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『揺れる心〜フウシンシ〜』
──喉が渇いたな。
浅い眠りに体が飽きて、水を欲求する気持ちが上回り、瞳を開けた。
自室の丸窓から金木犀のような、とろける橙色の光が差し込んでいて夕方だと思った。
「ん……お水」
のそりと布団の上に起き上がる。
梅千代さんが枕元に用意してくれていた、水差しから水を湯呑みに入れてコクっと飲む。
水は緩くともするすると、口の中を滑り喉を潤した。
ふうっと落ちついて、湯呑みを元の場所に戻せばそこには籠に盛られた蜜柑と林檎。
これは宇津木様達のお見舞いの品。その横に置いてある、流行りの小説や雑誌は石蕗様から。
机に視線を向ければ、その上に豪華な白や桃色の花束が花瓶に飾られていた。
この花束は梅千代さんとお手伝いさんから頂いたもの。
その花瓶の横にはなんと、ばあやからの手紙があった。ばあやはどうやら雪華家を離れて、今は杜若家縁の料理屋でお手伝いをしているとか。
今度ぜひ遊びに来て欲しい。
どうか元気でと、花の栞と一緒に文字がしたためられていた。
「ばあやが元気なのに、私がこんなんじゃ……もっと、しっかりしなくちゃ」
ふうっとため息を吐いて、また横になろうか。寝ようか。それとも少し庭にでも出てみようか。色々と逡巡する。
──土蜘蛛の襲来。
私はあれから、三日間ほど寝込んでしまっていたのだった。
土蜘蛛の妖気に当てられた。
気を失った私はすぐに、妖気を祓われた。
けれども、今までの疲れが溜まっていたのか、熱を出してしまい寝込んでしまっていたのだった。
こんなにも熱が出るなんて自分でもびっくりした。
なんとかしなくちゃ。また迷惑になると思って体を起こそうとすると、梅千代さんに『病人は寝てなさい』と怒られた。
今まで、多少の熱が出ても自分でなんとかやり過ごすのが普通。
辛くて我慢出来なくなると、ばあやに平気を装って薬を分けてもらっていた。
それが当たり前だったから、梅千代さんが怒ってくれて嬉しくて。涙ぐんでしまった。
そこから梅千代さんは、ゆっくり休めるように。何も考えなくていいと言ってくれた。
この部屋に近づくのは梅千代さんとお手伝いさんだけにしたようで、杜若様にもこの三日間会えてなかった。
だから私の枕元にはお見舞いの品々が続々と届いたのだった。
そして杜若様からは──チラッと壁を見ると。
そこには衣紋掛けに掛けられた、見事な山吹色の友禅の着物が掛けられていた。
「お見舞いの品で、こんな素敵な着物を貰ってしまうなんて」
梅千代さんから聞いた話では、杜若様が土蜘蛛から私を守ってくれたあと。
ちゃんと葵様からおいなりさんを受け取り、その日の夜ご飯に食べたそうだ。
そのお礼も兼ねたのが、この見事な美しい着物だった。
梅千代さんが『あの子ったら、本当に環ちゃんのこと好きなのねぇ』と、まるで自分の息子のように嬉しそうに語っていた。
そして、ずっと部屋にいると気が滅入るだろうからとお花や着物をこうして飾ってくれていたのだった。
山吹色の着物は夕日の光を受けて、まるで金色のような色合いを放っていた。
「私、こんな素敵な着物を貰っても、杜若様に返せるものが何もないな……」
呟きながらこてんと、体を傾けて横になった。
熱はすっかりと下がっている。
お昼に頂いたおかゆも全部食べられた。体調はもう大丈夫だろう。
きっと明日の朝にはいつも通りだと思った。
そして明日にはきっと、杜若様達に土蜘蛛のことを聞かれるのではと思った。
この三日間。熱にうなされながらも、土蜘蛛のことは気にはなっていた。
けど、梅千代さんは『土蜘蛛の被害者は誰もいない』からと教えてくれた。
「良かった。誰も怪我なんかしなくて、本当に良かった……」
梅千代さんはそれ以外は一切何も触れず。優しく私の看病をしてくれるだけだった。
そして──そっと頬を触る。
そこは薔薇によって傷が出来た場所。
今はカサブタも取れて、すっかりと元通りになっていた。
頬の怪我が治っても、熱が引いても、瞼を閉じれば土蜘蛛が襲ってきた恐怖はまだあった。
今後、蜘蛛を見つけたら悲鳴をあげてしまいそう。
「土蜘蛛、怖かったな。なんで私を襲って来たのかな。あの時の言葉は……私の空耳? それとも……」
鼓膜に張り付いているあの声。
『チ、がう』『征こゥ。一緒ニ』と聞こえた音。
思い出して背筋がぞくりとした。紛らわせるように柔らかな布団をばっと被る。
「わからない。私にはわからないよ……」
そのまま独り言を枕に吸わせるように。
眩しい夕日から目を背けるように。
枕に顔を押し付けるのだった。