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学校の階段途中にある大鏡といえば、よく学校の七不思議として語られることのある、例のアレ。そんな異様な存在感を放つ大鏡は、私の通う中学校にも当然ながら存在していた。
私の通っている中学校には、校舎の両端とその中央の計三箇所に階段があり、その問題の大鏡は、校舎北側端にある一・二階を繋ぐ階段の踊り場に設置されていた。
北東という鬼門の方角に位置するということもあってか、その大鏡は“不吉なもの”の象徴として生徒達から恐れられ、中に引き込まれてしまった人は二度と帰ってはこられないと。そんな噂がまことしやかに囁かれていた。
とはいえ、中学生ともなるとそんな話しをまともに信じている人も少なく、特に避けられることもなくその階段は使用されていた。いくら恐れているとはいえ、それはあくまでも話のネタの一種として、本気で信じている人などいなかったのだろう。
けれど、その鏡から何か異様な気配が流れているのを感じ取っていた私は、できる限りその階段を避ける生活を送っていた。
噂とは、時に根も歯もない話が一人歩きをしてしまうこともある中、こうした、当たらずといえども遠からずなものも存在するのだ。
──そんな中学校生活も半年が過ぎた頃。
いつものように茉莉花と談笑しながら階段を降りていると、後方から呼び止められた私達は足を止めた。
「ねぇ~聞いてよ杏奈ぁ、茉莉花ぁ。前センにノート再提出しろって言われたんだけど~」
そう言って泣きついてきたのは、同じクラスのYちゃんだった。その手に握られているのは、先程返却されたばかりの社会科のノート。
どうやら、前田先生にダメ出しをされてしまったらしく、大袈裟に眉尻を下げてみせたYちゃんは手元のノートを開いた。
「これのどこがダメなの? 分かんないんだけど。今日の放課後、再提出しろって……どうしよう、部活に遅刻しちゃうよ」
「バスケ部って厳しくなかった? 遅刻したらヤバイじゃん」
「うん。一年が遅刻とか、絶対に先輩に怒られちゃうよ。お願い、助けて~」
「いいけど、私ギリギリの評価だったからなぁ……。茉莉花わかる?」
そう答えながらも、私は内心焦っていた。呼び止められた場所がよりにもよって例の大鏡の前とは、なんという不運だ。
幸い今まで何も起こっていないとはいえ、この場に長居などしたくはない。そう思った私は、早期解決を願って茉莉花の様子を伺った。
「重要なとこはカラーペンにしてみたら?」
「え~、それならやってるよ。これじゃ足りない?」
「うん、もっと全体的にカラフルにした方がいいかも」
「……あっ。あとさ、前センてイラスト描いてるのも結構好きじゃない?」
「うん、そうそう。ポイント箇所に吹き出し付けたりとかもね」
「へぇ~、そうなんだ。二人とも教えてくれてありがとう」
「もし見たかったらノート貸すから、その時はまた言ってね」
「うんっ。ありがとう」
予想よりも早く解決したことに安堵すると、私はこの場を立ち去ろうとするYちゃんに向けて小さく手を振った。
「──な~にしてんのっ!」
「……わぁっ!!? ……っ、ビックリしたぁ。もう、脅かさないでよ……心臓止まるかと思ったし」
突然背後から現れたEちゃんに驚かされ、軽く飛び跳ねた私は文句を溢した。そんな私を見て、ケラケラと笑っているEちゃん。
「あっ、E。ねぇねぇ、T先輩のこと聞いた?」
「え、T先輩のこと? なになに、教えて!」
Eちゃんの姿を見るや否や、立ち去ろうとしていた歩みをピタリと止めたYちゃん。再びその場に留まることとなった私達は、Yちゃんを中心としてその話の内容は恋愛話しへと移った。
早くこの場から離れたい。そうは思うものの、楽しそうに盛り上がっている皆んなを見ているとどうにも言い出せない。
私は今、上手に笑えているだろうか? そればかりが気になって、話の内容は殆ど入ってはこなかった。
「杏奈、どうかした?」
「え? い、いや……どうもしないよ」
心配そうに私の顔を覗き込む茉莉花にそう答えると、私はぎこちない笑顔を作った。
ここで本当のことを伝えることができれば、どんなに楽か。そうは言っても、私にはこの場の楽しそうな雰囲気をぶち壊す勇気はない。それ以前に、この恐怖にどう対処すべきか私自身分からないのだ。
そんな私にできることといえば、ぎこちない笑顔を作ることしかなかった。
ゴクリと小さく唾を飲み込むと、私はチラリとすぐ横の大鏡へと視線を移した。
楽しそうに談笑しているYちゃんの横で、恨めしそうな表情を浮かべている鏡の中の女の子。先程から一向に立ち去る素振りもみせずに、ただその場にジッと佇んでいる。
もしや、何か危害を及ぼすつもりなのでは──。
そうは思うものの、その真意は私には分かりかねる。もとより、存在理由さえ理解し難いものなのだから、その真意など到底理解できるわけもないのだ。
鏡から視線を外してYちゃんの方へと視線を移すと、そこには楽しそうに話しているYちゃんがいる。その横には笑顔のEちゃんが居るだけで、あの女の子の姿はどこにも見当たらない。
けれど、すぐ横の大鏡の中には間違いなく存在しているのだ。
(お願いします……っ、早く消えて下さい)
心の中でそう強く念じると、私の額に嫌な汗がじっとりと浮かび上がった。
見たくなくとも自然と視界に入ってきてしまう鏡に、私の作り笑いは徐々に不自然さを増してゆく──と、その時。
『お前……、見えてるな』
ギョロリと瞳を動かして私と視線を合わせた“ソレ”は、私に向けてそう口を開いた。
途端にガタガタと震え始めた私は、今にも崩れ落ちそうな膝を懸命に堪えた。
「杏奈、大丈夫?」
「……うわっ! ホントだ、顔真っ青じゃん」
「ちょっと具合悪いみたいだから、保健室に連れて行くね」
「うん、分かった。私達先に教室戻っとくから、先生が来たら言っておくね。……杏奈、お大事にね」
「ありがとう、よろしく」
そんなやり取りを終えた茉莉花は、未だ黙ったまま震えている私を連れて保健室へと向かった。
その道すがら、私の様子を心配そうに覗き見た茉莉花は、その口をゆっくりと開いた。
「ねぇ、杏奈……。杏奈もさ、見たんだよね?」
「…………え?」
“私も見た”とは、一体何のことを言っているのか──。
茉莉花の突然のその質問に、私の思考は瞬時に対応することが出来なかった。
「杏奈も見えたんでしょ……? 鏡の中にいた“何か”が」
そうハッキリと口にした茉莉花は、その答えを求めてジッと私の瞳を見つめる。どうやらハッキリと見えているわけではないようで、“何か”と口にした茉莉花。けれど、間違いなく茉莉花には見えたのだ。
その嬉しさと安堵から、私は鼻を啜《すす》ると目頭を熱くさせた。
「うん……っ、見たよ。私達と同じくらいの女の子だった。声も聞いたよ……」
「……そっか。やっぱり杏奈には見えるんだね」
「うん。……茉莉花も見えるんだね」
「ううん、私はさっき初めて見た。凄くボヤけてて何なのか分からなかったし」
「そうなんだ。……あのさ、私達が初めて会った時のこと覚えてる?」
「うん、小三の時でしょ? あの時、なんでか知らないけど初対面の杏奈にいきなり怒鳴られたよね」
そう言って、懐かしそうにクスクスと声を漏らした茉莉花。
「いや……別に、茉莉花に怒鳴ったわけじゃなかったんだよ? 茉莉花は記憶がないって言ってたけど、あの時茉莉花ヤバイのと一緒に居たんだから」
「え……っ、そうだったんだ。じゃあ、杏奈が助けてくれたってこと?」
「うん、よく分からないけど……そうかも」
「そうだったんだ……ありがとう。言ってくれれば良かったのに」
「……だって、嫌われると思って」
「助けてくれたのに?」
「いや……だって、幽霊が見えるなんて気持ち悪いし……」
「気持ち悪くなんてないよ」
そう言って優しく微笑む茉莉花を見て、茉莉花と友達になれて本当に良かったと、私は心から感謝した。
「ありがとう、茉莉花」
「私こそ、助けてくれてありがとう」
先程味わった恐怖から脱け出せたわけではなかったものの、茉莉花という理解者ができたという喜びから、私の中にくすぶっていた“孤独感”は綺麗に浄化された。
そんな初めての感覚に、私は涙を浮かべなら微笑んだ。
「ねぇ、杏奈。“アレ”ってさ、何だったんだろ」
「……分かんない。けど、もうあの階段使うの止めようよ」
「うん、そうだね」
そんな約束をひっそりと交わし合った私達は、この日あった出来事を他の誰に言うでもなく、この学校に三年間通い続けることとなった。
学校設立当初から設置されているというあの大鏡は、相変わらずその話題に事欠くことなく未だに存在し続けている。
零時丁度に鏡の前に立つと、鏡の世界に囚われて二度と帰っては来られないだとか。あるいは、鏡を見ながら階段を降りると、何故か一段増えているだとか。
その噂の内容は少しずつ変化を加えながらも、こうして自然と語り継がれてゆくのだ。そして時折り、その中に真実が紛れているだなんて、きっと誰もが思ってもいないのだ。
鏡の中に女の子の姿を見たと──そんな真実が語られていることを。