度の人ってこと?」
「違う!言葉の綾だ!」
焦って答えてしまったが、長濱さんは気にすることなく続けた。
「私も異世界に行きたいなぁ。もし、また月の神様とお話できたら、聞いてみてね!」
「わかってるよ。最初以外話しかけても返事がないから、いつになるかわからないけどな」
他愛のない話が続いていく。
「私なら商人じゃなくて、冒険者一択なのに。そんなに魔物って怖いの?」
「いや、俺はまだスライムにしか遭遇してないな」
「どうやって倒したの?」
「…蜂撃退スプレーで…」
盛大に笑われた。
「仕方ないだろ?でも、冒険者もいいな。どんなもんか確認してみようかな」
「スプレーに火をつけたのは凄いよ。
でも、確認は待って!私がついていける様になってから、一緒に始めようよ!」
どうやら譲れないものがあるようだ。俺は正直冒険者はどうでもいい。
でも、旅はしたいな。色んな景色や食べ物があるし、何より月が出ればこっちで休めるしな。
暫く後。
「じゃあ、明日から残りの胡椒を瓶詰めしたら、砂糖に取り掛かるということで」
「うん。そうしよう。砂糖の依存度は麻薬以上だって聞くしね。絶対売れなくなることはないよ」
長濱さんの言葉を聞けば、何か悪いものを売っている気分になるな……
一先ず、地球で売るものは宝石で問題ないとなった。
流石に億とかいったら危ないらしい。
どちらにしても砂糖の儲けで利益は十分にして、地球では等価交換くらいの物を考えることになった。
そんな会話が途切れた時、不意に長濱さんが窓の外を見つめた。
「もう、お月さま沈んじゃいそうだね」
「そうだな。今日は日を跨ぐことなく沈むみたいだな」
「ねぇ。お願いがあるんだけど」
長濱さんの言わんとしていることはわかる。
「月に願えって言うんだろ?いいよ」
「やったね!私も沢山願うから頑張って!」
「月の神様。聞こえたら答えてくれないか?」
・
・
・
・
「ダメみたいね。残念」
「俺が初めて転移したのは、満月の夜だった。だから多分、満月じゃないと無理なのかもな」
それを聞いた長濱さんは、悲しそうな顔から笑顔になり……
「!じゃあ次の満月ね!」
「あとだいたい2週間後だな」
月の出などを記録しているから、パッと出てきた。
「長い…」
長濱さんは、まるで裁判で長い刑期を言い渡された人の様な顔をしていた。
実際見たことないけど。
時間も時間なので、そろそろ送ろうかと声をかけようとしたら、キッチンから何かを持ってやって来た。
……それは高かった、冷酒専用のガラスのお猪口セットやないかいっ!
「明日は授業がないから、今日は飲もう!」
そう言って、持って来てくれた日本酒を開けた。
「でも、そろそろ帰らないとお家の人が心配するんじゃ?」
「いいの!もう気にしないって決めたの。
前に言ってくれたよね?困ったら俺のとこに来いって。
だからもう、親の顔色を窺わないし、異世界に行けたら大学も辞めます!」
長濱さんはそう言うと、お猪口の日本酒を煽った。
いやいや!俺のとこに来いとか、そんなカッコいいセリフ言ってないぞ!?誰だよその寅さん!?
バイトならいつでも来て欲しいとは言ったが……
まあ、全部話した長濱さんを放置する気はないからいいけど……
「わかった。バイトといわず折半にしよう。大学を辞めても、それなら暮らしていけるよな?
今日は終電まで飲もう!」
ええい!ヤケクソだ!こんな時は酒で流すのが一番だ!
「折半はもらい過ぎ。でもありがとう。身の丈にあった収入で私は満足だから。
でも!異世界には連れて行ってね!活躍するよ!
それと、今日は泊まるって親に連絡したから泊めてね」
身の丈って、俺より貢献しているから、半額よりも多いんじゃ……
「泊まるって…どこで寝るんだ?」
「聖くん。女の子が泊まるって言ってるんだから、そこは押し倒さないと!
ハーレムモノの定番だよっ!」
いや、そういう所がついていけないんだよ……
「冗談だよーん。ソファを貸してね。
ベッドは新居2日目の聖くんが流石に可哀想だから、遠慮しとくね」
揶揄われた……
まぁ、長濱さんは筋金入りのオタクだけど、美人だから経験値が違うよな。
ただ、酒飲みの経験値は低い様で、すでに酔ってるっぽいが。
1時間もしない内に酔い潰れた長濱さんをソファに寝かせ、俺は残りを飲んでからベッドに入った。
「聖くん。朝ごはん出来たから起きて!」
えっ?何?長濱さん?!
「そうか…昨日泊めたんだった」
「寝ぼけてるの?ご飯作ったから起きて出て来てね」
父さん、母さん事件です。ついに俺にも朝ごはんを作ってくれる相手が……
すみません。事件など何もないです……
寝ぼけ眼でアホなことを考えていた俺は部屋を出ると、リビングのテーブルを見て驚いた。
「味噌汁…ありがてぇ」
二日酔いには最高な、和食の朝定食がそこにはあった。
「ふふっ。まだ寝ぼけてるのかな?でも気に入ってくれたみたいで良かった!」
「ありがとう。うまいよ」
お礼を言った俺は、あることに気付いた。
「ごめん。いくらかかった?」
朝飯どころか茶碗もなかったはずなのに、今は手の中にある。これ如何に?
「覚えてないの?朝、買い物行くけどって伝えたら、財布渡して来たよ?」
全然覚えとらん!長濱さんは少ししか飲んでないとはいえ、高々一升足らずで記憶を無くすとは……
「ごめん。覚えてない…」
「まあ、あのお酒あれだけ飲めば仕方ないよ。
まさか1日で飲み干すとは、私は予想外です」
もう、乾いた笑いしか出ない。
しかし、この味噌汁美味いな。
「おかわり」
やべっ!声に出てしまった!
「はーい。お口にあったかな?良かったよ」
そう言うと自然におかわりを入れてくれた。
女神かな?
「ありがとう。長濱さん」
「待って、長濱さんはもうやめない?聖奈って呼んで」
あれ?俺たちそんな関係だっけ?もしかして、昨夜の記憶ない?
俺が口籠もっていると、長濱さんは続ける。
「だって、異世界にもし行けた時に、長濱って呼ばれたら違和感凄くない?
聖くんだってセイって名前にしたんでしょ?」
確かに…そういうことなら。
「わかった。聖奈さん。これで良い?」
「いや、ダメ!呼び捨てにして!」
くっ!何故か押しが強い……
「せいな…」
「うん。聖くん何?」
「いや、今呼べって…」
「ふふふっ。わかってるよ。ごめんね」
また揶揄われた。
「私の名前ってせいなでしょ?異世界風に言うとセーナになるよね?
登録名は絶対、セーナにするからね」
「じゃあ俺もセーナって呼ぶよ」
「それはダメ。ちゃんと聖奈って呼んで」
何故か怒られた。解せん……
朝食を食べ終えた俺たちは、残りの胡椒を全て瓶詰めにする。頑張った。超頑張った。
流石、数万円分の胡椒だった。
「後は砂糖と大きめの瓶を買えばいいかな?」
俺の問いに、異世界先生は答える。
「うん。私も実際に行ったわけじゃないからまだ他の物はわからないかな。
二人で運べるだけ買おう?」
かなりの量になりそうだが、立ち止まるわけにはいかないよな。
どうせ危険度が同じなら、成功した時のメリットが大きい方を選択しろとは、聖奈さんの言葉だ。
アンタ何者だよ……
俺たちは二人で買い出し…もとい仕入れに出かけた。
仕入れでは、始めに聖奈さんのカバンを買った。入れ物がないとな。
カバンは異世界で使っても違和感のないものを買った。
異世界で買えよと思うかもしれないが、異世界の革製品のカバンって重いし臭いが……
買った鞄は、地球で女子が持つには若干浮くけど、聖奈さんはあんまり気にしてないみたいだ。
むしろ『コスプレみたい』と言って嬉しそうだった。
その後は激安スーパーに行って、大量の砂糖を買った。
後は帰り掛けに百均で大きめの瓶を段ボールごと購入した俺達は、新居へと帰った。
呼び捨てにしろと言われたが、やっぱり違和感がある。
だから、心の中では『さん』付けだ。
心までは自由にされないんだからねっ!!
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