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「生きる事はつらい。朱里も飛び降りようとした時、『どうして止めたんだ』と思っただろう。現実は絶望の連続で、何もいい事なんてない。死んだほうが楽になれると思っているのに、なおも現実という地獄に引き留める俺を恨んだと思う」
私は血を吐くような想いで言葉を紡ぐ尊さんの腕を、ギュッと握った。
「……そんな事ない。……私は〝忍〟に救われたもの」
『それでも生きてくれよ』と言った彼は、自分のほうこそズタズタに傷付いた顔をしていた。
何の痛みも知らない、ただのお節介な人に止められたなら、『あんたに何が分かるの!』と刃向かっていただろう。
でも〝忍〟は自分も家族を亡くした事を打ち明け、生々しい傷と痛みを教え、『同じ』だと言った上で励ましてくれた。
だから彼の言葉が、心にすんなり入ってきたんだと思う。
どれだけ優しい人が親身になって同調してくれても、理不尽に家族を喪った人の苦しみは、同じ想いをした人にしか分からない。
「……この世は地獄だよ。……どれだけ善くあろうとして、できるだけ正直に誠実に生きようとしていても、俺が守っているルールをたやすく破り、他者に迷惑をかけても平気な顔をしている奴らが大勢いる。正直に誠実に生きても、誰かには憎まれる。人を傷つけないように気をつけていても、何気ない言葉で『傷つけられた!』とわめき散らす奴がいる。全部、思い通りにいかない事だらけだ。大切な人はある日突然死ぬし、どれだけ交通ルールを厳格に守っていても事故には遭う。善良に生きていても病気になる」
嘆き苦しむ声は、まるで聖者のそれだった
「……でも、そんな地獄の中で咲く花にならないと。華やかでなくていい、大きく育たなくてもいい。ただ己の誇りを胸に掲げて、慎ましやかに咲けばいいんだ。……諦めてしまうとすべてが終わる。もしかしたら得るはずだったかもしれない幸せも、知らないままだ。……俺も諦めていたら、朱里と出会えなかったかもしれない」
尊さんは手探りで私の頬を撫で、吐息を震わせて笑う。
「今日、色んな事を思いだして本当につらいと思う。全部投げ出して、泣いてわめいて、『嫌だ』と叫びたくなってるだろう。それら全部、俺に預けてくれ。俺の前でなら泣いてもいいし、地団駄踏んで叫びまくっていい。…………でも、それが終わったらまた、共に生きていこう」
温かな声を聞き、私は涙を流す。
「生きるんだ。生きて、幸せになるんだ」
「~~~~っ、うぅ……っ、うー…………」
その時こみ上げた涙の正体が何なのか、自分でもよく分からない。
改めて父の死の真相を知り、絶望し、大きなショックと心の傷を思い出し、父に「どうして死んだの!」とやりせない怒りを抱き、それでも生きろと言ってくれた尊さんの、いまだ生々しい、血まみれの傷に触れ、――――すべてがグチャグチャに混じりあって私に涙を流させる。
「あぁあああぁ……っ、あぁあああぁっ……」
私は暗闇の中、温かいお湯に浸かったまま、大好きな人の腕に包まれて声を上げて泣く。
「お父さんともっと話したかった……っ! もっと生きてほしかった……っ! なんであんな……っ、――――子供だから頼りないかもしれないけど、私に気を遣わないで、悲しい事があったなら、家で声を上げて泣いて、『畜生!』って怒って良かったのに! そうされたほうが、死なれるよりずっとマシだった! もう……っ、会えないっ! 私の話……っ、聞いてもらえないっ! 今……っ、『尊さんと出会えて幸せだよ』って事も、伝えられない……っ! ~~~~っ、結婚式もっ、来てもらえないっ!」
私は声を上げ、子供のように駄々をこねて泣く。
今までこんなに泣いた事はなかった。
尊さんに命を救われたあの橋でも、ここまで素直に父の死を受け止め、悲しむ事はできなかった。
ずっと心の奥底に封印していた感情が決壊し、初めて涙を流して泣き、父の死を悲しめた。
本当はずっと、こうやって感情を露わにしたかったのかもしれない。
『つらい事なんてない』とすべてを押し殺して生きてきた学生時代。
大人になって色んな事を『仕方ない』と諦め、恵と飲んで愚痴を言い合い、一応の発散ができているつもりでいたけれど、――――まだ私の心の底は、固く閉ざされたままだった。
それが尊さんの言葉によって優しく開けられ、思い出したくなかった記憶と対峙しても、混乱してヒステリックになる事なく、素直に感情を解放できている。
尊さんが一緒になって悲しみ、涙を流してくれたから、余計に素直に泣けたんだと思う。
「~~~~っ、お父さんのバカーっ!! 大好きだったのに!!」
私の声がバスルームの中に反響する。
私は体の中に留めていたものをすべて出すように、涙も鼻水も遠慮なく垂らした。
喉が痛くなるまで泣き叫び、疲れ切った頃には、すべてが空っぽになった感覚を得ていた。
でも、虚無じゃない。
心の底に堪っていたヘドロのような毒素をすべて出し切り、スッキリと生まれ変わったような心地になっている。
「……洟……」
私はぼんやりしたまま、お湯で顔を洗って浴槽の外に捨てる。
「沢山泣いたな」
優しい声を聞き、私はいまだ涙ぐんだまま微笑む。
「うん」
返事をしたあと、私は静かに息を吸い、吐いていく。
「……でも、スッキリした」
「そっか。……なら、何よりだ」
尊さんは柔らかな声で言ったあと、私の頭を撫でてきた。
「ちょっとずつ、前向いて歩けそうか?」
「……うん。尊さんがいてくれるなら」
すると彼はお湯の中で私の手を握り、指を絡めてきた。
「一緒に歩くよ。夫になって一緒に家庭を築いていくんだ。……でも、たまには兄貴のように思ってもいいし、父親のように思ってもいい。家族になるんだ。その愛情は、必ずしも男に向けたものじゃなくていい」
「うん。……私の事も、妹みたいに思っていいよ。尊さんみたいな大人が、私に母性を求めるかは分からないけど、たまには甘えてほしい」
そう言うと、彼は小さく笑って私の頬を撫でた。
「いつも朱里の存在に救われてる。俺がたった一つなし得た、人助けができた、人の命を救えたという奇跡の証。……それでいて、全力で愛しても受け止めてくれる、代わりのいない女性だ」
尊さんの言葉を聞き、私は涙を流しながら笑い、手探りで彼の両頬を包むと、そっとキスをした。
「多分、もう大丈夫。私たちはすべて乗り越えて、何があっても夫婦として歩いていける」
「……愛してるよ」
暗闇の中でそう聞いただけで、尊さんがどんな表情で笑っているか、手に取るように分かった。
私の事が好きで堪らない、愛しさに溢れた顔だ。