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摩浪side
俺は東京の病院にいる。病院なら兵庫でも良かったけど、わざわざ東京まで来たのは理由がある。
摩『どうだった?先生』
那津「那津で良いよ(笑。相変わらず律儀」
摩『はいはい。那津兄さん』
那津兄さん。本当の兄さんではない、俺の兄貴李律の同級生だからそう呼んでる。まだ医者になったばかりだが信頼出来る相手。彼の父もまた医者で、俺が小さい頃から世話になっている。家族ぐるみの仲である。
那「そんで結果なんだけど。お前はイップスだ」
摩『イップス?』
那「心理的な理由で体に支障が出る運動障害の事」
摩『障害…』
障害、俺の体は知らないうちに大変なことになっていたんだ。体調管理はしっかりしてたはずだったのに。最悪だ。
那「イップスって呼ばれてるけど、医学的にはジストニアという。ジストニアの原因は脳の中枢神経。脳の色んな部分の運動制御システムの異常だ」
摩『でも、何でそんな事になるの?』
那「最近嫌なこととかショックなこととか無かったか?精神的に」
摩『特に、思いつかな…あ、』
俺は思い出した。初めてのオリンピックの事。
摩『あの時、俺の打ったスパイク何度も止められた。なんでか分からないけど、跳ぶことが怖くなったんだ。それから震えが止まらなくて、体も思うように動かない時があって…ッ』
那「摩浪、今から言う事は俺の予想だから否定しても構わない。だけど言わせて」
摩『うん』
那「お前は中学の頃から全国経験してる。ずっと勝ち続けて無敗の記録を持ってる。凄いことだけど、それ故に負けた時の感情を知らない。だからじゃないのか?」
那津兄さんに言われてやっと気づけた。俺は負けることが怖くなったんだ。その事実を知った時、涙が溢れてきた。
摩『俺、強い強い言われてたけど…本当は弱い。負けることは当たり前なのに、それだけでッ(泣』
那「それだけなんて事はない。それに良い経験だと思うぞ。初めて負けることが嫌だって学んだから」
摩『うん…っでも、怖いよ兄さん。俺、今バレーやったら周りの迷惑になるッ(泣』
那「摩浪落ち着く。俺も李律もいる、それにお前には赤木くんがいるだろ」
泣いてる俺を兄さんは抱きしめて背中をゆっくりさすって落ち着かせてくれた。
那「診断書出すから監督に見せる。そんでバレー活動の休止を相談してみて」
摩『うん』
那「それと、あの事務所も今すぐ辞めて。これを機に芸能活動も休んで、絶対」
摩『はい』
そして、これからの話をした。治療法には薬学療法もあるけれど、俺はそっちより精神療法を選んだ。兄さんもそっちの方が安心出来ると賛成してくれた。
摩『ありがと兄さん』
那「どういたしまして。この後、行く場所ある?」
摩『うん。雲雀田さんのとこ』
那「相談?」
摩『それもだけど、今回の事話しておく』
そう、今回俺が東京に来たのは病院もだけど他にも用事がある。それは全日本男子代表チーム監督・雲雀田吹(ひばりだ ふき)さんに会うため。ユース合宿でお世話になった人で、今までバレーに関する相談をしてきた方。
病院を出て雲雀田さんのところに向かう。一昨日電話した時、ある場所を指定してきた。そのある場所はと言うと…
摩『東京体育館…か』
中に入り雲雀田さん探し開始。けっこう広い場所だから探すのに苦労しそうって思ったけど、そうでも無かった。彼はバレーコートの中央にいて前を見ていた。
雲「来たみたいだね、摩浪」
摩『お久しぶりです雲雀田さん。今日はお時間作っていただき、ありがとうございます』
雲「それで話があるみたいだけど、その顔は何かを掴んだかな?」
摩『掴んだというよりやっと見つけた感じです』
彼は俺の方を振り返らず前を見たまま。でも話はちゃんと聞いてる。だから俺も話を続ける。
摩『俺はやっと負ける事が自分にとってどういう事かを認識しました。俺は負けることが怖いです』
雲「そうだろうと思ったよ。君は中学から無敗続きのプレイヤーだったからね」
摩『2016年のオリンピック…何度も止められたことがこんなに大きな恐怖になるとは思ってませんでした』
雲「勝ち続けた者が負けるという事実を突きつけられた時の恐怖や悔しさは大きいだろう。でもそれは、君にとって吉報なんじゃないかい?」
摩『確かにそうです。でも、俺は…その恐怖が原因でバレーが怖くなり始めています。体が震えて思うように動かないことが増えてます』
好きだったバレーが怖くなるなんて思いもしなかった。
雲「君は知らないうちに勝ちへの執着が芽生えて、今はそれに葉と根が生えてる状態なんだろう」
摩『勝ちへの…執着、』
雲「それを摘むか、育てるかが重要なんじゃないかい?執着は悪いことではないからね」
摩『はい』
彼の言うことは正しいと思う。今の俺だったらその執着を摘んでいただろう。だが言われて気づいた、摘むにはまだ早い。もう少し考えて見ることにする。