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蟻地獄



今にも雨の降り出しそうな空の下に、黒い線がうごめく。小さなその個体で、一生懸命、虫を運んでゆく。俺はその命をただ、自分のことのように優しく眺めた。首の縄が食い込み、意識が朦朧とする。脳裏をよぎった彼女の笑顔に、俺の頬を涙がつたった。








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「酒井田さん、どうです?最近の研究は」

俺はライターである石井に呼び出されて、とあるカフェに来ていた。ブラックコーヒーを啜る俺を石井は眺めながらそう言った。

「あぁ、ぼちぼちだよ」

研究のことを外部の人間に語る必要はない。

「へぇ、そうですか。今度こそ内容をお聞きできると思ったんですがね。まぁそれはさておき…」

石井は俺が頑なに研究を語らないのを察したのか、話を切り替えた。

「酒井田さん、オカルトって信じます?」

石井は急に自信げに言った。

「オカルト?」

「そうです。オカルト。所謂、UMAとかそういうやつです。」

「なんだよ、そんな話をするために俺を呼んだのか?」

オカルトを信じていないわけではない。だが俺も一介のライターの話し相手をするほど暇ではなかった。

「そういうと思いましたよ。でもね、面白い記事を見つけたんです。」

そういうと彼はスマホを差し出し、トントンと画面を指差して見せた。

『24年前、自殺した謎の少年は幽体離脱していた?![少年の謎の死に迫る‼︎]』

画面から目を上に上げると、石井は執拗にニコニコしている。

「へぇ、謎の死の少年ねぇ」

「面白いと思いませんか?」

「そんなのはでまかせさ。嘘だよ嘘。人間の心理に訴えかけただけさ。」

俺のその言葉に、彼はあからさまにがっかりしたようであった。



研究室に戻った俺は、周りを確認して部屋の鍵を閉めた。乱雑に積まれた資料のすみには大きな鍵付きの棚がある。俺が財布につけてあった鍵でそこを開けると、中にはさらに小さな金庫があった。こんな厳重にしてたかなぁと思いつつ、俺はその金庫の四桁の数字ロックを解除する。数字は忘れていない。忘れるはずがない。

「あったぞ」

それはラミネートをかけた古く小さな切り抜きの新聞記事だ。

24年前の2023年9月14日。当時、高校生の少年は不可解な死を遂げた。記事には名は出ていないが、俺はそいつを知っている。俺の親友だったのだから。


石井の言うことは脚色だろうが、それがもしあいつであるのなら、それは興味を持たざるを得なかった。俺は24年ぶりにあいつの死を洗い直してみることにした。



バイクの走り去る音がして目が覚めた。

「郵便かぁ」俺は玄関戸のポストに手を伸ばす。「手紙?」俺に手紙を出してくる人なんてもう何年もいない。

『桜崎高校 平成13年度卒業生 3年5組 同窓会のご案内』

その文字を見た時、正直捨ててしまおうかと思った。普段なら確実にそうしていただろう。人情ドラマに興味はないし、高校の同級生に興味などない。でも、あいつのことを知っているやつがいるかもしれない。行きたくないとは思いつつ、もう結論は決まっていた。




「おい、あれ和磨だよな?」

「かずま〜‼︎来たのか‼︎」

本当に気が重い。“カズマ”なんて下の名前で呼ばれたのはいつぶりだろうか。俺は、同級生の咲口が若女将をしている旅館「咲(さき)」に足を運んでいた。

「お、おう久しぶり。」

ぎこちない俺に、やつらは笑いを隠しきれない。

「相変わらずだなぁ」

そう言ってきた大輝(ダイキ)には流石にムカついてきたが、これでも一応、おれは大学准教授だ。どうせお金の話になればいくらでも形勢は逆転するだろう。まぁそんなにでしゃばりたいわけでもないし、自分のことを話したいわけでもないから、そんなことするはずないけれど。いや、あの頃の俺なら一番に自慢していたかもしれない。

「なぁ、中川ってこんど親の病院つぐらしいぞ」

「へぇ、じゃあもう院長か。いいなぁ、稼げてて羨ましいよなぁ」

「すごいよね。私、中川くんお医者さんになってたんだってことこないだ知ったの」

俺の知らないうちに、中川は医者になっていたらしい。同窓会の中で始まるマウント合戦は、あの頃は良かったなぁとただ思い出を思い起こさせた。くだらない会話を聞いているうちに俺は少し疲れてきて、それを紛らわそうとビールをグッと飲み干した。

しばらくして、俺は誰かに背中をそっと叩かれたことに気がついた。後ろを振り向くと、まるで歳をとっていないような綺麗な容姿の女性である。

「久しぶり。和磨くん」

思い出した。彼女はハッとする俺の顔を見て安心したように笑うと「ちょっと話があるの」と俺の腕を掴んで宴会場を抜け出した。




宴会場の外の長い廊下に出ると、彼女は「一度庭に出よう」とそう言った。少し酔っていた俺はただ頷くと、渡辺は相変わらず俺の手を引いたまま、俺を玄関の外へと連れ出した。


「あっ、ごめんね、手…」

彼女は思い出したようにそう急に言うと、自分から先にベンチに座った。そして、「座ったら?」と言って空いたベンチの左端を指差す。

「うん」

俺の無愛想な返事に少し笑いながら、彼女は暗い夜空を見上げる。流れる小川の音がかすかに聞こえる。トンと庭の獅子脅しが時間を刻んだ。

「あのさ、話ってなに?」

俺のその言葉に渡辺は少し悲しそうに俯いて、スマホの“あの特集記事”をみせる。

「私、修くんが生きてるかもしれないって思うの」

突然の彼女のその言葉と態度には、俺も驚いた。

「どうかな。俺もそうだといいとは思ってるよ」

今渡辺に胸の内を明かす必要はない。と言うよりかはずっと。

「私はあの頃のことを忘れられない」

彼女は静かにそう言った。渡辺香織(わたなべかおり)、昔から謎の多いやつではあった。いやしかし、今の彼女はあの頃とはまるで別人なほどに不思議な雰囲気を纏っている。

「どういう意味だ?」

考えたあげく、俺はそう聞いた。普段人に興味などない俺の気をこんなに引いた人間は死んだあいつ以来だ。

「うん、いい思い出だったって意味よ」

彼女は深く考えていないそぶりで、自分の髪を軽く撫でてみせた。

「そうだな。いい思い出だ」

渡辺のその言葉が本意でないことは確かだ。だが、ここで探りたいとも思わなかった。

「そういえば、和磨くんって性格変わった?」

彼女はそう言って不思議そうに俺の顔を覗き込む。

「そうか?」

「うん」

「どうかなぁ…変わったかもなぁ」

俺の気持ちは確実に彼女に動かされていた。

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