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「どうか、これを守るように生きて欲しい」先程とは違う彼の雰囲気に、頷くしかなかった。
「うーん?守るってどういうこと?」
ロイは、私に微笑んだ。
「君は、この世界から目覚めるだけでいいんだよ」
水色の瞳が視線を外すことを許してくれなかった。
引き込まれるロイの表情から目が離せない。
カードとともに包み込まれた手には、強い意志を感じる。
それがどういう事なのか分かる前に、彼の手は離れていく。
「それでは、また。再び会えることを願っておこう」
貴族の挨拶のように、帽子をとり、しなやかな動きで礼をする。
私も釣られるように軽く会釈する。
「もう行っちゃうの?」
なぜか、そんな名残惜しそうな言葉が出てしまった。
それは、この場所で一人になるのが少しばかり寂しかっただけだからだと思う。
「もちろん」
ロイはあっさりと答えると。軽い足取りで坂を下っていく。
「なんなの、あの人」
遠ざかっていく背中に吐き捨てる。
自分のやるべきことだけをしてすぐ去っていく。
そんなロイのマイペースさに、呆れてしまった。
寂しさに取り残される私がバカみたい。
手に残されたカードの女性は、あいかわず安らかに眠ったまま。
どこか見覚えのある顔立ちなのは、気のせいだろうか。
裏を返しても、女性は写っている。
ただ、見える位置が変化していた。
それは、女性が眠っている部屋の内装まで見える視点。
薬品が大量に詰められている棚。
不気味に光る試験管。
彼女のベッドサイドには、記録用紙が無造作に置かれている。
表と裏で女性に対して見える視点が違うのは、
何か意味があるのだろうか。
「不思議な場所だね」
蝶に語りかけた時だった。
女性の部屋の奥に、なにやら蠢く陰が見えた。
目を凝らしてみると人の影ではなさそうだ。
それはもっと形が曖昧で、闇に潜んだ何かがカード越しに私を見ていた。
恐ろしい何かに狙われている。
そう全身が感じた。
私はすぐさま、カードをポケットにしまい、花園へ意識を戻す。
しかし、花園は嵐の前の静けさのようだった。
あいつが来る……。
本能が逃げろと叫んでいる。
バラ園の空気が徐々に重くなっていくのを感じながら、私は走り出した。
空一面は厚い雲に覆われ、唯一の月明かりを隠そうとしていた。
無我夢中で道をもどると、暗いトンネルの中に先程の扉が現れる。
一目散に駆け寄り、ドアノブに手を伸ばす。
「君は、この世界の住人でいるつもりかい?」
ドアノブに触れる直前、ドア越しから声が聞こえてきた。
「そんなつもりはありませんよ」
「しかし、困ったものだな。君はあの子よりも酷い状態だ」
「それは一体、どういう……」
それは、 ロイとキリンさんの声だった。
息を殺して、扉に耳を立てる。
「少し、失礼するよ」
「そんなっ、まさか……」
途切れたキリンさんの言葉。
途端、机に何かを突き立てるような音が聞こえる。
刃物。
そう感じたのは、気のせいであってほしい。
物音一つ許さない沈黙。
数分かの間、時が止まっていた。
「これに……何の意味があるのですか?」
それを破ったのは、キリンさんだった。
「この状況に対して、何も思わないのかい?」
二人は何をしているのだろうか。
扉には覗き窓がある。
頭上にあるけれど、背伸びをすれば中を見れるかもしれない。
扉に張り付き、背伸びをしてみる。
あと少しだった。
途端、視界が真っ黒に染まる。
何かに遮られたのだと分かった瞬間、私は背後からの何かに襲われ、意識をなくしてしまった。
気付くと、牢屋の中に自分がいた。
「えっ!どうして!」
目先の鉄格子に駆け寄る。
全身を使い、揺らしてみるがビクともしない。
叩いても、鈍い振動が手に伝わるだけだった。
閉じ込められたのだ。
「誰か助けて!」
自分の声は牢獄の闇に吸われていくばかりだった。
薄ら先が見えるくらいで、辺りには何も無い。
地面は石のようで冷たく、私の体温を奪っていく。
「どうしよう……」
いつの間にか一緒にいた二匹の蝶はいなくなっていた。
はぐれてしまったのかもしれない。
となると、今は完全に一人きりだった。
目先に広がる暗闇が、怪物の恐怖を思い起こさせる。
「やあ、お嬢さん。お目覚めのようですね」
前触れもなく、緑色の目玉と角が生えたあの怪物が現れた。
ローブをまとった小柄ながら恐ろしい怪物。
「うわぁぁ!」
恐怖が身体を支配した。
よりにもよって、一番出てきて欲しくない相手。
全身の恐怖が限界だった。
「うるさいよ。静かにしろ。耳障りだ」
怒りをはらんだ響きに、私の身体の震えは氷漬けにされたように硬直する。
人間とかけ離れた怪物の声は、群れへ遠吠えする獣そのものだった。
殺意を感じるそれに、全身は動かなかった。
「そう。黙っていればいい。次、騒げば殺しますから」
緑の目玉が私を捕らえる。
自分の唾の飲み込む音がやたら大きく聞こえる。
全身をなめまわすような巨大な目玉、横に避けた三日月の口は、狂気そのもの。
「さあ、手を貸してごらん」
何をされるか分かったものじゃない。
でも、怒らせれば、私はすぐ殺されてしまうだろう。
恐る恐る鉄格子の間から腕を差し出す。
黒いローブの中から鋭い爪が光った。
あの時、一度見た光景だった。
逃げるべきだとわかっているのに、身体が上手く動かせない。
どこまでも切り裂いてしまうような長い爪が、私の腕を軽く撫でる。
痛みはなかった。
本当に、ただ撫でられたのだと思った。
それも束の間、腕から何かが滴っていた。
「えっ」
撫でられた場所から赤い線が引かれていた。
傷口から溢れ出るそれは、血だった。
その瞬間、目の前の怪物は本気で私を殺す気なのだと悟った。
痛みは感じないのに、うめきにも似た声がこぼれる。
「いやはや、さすがに奴も来ますか」
怪物は大きな口を釣り上げ笑うと、その場から煙のように姿を消した。
途端、金色の蝶の群れが牢獄に溢れた。
黄金の川が、私を守るように包み込む。
あまりの眩しさに目を閉じる。
全体が白い光に包まれたかと思うと、次の瞬間には、輝きが落ち着いていった。
目を開けると、恐怖だった牢獄は、見慣れた部屋と姿を戻していた。
「迎えに行くのが遅れてしまってすみません」
気付くと、蝶達は消え去り、キリンさんは私を腕の中に閉じ込めていた。
「え、キリンさん?どうして抱きしめてるの?」
キリンさんの大きくて優しい手が頭を撫でる。
「また怖い思いをさせてしまいましたから」
大切なものを愛でるように、キリンさんは私の頭を撫で続ける。
それが嬉しくて、恐怖で動かなかった身体が、キリンさんの触れる場所から溶けていくのを感じる。
「あっ、キリンさん!眼鏡!見つかったんだよ!」
キリンさんの腕の中で、喜びを隠せず、はね回る。
腕が離れ、私の視点までしゃがみこんでいたキリンさんに、それを見せようとした。
私は全身を確認する。
「あれ?」
手の中にもポケットにも、それは見当たらなかった。
ロイからもらったはずの真新しい眼鏡が。
「それなら、もう受け取りましたよ」
「えっ?」
キリンさんが胸ポケットから眼鏡を取り出す。
「貴方が怪物に攫われてしまった際、ドアの前に落ちているのを見つけました」
それは、ロイから貰ったはずの眼鏡だった。
私はそれをすかさず奪い取る。
「どうしてそんなことを?」
キリンさんは驚いた顔をしていた。
私は手にした、眼鏡を広げると、しゃがんでいるキリンさんにそっとかける。
「うん、お似合い!キリンさんのために頑張って良かった!」
怖い出来事の後で、強ばっていた筋肉が、今は緩みきっていた。
それは、眼鏡をかけたキリンさんがあまりにもかっこよかったからかもしれない。
博士みたいに着こなしているキリンさんは、とてもよく似合っていた。
「んふふ、ありがとうございます」
キリンさんは、笑顔を咲かせるともう一度抱きしめてくれる。
キリンさんに抱きしめられている間、周りを心配そうに飛ぶ蝶が目に入った。
「今、腕を治療しましょうか」
キリンさんもそれに気付いたのか、腕を離し、治療の準備を始める。
怪物に切られた腕の傷。
キリンさんは、お医者さんのように慣れた手つきで包帯を巻いてくれた。
あまりにプロのような身のこなしに、目を奪われていると、あっという間に治療は終わっていたようだ。