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王城の大広間は、光に満ちていた。
笑い声。
音楽。
葡萄酒の香り。
祝宴の夜。
――そのはずだった。
「きゃあっ!」
悲鳴が響く。
次いで、グラスの割れる音。
給仕の一人が、床に倒れた。
赤い葡萄酒が石床に広がる。
広間の空気が、一瞬で変わった。
「……違います」
リゼットは呟いた。
けれど、その小さな声をかき消すように、冷たい声が落ちる。
「リゼット・アーヴェル」
第二王子ユリウスが、彼女を見下ろしていた。
「お前を毒殺未遂の罪で糾弾する」
ざわ、と空気が揺れる。
毒殺未遂。
その言葉だけが、やけに鮮明に耳に残った。
「殿下……私は何もしておりません」
「まだ言い逃れをするのか」
ユリウスの目は冷たい。
「倒れた毒見役の杯に、お前が触れていたという証言がある」
「触れていません」
「さらに、酒が配られる直前まで近くにいた」
「それは――」
言いかけて、リゼットは毒見役を見る。
唇の色。
呼吸。
指先の痙攣。
おかしい。
毒なら、こんな出方はしない。
「殿下、症状が不自然です」
リゼットは一歩出た。
「これは単純な毒ではありません。少なくとも――」
「黙れ」
ぴしゃりと遮られる。
リゼットの喉が詰まる。
その隣で、義妹セレナが震える声を出した。
「お姉さま……どうして……」
泣きそうな顔。
か細い声。
庇いたいのに庇えない、とでも言いたげな表情。
でも、その目の奥の冷たさを、リゼットは知っていた。
「安心しろ、セレナ」
ユリウスが彼女を守るように言う。
「私が必ず真実を明らかにする」
真実。
その言葉が、ひどく空虚に聞こえた。
まだ誰も確かめていない。
なのに、広間の空気はもう決まっている。
犯人はリゼット。
可哀想なのはセレナ。
正しいのは王子。
整いすぎた物語だった。
「以前から、お前はセレナに嫉妬していたそうだな」
周囲がざわつく。
「妹君のほうが愛されていたものね」
「伯爵家でもあちらの娘のほうが可愛がられているとか」
「薬の知識があるなら、毒も扱えるでしょう」
違う。
全部、違う。
けれど、この場では違うと言うほど悪く見える。
リゼットは拳を握る。
「私は毒など盛っていません。第一、あの症状は――」
「十分だ」
ユリウスが冷たく告げた。
「これ以上、お前の弁明を聞く必要はない」
その一言で、何かが決まった。
聞く気なんて、最初からなかったのだ。
「リゼット・アーヴェル」
ユリウスが高らかに告げる。
「お前との婚約は、この場をもって破棄する」
どよめきが広がる。
婚約破棄。
覚悟していたはずなのに、胸の奥を深く裂かれる。
それでも、リゼットは泣かなかった。
「……殿下は、私の話を一度もお聞きにならないのですね」
「聞く必要がないからだ。証拠も証言も揃っている」
「それは証拠ではありません」
リゼットは顔を上げる。
「揃えられた“形”です」
空気が刺立つ。
その瞬間だった。
「その女は、毒を盛っていない」
低く、よく通る声が響いた。
一斉に視線が向く。
広間の入り口に、一人の男が立っている。
黒い礼装。
冷たい灰色の瞳。
張りつめた空気をまとう長身の男。
若き辺境伯、アルヴェイン・グランゼル。
空気が変わった。
「アルヴェイン卿」
ユリウスの声が硬くなる。
「これは王家の問題です。口を挟まないでいただきたい」
「王家の問題なら、なおさら雑だな」
広間がさらにざわめいた。
「何が言いたい」
アルヴェインは倒れた毒見役を一瞥する。
それから、リゼットを見る。
「犯人なら、あの症状を見て真っ先に違和感を覚える顔はしない」
リゼットは息を呑んだ。
見られていた。
自分が毒見役を観察していたことを。
「それに」
アルヴェインが続ける。
「この女の目は、怯えている人間の目ではない」
「……何だと」
「考えている目だ」
静まり返る広間。
「自分の罪をどう誤魔化すかではなく、倒れた人間の症状をな」
ユリウスの顔が険しくなる。
「証拠もなく庇うおつもりですか」
「証拠なら調べればいい」
アルヴェインは一歩、前へ出た。
「だが、検証もせずに断罪するのは愚かだ」
「無礼だぞ」
「無礼で結構」
その言葉は静かなのに、場を制した。
アルヴェインはまっすぐリゼットの前まで来る。
長い影が落ちる。
「リゼット・アーヴェル」
初めて名前を呼ばれた。
「お前は、自分が無実だと言い切れるか」
迷いはなかった。
「はい」
アルヴェインはうなずく。
「では来い」
「……え」
「お前の身柄は私が預かる」
広間がどよめく。
「何だと!?」
ユリウスが声を荒げた。
「本気でその女を連れていくつもりか!」
「罪はまだ決まっていない」
アルヴェインは広間全体を見渡す。
「決まっていないものを、勝手に断罪するな」
優しい言葉ではない。
でも、その一言だけが、リゼットの胸にまっすぐ届いた。
誰も信じない場所で。
ただ一人だけ。
彼は自分を“罪人”ではなく、“見て考える人間”として扱った。
喉の奥が熱くなる。
アルヴェインは背を向け、短く言う。
「ついてこい」
リゼットは広間を見渡した。
王子。
義妹。
見下ろす貴族たち。
もう、ここに居場所はない。
「……はい」
一歩、踏み出す。
それだけで、何かが変わる気がした。
大広間の扉が開く。
冷たい夜気が流れ込む。
リゼットは“冷酷辺境伯”の背を追って、断罪の場を後にした。
そのときは、まだ知らない。
彼が抱える誰にも明かせない苦痛も。
自分がその正体を見抜く未来も。
この断罪の夜と、彼の運命が一本の闇でつながっていることも。
ただ、ひとつだけ分かった。
あの広間で。
彼だけが、自分を“犯人”ではなく、“薬師”として見たのだと。