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録画の合図は、無言だった。蓮翔がスマホを床に立てた瞬間、悠翔の中で全てが「準備済み」に変わった。
何をするかは言葉にされない。ただ、“何が録られるか”は理解していた。
「大学、さ。まだ平和そうだな、お前。……羨ましいわ」
ぼそりと呟いた蓮翔の声には、熱も怒りもなかった。ただ、冷めきった期待があった。
何も言い返さない悠翔をじっと見つめ、彼は笑う。
「言っとくけど、出すとは限らねぇよ。お前が空気読めば、な?」
動画を撮る目的は、“記録”でも“拡散”でもない。
それはただの支配の証拠だ。
切り札のようにチラつかせることで、未来を縛る縄になる。
「ちょっと顔上げて。そうそう、その感じ」
蓮翔はカメラの枠に収めながら、悠翔の顎に指を添える。
拒否はしない。いや、できない。
何もされていないようで、すでに逃げられない。
「……言わせたほうがいいかな。セリフ、さ」
言わされたのは、名前でも、あだ名でもなかった。
ただ、「どうされたいか」「自分がどういう存在か」を、はっきりと口に出すだけ。
自分の声が、自分の言葉として記録されていく。
その事実が、肌に触れる手よりも痛かった。
数分後、撮影は終わった。
蓮翔は何事もなかったかのようにスマホをポケットに戻し、立ち上がる。
殴ることも、蹴ることもなかった。ただ、“揺さぶる”だけだった。
「出すかどうかは、次第な。兄貴たちとも話すし」
玄関に向かう背中が告げていた。
これは「選ばせてくれている」ふりをした、次の段階への布石だということ。
ドアが閉まっても、空気は動かない。
悠翔はその場から動けなかった。何もされていないのに、何かが終わったような静けさだった。