夜の公園は静かだった。ベンチの上に膝を抱えて、私はぼんやりと月を眺める。
どこかで猫が鳴いた。風が木々を揺らす音がする。
──そのときだった。
ふと視線を動かすと、黒い影が夜空を滑るように飛んでいた。人の形をしている。コートの裾が大きく広がり、まるで翼のようだった。
「…… 吸血鬼?」
私は、昔から吸血鬼に憧れていた。
人間ではない、夜の住人。どこかの本で読んだ、強くて、美しくて、孤独な存在。
そんな幻想の生き物が、今、目の前にいる──。
夢中でその影を追いかける。走りながら、胸が高鳴る。
早く、もっと近くで見たい。
影がゆっくりと降りてくる。私は足を止め、息を殺した。
目の前に立っていたのは、白髪の少年だった。
「……見た?」
低い声。赤い瞳が夜の闇の中で光る。
「君……吸血鬼なの?」
言葉が口をついて出る。驚きよりも、喜びのほうが勝っていた。
少年──葛葉は、眉をひそめた。
「お前、怖くないの?」
「怖いわけないよ! 本物の吸血鬼なんでしょ?」
近づこうとすると、葛葉は一歩後ずさる。
「……やばいな、お前」
「ねえ、血は吸うの? 空、飛べるの? 太陽はやっぱり苦手?」
「ちょっ、お前……!」
矢継ぎ早の質問に、葛葉は苦笑した。
「おい、普通は秘密にしろって脅すとこだぞ」
「秘密にするよ! でも、また会いに来てもいい?」
葛葉は呆れたようにため息をついた。
「……まあ、いいけどよ」
その日から、私は葛葉に会いに行くようになった。
「なあ、お前、なんで公園に住んでんの?」
何度目かの夜。ベンチの隣に座った葛葉が、ふいに聞いてきた。
「家がないから」
「……親は?」
「いないよ」
当たり前のことだった。小さい頃からずっとひとりだった。誰かを頼ることなんて、考えたこともない。
「ふーん……そっか」
それだけ言って、葛葉は夜空を見上げた。
「……寂しくねえの?」
「寂しくないよ。だって、吸血鬼と友達になれたもん」
冗談じゃなかった。
葛葉と話す時間は楽しくて、彼の話を聞くたびに、ますます吸血鬼という存在が魅力的に思えた。
「葛葉って、ヒーローみたいだよね」
「は?」
「かっこよくて、強くて……なんか、すごく憧れる」
素直な気持ちを口にすると、葛葉はむずがゆそうに頬をかいた。
「お前、ほんと変なやつ」
でも、その顔はどこか優しかった。
ある夜、私はひどく体調を崩した。寒さに耐えきれず、震えながらベンチにうずくまる。
──ダメだ。眠くなってきた……。
「おい」
ぼんやりとした視界に、黒い影が映る。
「……葛葉?」
「バカか、お前……」
気づけば、抱き上げられていた。温かい。
「こんなとこで死ぬ気かよ」
赤い瞳が、怒ったように、でもどこか悲しげに揺れる。
「俺んとこ、来る?」
その言葉に、胸がきゅっと締めつけられた。
「あったかいよ」
──この人と一緒にいたい。
私は小さく、こくんと頷いた。