テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
小さい頃から口の減らない弘美にとって議論はスポーツのようなものだった、そのせいで父親と母親は弘美を疎ましく思っていたし、付き合った男は正論で自分の行動を追い詰められるのを嫌った
しかし今セクハラ裁判の予備的証拠異議の、申し立てのための口頭弁論では、週末の拓哉の件もあってすべてのうっぷんをこちらにぶちまけたのだが、少々やりすぎてしまったのかもしれない。少し弘美はそう思ったが、まぁいいかと気を取り直した
被告人席に戻り、鞄にiPadをも入れようとした時、傍聴席にいた加々美弁護士が嬉々とした笑顔でこっちに来た
「いやぁ~赤坂君実にみごとだったよ 」
「加々美弁護士いらしてたのですか、わざわざありがとうございます」
「いやぁ~セクシャルハラスメントの案件を、労働法と雇用法を適用に出して、あれほど理路整然と論破しているのを見るのはなんとも気持ちがよいもんだな 」
「恐れ入ります」
深々と頭を下げ、謙遜しながら答えた、常日頃からこうした評判を得るために弘美は努力していた
労働や雇用に関するさまざまな業界誌を定期購読し、判例法と法案に通じるようにして、自分の専門分野の傾向や変化を研究した
「そうだ!今度大阪府の若手弁護士雇用委員会で、共同議長を探しているんだよ!どうだね?私の推薦で君が・・・・・と?・・・あれは?・・・もしや・・・」
加々美は興奮して話していた事を止めたと思えば、傍聴席の方を見つめて言った
「なんと! 櫻崎拓哉が来てるぞ!」
:*゚..:。:.
加々美の言葉に弘美は視線を上げた、すると傍聴席から通路を優雅にこちらに歩いてくる男性が見えた
1本あたりの映画の出演料が億を超える超ビッグスターは、いかにも周りの空気を支配してしまうらしい
今にも彼の前にレッドカーペットが引かれ、どこかしからのドラマでよくある様に登場シーンの音楽が流れてきそうだ
彼は弘美の1メートル前で立ち止まった。そしていかにも芝居臭い微笑みを披露してみせた
「君が赤坂弁護士だね・・・会えてうれしいよ」
あら・・・あらあらあら・・・弘美は心の中でつぶやいた
櫻崎拓哉の服装に深い襟ぐりのダークブラックのボタンダウンのシャツに、チャコールグレーのツータックのスラックス・・・
一見細身の彼だが、運動はしているのだろう、所々にしっかり筋肉がついてる。彼の体にピッタリフィットしていた、おそらくオーダーメイドの物だろう
シミ一つない顔から続く肌は色が白く、鎖骨がセクシーにシャツから覗いている。そしてとても鼻が高く、そのくっきりとした顔立ちは本当に彫刻のようだ
怪しく光る魅力的なアーモンドの瞳・・・なんてまつげが長いの・・・
ぷっくりとかわいらしい唇豊かなパーマがかかった艶やかな髪
テレビで見るよりじかに見る彼は、まさしくゴージャスで、雑誌で称賛していたように彼はアジアの奇跡だった
「これは!これは!櫻崎様!!わざわざこんな所にいらしてくださって恐縮です!申し遅れました。私は彼女の上司の加々美と申します」
ペコペコと加々美は名刺を胸ポケットから取り出し拓哉に渡した
「どうも・・・・・ 」
いかにも拓哉は感心がないそぶりで、名刺をポケットに収めた
「今度の役どころで早く感覚をつかみたくてね・・・立ち寄らせていただきました」
加々美がもみ手で拓哉にすり寄る
「ええ!ええ!そうでしょうとも!大変な大役だとお聞きしました、こちらのわが社のエースの赤坂弁護士がきっと力になってくれる事でしょう!」
なんとか弘美は彼に一瞬見とれたのを悟られないように無関心を装った、その時加々美のスマートフォンが鳴った
「大変申し訳ありませんが、私は次のクライアントが待っていましてオフィスに戻らないといけません、あとは・・ここにいる赤坂君に今回の件はお任せしていますので、彼女に何なりと申し付け下さい。そしてくれぐれもあなたの事務所の社長さんに加々美からよろしくとお伝えくださいね 」
ハハハと高笑いをして、加々美はいそいそと法廷を出て行ってしまった。今や午後の法廷が始まるまでこの誰もいない場所に弘美は櫻崎拓哉と二人きりになってしまっていた
「君が・・・・赤坂弘美・・・弁護士だねやっと会えたねどうしようか・・・君はもう知ってると思うけど、まずは自己紹介するよ、業界ではかしこまった自己紹介はお約束なんでね、僕は櫻崎拓哉・・・・名刺は・・・ああ・・・そうあとでマネージャーに届けさせるよ、僕は名刺をもたない主義なんだ」
彼はいつもそうしてるように魅力を振りまきながら右手を差し出した。綺麗な歯並びを見せつけ、弘美に型通りの愛想を振って笑った
「あなたがどなたかよく存じておりますわ、そして先週私のオフィスに来る予定だった事も」
弘美は挑むように拓哉を睨みつけた、まだ先週すっぽかした謝罪を受けていない、拓哉は差し出してた右手を静かにおろした、弘美のそっけない口調に驚いたような表情だった、しかしすぐに彼は持ち直し唇の端をにこっと上げた
「ああ・・・そうだね、先週僕は君との顔合わせをキャンセルしたんだっけね・・」
いかにも何でもない些細な事の様に、拓哉は小さくため息をついて首を振った
弘美は腕を組んで、拓哉の前に片眉を吊り上げ立っていた
「あいにく手が離せない用事が出来たんだ、分かってくれるだろ?僕の立場ってものを 」
恩着せがましく彼は言う、それからそんなことはどうでもいいとばかりにさっと手を一振りした
「君も知ってる通り、僕はとても忙しい身なんだ。分刻みでスケジュールは埋まっている、何はともあれ、今僕はここにいるだからさっさと仕事にとりかかろうよ、赤坂弁護士・・・・・あっそうだ、二人っきりの時は弘美ちゃんと呼んでいいかな?僕のことは拓哉でいいよ」
僕って気さくだろ?とばかりに人好きのする笑顔を彼は見せた、スポットライト無しでこんなに笑顔がまぶしい人は初めて見た
今は拓哉はそびえるように弘美の前に立っている、芸能人ってシークレットブーツを履いていたり実際はテレビで見るより背が低いものだと聞いたことがあったが、拓哉は紛れもなく高身長だった
「今回の主旨について何も聞かされていないのだけど・・つまり私は何をして差し上げたらいいのかしら?【櫻崎さん】」
弘美の言葉を聞き、拓哉は忍耐強そうな笑顔を見せた、我儘な生徒を扱うといった感じだ、さしずめ私はダダをこねている生徒って所かしらね・・・・
「そうだな・・・・・ 」
拓哉は法廷をぐるりと見まわした
「脚本には僕が証人を反対尋問しなきゃいけないシーンが沢山出てくるんだ。その見本を見せてくれないか・・・・テレビで見る様な、いかにもしらじらしい愚にもつかないモノはだめだ・・・僕はどこまでもリアルを追求したいんだ、細部にまでとことんこだわってね・・・これが僕のポリシーで、今までトップクラスの映画スターを走っている原動なんだよ、さぁ やって見せてくれたまえ 」
弘美は思わず笑いそうになって下を向いた、「やって見せてくれたまえ」と言った櫻崎拓哉はアニメ(ちびまる子ちゃん)に出てくる花輪君そっくりだった、「ベイビー」と言わなかっただけマシだ
彼は想像していた以上に滑稽なくらい傲慢で、おかしくなるほどだった、弘美は必至で笑いたくなるのを我慢して言った
「証人がいないのに反対尋問なんて出来ません 」
彼は一理あると顎をさすった
「ふむ・・・では僕が証人ではどうかな?」
「・・・あなたが・・・ですか?」
「いかにも」
その瞬間弘美の頭の中に少し意地悪な思い付きが浮かんだ
「いいでしょう 」
弘美は法廷内を身振りで示した
「証人席に座ってくださらない?」
拓哉は満足そうに尊大な態度で証人席に座った、初めて会ってからやっと彼女が自分の命令に従ったのだ、まるで気の荒い野生の馬を飼いならした気分だった
踏ん反りかえるように証人席に座った拓哉の真正面に、弘美はヒールを鳴り響かせて立った、弘美は即興で行う「反対尋問」の質問にとりかかった
「櫻崎拓哉さん、あなたは先週の金曜日私のオフィスに伺うと、あなたのマネージャーが手配したことを知っていますか? 」
弘美の尋問を面白がるように拓哉は微笑んだ、座席にもたれ、気楽そうな姿勢をとる
「ハイ そのとおりです、赤坂弁護士」
「金曜日にあなたが現れなかったので、うちの秘書が土曜日私がオフィスにいるので連絡が欲しいと、あなたのマネージャーに伝言したそうですが、その通りですか?」
拓哉は組んでいた長い脚を反対に組みなおし、そんな些細な事など気にもしていないとばかりな態度をとった
「それも合っていますね、先ほども言いましたように、僕はとても忙しい身なんですよ。時には撮影関係の緊急の事態で身動きが取れない場合がよくあるんです」
「つまり・・・仕事上の緊急事態ということ・・・ですか?」
弘美は肩眉をあげて言った、拓哉は得意満面に言った
「むろん!この仕事ではよくあることです。僕はスター俳優ですからね 」
弘美はそれ以上何も言わなかったが、自分の荷物が置いている席に戻り、ブリーフケースからiPadを取り出した
「証拠物件Aを提示させてください」
iPadの電源を入れてあるアプリを開きながら弘美は言った
「この証拠物件がなんだかおわかりですか?櫻崎さん 」
拓哉は身を乗り出しiPadを覗き込んだ
「何かの動画を見せてくれるんですか?なんだかわかりませんね・・・」
弘美が拓哉に見せたのはiPadに映っている動画だった、YouTubeサイトから拾った先週のサンデーアフタヌーンのハイライトシーンだった
リポーターにつかまった拓哉が「ヤロー同志の思いつき旅」と言ってるシーンで、弘美がボリュームを上げた、動画の見出しには
「櫻崎拓哉が週末思い付きのぶらり沖縄旅行を楽しむ 」
と書かれていた 弘美はつづけた
「もしかしたら、このご旅行にはあなたはスマートフォンをお持ちではなかったのですか?」
「もちろん持って行ってましたよ、僕はプライベート用、仕事用とスマホを3つ持っていますからね」
「では私のオフィスに電話して面会は来られないと連絡も入れられたはずですよね?ソーキそばを食べながらでも 」
なんだか居心地が悪くなってきたと感じた拓哉は、弘美がもっとマシな質問をしてくれればいいのにと思った
「これは・・・・恐れ入りましたな、弁護士さんというものは何でもご存じなんですね。たしかに僕は週末沖縄にいましたが・・・でも僕は俳優業をしてるんですよ、誰かとの面談の都合など自分で連絡なんかしませんよ、よほどの緊急事態でもないかぎりね 」
おっと・・・とその時弘美が自分のボールペンを床に落とした
彼女が前かがみになって拾おうとした時に、ちょうど拓哉の席からは弘美の綺麗なシャツからこぼれそうな胸の谷間がチラリと見えた、思わず拓哉は彼女の胸の谷間に、目を向けずにはいられなかった
その時ジロリと弘美が拓哉を睨んだ、目が「今私の胸を見たでしょ」とばかりに攻めている、途端に拓哉は気まずくなり耳が熱くなるのを感じた
「あなたはこのインタビューでは(思い付きのヤロー同志の旅行)とおっしゃってますね」
拓哉が一つ咳をした
「ええ・・・本当ですよ!嘘はついてません 」
「ではなぜ、先ほど私に(仕事上の緊急事態で身動きがとれなかった)と話しを、でっちあげようとしたんですか?」
さすがにこれを聞いた拓哉は何も言えなくなってしまった、さらに弘美が追い打ちをかける
「あなたの今日の計画はどういったものだったのでしょうか?櫻崎さん、のこのこ今日現れて、ただ微笑んでみせれば先週の面談をすっぽかした事をなにも尋ねられないと思っていらっしゃいましたか?」
まさに図星だった、拓哉は何も言えず、今は腕を組んで弘美をぐっと睨みつけていた
「ああ・・・申し訳ありません櫻崎さん、法廷速記者にあなたの返事が聞こえないとダメなんです、その態度は認めたということですか?でしたら ハイとおっしゃってください」
「・・・ハイ・・・そうです・・・それが今日の僕の計画でした・・・」
弘美は拓哉をじっと見つめて言った
「その計画はどのくらい上手く行ってますか?」
拓哉も弘美を睨み返して言った
「あまり上手く行ってませんね」
弘美はiPadのケースの蓋をパタンと閉めて言った
「結構です、私からの質問は以上です 」
そう言うと、いっそうハイヒールの踵を鳴らして傍聴席まで行って、自分の鞄とコートを持って出口に向かった、カッとなった拓哉が立ち上がった
「待てよっ!この後どうするんだ!何度も言ってるが僕はとても忙しい身なんだぞ!!」
カッカッとヒールを鳴らして出口に向かっていた弘美がクルリと振り向いた
「今は 私が忙しいのよ!」
そのセリフを最後に、彼女は法廷のドアをピシャリと閉めて出て行った
:.. :。:
一人残された法廷に、5分ほど彼は佇んでいた・・・
なぜなら今にもカメラマンやどこかのスタッフがどっと押し寄せて、これはどっきりカメラだと言うのを待っていたからだ、きっとルートたけし監督ならこういうジョークは大好きだろう
だから拓哉は待った
でも何も起こらない
しばらくして、やっとこれはジョークではないと拓哉は初めて気づいた
そして先ほどの彼女との尋問のやり取りを細かい所まで素早く思い返していた、彼女の失礼で無作法の言葉のひとつひとつを・・・・
ここ何年もあんな口を拓哉にたたいた人物はいなかった、あきらかに赤坂弘美は、先週面談をすっぽかしたことを怒っていたのだ
そしてあれはわざとボールペンを落として、胸の谷間を見せて僕を油断させた、視線があったときに「ひっかかったわね」と言わんばかりの弘美の自己満足の目つき・・・・
最後の数分間、自分は完璧に彼女にもてあそばれていた・・・・
「赤坂弘美・・・・」
一人取り残された法廷の広い空間・・・拓哉のつぶやきだけがそこに響いた
:
..:。:.
「んで?どうだった?弁護士との面会は?彼女美人だったか? 」
マネージャーの幸次がウィンカーを鳴らしながら拓哉に聞いた、拓哉は視線を助手席の窓に向け、なにやら考え込んでいた
「加々美弁護士から美人と聞いていたが、ブスだったのか?それとも口臭がひどかったとか? 」
拓哉の黒のランボルギーニをF1レーサー並みの巧みなハンドルさばきで、幸次がもう一度訪ねた
「美人は美人だったよ・・・」
拓哉はなんとなくあの時のことは幸次には言いたくなかった、先週の金曜日と言えば沖縄のゴールデンビレッジホテルのカジノのVIPルームで拓哉は大負けに負けて、意地になって負けた分を取り戻すまであと2日も宿泊したからだ
「金の問題じゃないだろ、お前なら負けた分なんか、一晩の撮影で取り戻すだろう」
意地になっていた拓哉に幸次はゲラゲラ笑った、幸次とは十数年の友達だ、二人で九州の田舎から一旗揚げてやろうと意気込んで上京してきて以来の仲だった
二人とも俳優志望だったが、拓哉がアイドルプロデューサーに見初められてから、アイドルとして売れに売れ出した時に、あっさり幸次は彼らのマネージャーをかって出た
実際、幸次は役者よりも、誰かをプロデュースすることにズバ抜けた才能を持っていた、しかしその人気絶頂期の時に拓哉のアイドルグループの一人が麻薬で捕まりそうになった
幸次はスキャンダルで大事になる前に素早く解散させて、拓哉だけ月9ドラマに最大限のコネを使ってねじり込むように出演させた、その計画が大当たり、いかにも最初からこういう展開だったと言わんばかりに自然な流れで拓哉は俳優業に転向出来た
幸い、そのドラマが社会現象を起こすほどの大ヒットを飛ばし、めでたく拓哉はアイドルから人気俳優でブレイクし、拓哉も幸次も首の皮一枚で免れた
なので拓哉は幸次にとても感謝していたあのままいけば他のメンバーと同じように今頃故郷に帰っているかどこかの会社員でいるかどちらかだった
拓哉にとって幸次との友情は移り変わりの早い芸能界で唯一変わらないもので自分が心を許せる人の一人だった
しかし・・・そんな彼にも先日あの麗しい赤坂弁護士とのやりとりをなんだか話す気にはなれなかった
撮影開始まであまり時間がないのにあの日の午後はあまり仕事が手につかなった
目が覚めるほど美人だったがあの執念深い弁護士はわざわざ拓哉が現場に足を運んで会いに行ったのにもかかわらず
約束をすっぽかした事など水に流して弁護士の演技を指導しなかったことに拓哉は苛立った
約束をすっぽかした事など些細なことなのに・・・
まぁ・・・今になれば秘書に連絡させてもよかったかもしれないし、大人しく先週の金曜日彼女の所へ出向いていた方が沖縄のカジノで大負けをする事もなかったかもしれないと少しは考え直しているが・・・
「なんだ?もう彼女と寝たのか?よかったか?」
「寝てなんかないよ・・・」
それ以前の問題だ拓哉は法廷で彼女に出し抜かれた忌々しい思い出を振り返っていた
あの時・・・反対尋問で彼女が自分に挑んできた時・・・
「相手が悪かったようね おあいにく様 」
とても言いたげな彼女の態度何を隠しても見透かされているような瞳
生き生きと活力に輝いて・・・証拠物件を突き付けられたときは、文字通りこちらが固まってしまった事実
拓哉にとって赤坂弘美はまったくの想定外だった
表情豊かで洞察力がある茶色い瞳・・・彼女の顔の周りでふわふわ揺れるカールされた髪・・・
そして・・・あれは絶対わざとだ!
チラリと見せた胸の谷間はこんもりとおいしそうだった
あろうことか彼女は女であることすらも武器として使っていた
あの日以来ざっくりしていた自分の弁護士役のイメージが固まりつつあった
カメラが回り・・・・自分があの女弁護士のように正義を掲げ、我がもの顔で弁論で憎い相手をじわじわ追い詰め・・・・そして最後にとろけるような微笑みで、相手を地獄の底にたたき落とす
まるで現代版水戸黄門だ、あの女は地でそれを行ってる
そんな作品を見終わった視聴者は、さぞかしスカッとするだろう、考えただけでゾクゾクした
しかし拓哉は首を左右に振った、でもあの時はどう考えても赤坂弘美が自分を侮辱して法廷から飛び出していったのは無礼だ!
それは許せることではない、この事を拓哉は幸次にどう話そうか悩んでいた
まったく失礼な話だと憤慨してもいいし「聞いてくれよ!ケッサクなんだ!」と言って面白おかしく話す事もできるどちらにするか決めかねていた
「ついたぞ!10分前だ!急げ」
幸次は運転席のシートベルトを外し、ランボルギーニから飛び出した
「野球観戦なんか興味ないよ・・・・」
拓哉はボソッとつぶやいた
「お前に興味があろうとなかろうと、観客席にお前が座っていることが重要なんだ!そして熱心に応援している所が中継カメラにすっぱ抜かれる!これが今日のお前の仕事だ!お前がここに存在することが大事なんだ!わかったな!」
「わかったよ・・・ 」
一塁側の観覧席のVIPルームに姿を現わせた拓哉を見つけるなり、観客はどよめいた、不意のサプライズでこの日拓哉が観戦することは、報道されていなかったからだ
ゲームが行われているにも関わらず、奇跡とばかりに黄色い声を上げる拓哉のファンに、拓哉は人差し指を口元に持って行ったいかにも自分のファンに
「今回はお忍びなんだだから静かにしてくれるよね」
とばかりにウィンクするそれを見ていたファンの女性の一人が卒倒した
そしてツイッターでは
―櫻崎拓哉が今俺の後ろにいる ナウ!―
―パネェ!!ガチで櫻崎拓哉カッコいい!―
―#野球観戦 #櫻崎拓哉 #誰を応援している?―
などのキーワードが飛びかいお祭り騒ぎになっていた
司会者席から有名な女性アナウンサーがしきりに拓哉に手を振っていた、拓哉は慎まし気に礼儀正しく彼女に向けて一礼し、興味なさそうに目をそらした
「あの女はもう二度とお前とはブッキングさせないようにしてるよ」
幸次がポップコーンを食べながら言った
「そう願いたい、これ以上ゴシップ誌に僕の名前の隣に彼女の名前を見たくない 」
拓哉のぶっきらぼうな口調を聞き、二人はそのまましばらく無言で野球を観戦した
拓哉は今まで関わった女性達が、全員マスコミの注目を集めようとする事にほとほと嫌気がさしていた
女優に歌手――スーパーモデルにアナウンサー、どの女性も例にもれず、拓哉とディナーでもしようものなら必ずレストランの出口に報道記者を潜ませていた
彼女達はこぞって拓哉と一緒にいる所をパパラッチに撮らせたがった、そして「櫻崎拓哉の女」(タクヤガール)と世間が認定すれば、話題になり自分も有名になれるのだ
成り上がりたい女達は、売名行為と自分のインスタのフォロワーが増えるのが大好きだった
そんな女性に失望しかかっていた拓哉にとって、弘美という存在をどう認識するべきか拓哉は考えていた
彼女は自分が現れたことに跪いて感激することもなく、自分に腹を立て、あろうことか自分は彼女に見下されていた、しかし彼女の洗練されたセクシーな弁護士らしいすべてを、どうやら拓哉は気に入っているのも事実だった
彼女との関係をこれきりにするつもりは今の拓哉には毛頭なかった
この試合が終わったら幸次に次の約束をあの弁護士に取り付けさせよう、今度は約束通り時間を守ってもいいかもしれない
そして生真面目な弁護士は夜になると「イケナイ弁護士」になる・・・
拓哉は口元がにやけるのを我慢した
いいぞ、つまらない野球観戦をしてる間、あの弁護士との今後を妄想して楽しもう
司書風のお堅い眼鏡をかけさせたらどうだろう、髪をアップにしてもいい、陪審員席で愛し合うにはどんな体位がよいのだろうか
そんな風に拓哉が妄想を巡らせていると、横にいる幸次の電話が鳴った、広報担当からだった
幸次が拓哉を見ながら言った
「おい!例の女弁護士の秘書から今回のお前との仕事を辞退したいって正式に連絡があったそうだ」
「なんだって?!!」
拓哉が思わず立ち上がった、その時バッターがサヨナラホームランを空高く決めた、途端に観客席から拓哉にフラッシュが焚かれる
ツイッターでは「櫻崎拓哉が立ち上がって応援しているナウ!」「彼は生粋の野球好きだ!」「ベイスターズのファンだったのか!」とつぶやきが画像付きで次々にタイムラインに上がった
:*゚..:。:.
「セクハラの裁判の被告達は法廷でうまくやれるだろうか・・・・」
弘美は大きな木材の会議テーブルを挟んで、向かいの加々美弁護士をチラリと見た
「被告は万全の準備を整えていますし、私からの後押しにかなり自信を持っています」
弘美は自身たっぷりに話した、弘美の横では速記係の新人の男性アソシエイト桐山が加々美と弘美のやり取りをノートパソコンで逐一記録していた
公判が始まるまであと2日、最終的な作戦会議とは名ばかりの報告会で、弘美は朝から出勤してからずっと加々美と男性アソシエイトと3人でこの会議室に缶づめになっていた
弘美は会議室の時計をチラリと見た、もうすでに昼を過ぎている・・・・
午後からは加々美に解放されて10件以上の証拠物件書類をまとめるという膨大な作業に入りたかった
そろそろ会議もまとめに入り、加々美お決まりの「君なら必ず勝てるよ」とさまざまな、激励の言葉が飛び交う時間だ、弘美は加々美の後退しかけたおでこの生え際にチラリと目線をやった
彼は良い上司なのだけど、いかんせん物事をもったいぶり過ぎる癖があった、弘美はにっこり笑って加々美のグダグダ長い話を聞きながら午後の段取りを紙に書き留めていた
すると―――
その時会議室のドアが大きな音を立ててバタンと開いて跳ね返り、外の風が突風のように入ってきた全員が飛び上がった
そして弘美はわが目を疑った、怒り心頭の表情をあらわにした拓哉が、ズカズカと会議室に入ってきたのだ
「さ・・・・櫻崎・・・拓哉?」
新人の弁護士の桧山は信じられないとばかりに目を丸くしてつぶやいた
そしてそのあとに酷く慌てた美香が、転がるように入ってきた
「申し訳ありません!申し訳ありません!彼をお止めしたんですけど――― 」
美香は半泣きで弘美に懇願した
一方拓哉は弘美に向かってまっすぐ歩いてきた(というより他に関心がないだけかもしれないが)そして状況が呑み込めていなくて、まさしく固まっている弘美の顔に、荒々しく指を突き付けた
「どうして 僕の電話にでない?」
拓哉が会議中にいきなり乱入してきて、問い詰めるような口調で自分を睨んでいることに、しばらく弘美は口が聞けなかった
「朝から三回君に電話したんだぞ!!しかも 僕自らかけたんだ!! 」
「これは!これは!櫻崎さん私の事を覚えていらっしゃいますかな?この間法廷でお会いした加々美でございます」
一瞬で加々美はまるで恋人に会えたかのように嬉しそうな顔を取り繕ろい、拓哉に近づこうとした
「君には!聞いていない!!ここにいる赤坂弁護士に聞いているんだ」
ピシャリと叩きつけられるように加々美に言う桧山、加々美、美香・・・そして拓哉の視線が一斉に弘美に向けられた
その頃には弘美はショックを乗り越え、たちまち自分を取り戻していた、そして美香に優しく言った
「大丈夫よ 美香ちゃん、私がなんとかするから 」
グスッ・・「赤坂弁護士~・・・・ 」
ぐすんと美香が鼻をならした
「こんにちは櫻崎様、思いがけず立ち寄って下さるなんて、嬉しい驚きですわ」
弘美はもっともプロらしい落ち着きはらった冷静な口調で言った
優しい口調とはうらはらに、いかにも有名人らしく、なんでも許されると思って馬鹿げたかんしゃくを起こしてる、自己中心的で傲慢な映画スターを睨みつけた
「午前中はずっとここで会議中だったんです、会議の時は自分のスマホをオフィスに置いていますので、急な用事は秘書が承っていたはずですが・・・何か不都合でもございましたか?」
「な・・・何度も言ったんです!赤坂弁護士は会議中ですって・・・・会議が終われば折り返し電話しますって・・・私・・・ 」
美香が必死で訴えた、握りしめるハンカチに力が入っていた、美香の背中をよしよしと新人桧山が撫でている
じっとこちらを睨みつけている弘美、その後ろに加々美と秘書と新人の弁護士・・・そして今や開け放されたドアの向こうには沢山の人だかりができていた
みんな拓哉が何をしにきたのか、次に何を言うのか興味津々だった
拓哉は反論しかけたが、弘美の説明を聞いて口を閉じた、どうやら予想外だったらしい、拓哉はもう一度周りを見渡してからコホンッ・・と一つ咳をした
「少し・・・勘違いをしたかな? 」
30分前メタルブラックのランボルギーニに飛び乗って弘美のオフィスへと疾走していた時、拓哉には自分の行動が完璧に筋が通っていると思っていた
拓哉と仕事をしようとしている人間なら、誰だってすべてのことを後回しにしてすぐさま拓哉の電話にでる、これが今までの拓哉の常識だった
だから今朝から弘美の秘書に伝言を残したのだ、自分はこれからも弘美と仕事をするつもりでいるし、弘美からの辞退の言葉は受け付けないと―――
だから彼女が嬉々として折り返し電話してくるのが当然だと拓哉は思えた
きっと彼女は思わせぶりな態度をして拓哉の気を引きたいのだろう、今回は拓哉が折れてやるけど、これからはそうはいかない、主導権は自分が握るのが好きなのだ
――しかし――
待てど暮らせど一向に彼女から連絡がなかった、とうとう午前中を電話を待つだけで、何もしないで過ごした
三度も彼女に伝言を残したのに、拓哉はこの自分が無視されたと思った、その答えは今後二度と二人で会うことはないという事だ
いつも拓哉が女性と別れる時に使う手口だった、酷いときはプライベート用のスマートフォンの番号まですっかり変えてしまう、弘美同じだと思った、考えると腹が立って居ても立ってもいられなくなった
そしてその怒りにかられたまま、弘美に言いたいことを言ったのに、今では少し自分が早とちりをしたのではないかと考えていた、彼女は本当に仕事で自分の電話に出られなかったのだ
会議用のテーブルにいた、生え際が後退した男性が拓哉に近寄ってきた、たしか彼女の上司的な人だったような・・・・
「櫻崎様は、酷く動揺されているようですが、彼女に何か問題がございましたか?もしそうでしたら心からお詫び申し上げます 」
加々美が拓哉にもみ手ですり寄ってきた、拓哉は長身だから加々美の頭越しに弘美が見えたその時拓哉は弘美と目が合ってゾっとした、もし視線で人を殺せるなら、今ごろ拓哉は床に倒れているなと思うほど、彼女に睨まれていた
「赤坂君!!これはどういうことだね?先日の案件では櫻崎様との仕事は完了したと報告を受けているが?」
加々美が弘美の方を向いて問い詰めた、弘美はテーブルを回ってこちらへやってきた
「それが・・・私も何が問題なのかよくわかりません、先日は法廷での弁護のレクチャーをさせていただきました、櫻崎様のおっしゃる通りに・・・・ 」
「しかし櫻崎様にはご満足いただけなかったようだな、でなければこの方が直接こちらに出向いてくださるわけがあるまい? 」
上司らしき男性の怒りの口調を聞き、弘美は一瞬加々美と拓哉を交互に見て、どう伝えようか考えているようだった
「事と次第によってはシンクレア法律事務所に報告せねばなるまいな、そしてボスにもね、君の行動に関心を持たれておられるボスをがっかりさせたくはないがね 」
「そ・・・そんなっ・・・・ 」
彼女がいいよどみ、あきらかに困惑し、途方に暮れたような表情を見せた
その姿は拓哉にとっては意外だった、彼女はキングコングさながら向かってくるものをちぎっては投げる、アマゾネスのような存在と思っていたのが、今は上司に怒られてしゅんとしている・・・・
その時・・・・・拓哉のみぞおちがズキリと痛んだ、あまりにも馴染みのない感覚だから認識するのに少し時間がかかった
―――罪悪感―――
どうやら彼女はボスと呼ばれる人と、シンクレア法律事務所とやらに自分の失態を報告されるのを、とても恐れているらしいと感じた
これは自分がなんとかしないと、いけないかもしれない・・・・・
拓哉はそう感じた、なんとなく彼女を悲しませることをしたくはないような気がしてた
アカデミー賞を受賞した俳優が、拓哉の中から出てきた「俺にまかせろ」と言わんばかりに拓哉は身振りを芝居い臭く、振りながら言い訳をしだした
「失礼・・・・・撮影後のハイテンションだったから少し僕が早とちりをしてしまったみたいです、わかるでしょう?僕は夕べとても過酷な撮影に挑んでいたんです、忠臣蔵の敵方に挑んでいくような配役でしてね・・・僕は時々現実とフェイクの境目が分からなくなるんです・・・あまりにも役にシンクロしてしまうがために・・・」
くっ・・・・と眉間を指でおさえ、苦悩の表情を見せる
「ええ!ええ!それはとても分かりますとも!あなたのお立場のような方の、お手伝いをさせていただけるのは、この法律事務所は、この上なく光栄に思っていますよ」
加々美は砂糖のように甘い猫なで声で拓哉に媚びを打った
「たしかに先日の彼女のレクチャーは素晴らしかったですが、まだこちらは彼女にお願いしたい案件が2~3あったのですが、彼女はあれで終了したと勘違いされてるようで 」
加々美は驚いたような表情をした、目が(¥)の記号になっている
「それは大変ですな!あなたのやっかいごとは、すべて私どもが引き受けますよ、特に彼女はわが法律事務所のエースでしてね、今後はあなたの案件に彼女が死力を尽くしてくれる事をお約束しましょう!」
ハハハと加々美が、弘美の背中をぐいっと拓哉の方に押した
「さぁさぁ!櫻崎様を君のオフィスにお通しして!櫻崎様の目の上のたんこぶをすべて排除してあげたまえ!すばらしいご縁が出来ましたな!」
高笑いする加々美をよそに、勝ち誇った表情でニヤニヤ弘美をみつめる拓哉を、犯罪にならなければ、今すぐ斧で頭をかち割るのにと、弘美は思わずにはいられなかった
:*゚
..:。:.
ツカツカと踵を鳴らしながら、ずんずん廊下を歩く弘美の後ろから、拓哉が口笛を吹きながら軽やかな足取りでついてきていた
「君のオフィスはどこだい?」
弘美は次に拓哉が口を開く前にクルリと振り向き、拓哉に指を突き付けて言った
「私の知り合いの弁護士に連絡しましょう、うってつけの弁護士がいます。あなたのような精神異常者や犯罪者達を何人も相手にしている方ですわ、心配はいりません!彼らはとてもよくやって下さいます。たとえあなたが法廷でよだれを垂らしてジタバタしていてもね!殺人以外はなんでも勝たせますよ――」
「いや!君じゃなきゃダメだ!僕の脚本を手伝ってほしんだ!」
拓哉と弘美は一瞬にらみ合った
「わかりました!私の知り合いに一級犯罪者で禁固刑になった罪人との面談で、彼がいつも興奮して壁に頭を打ち付けるので、毎回子守唄を歌って落ち着かせたという弁護士がいます!その方に連絡を取りましょう!きっと、とても良い声で脚本を読んでくださるでしょう!」
ふたたび踵を返して、ツカツカとまた弘美が足早に歩きだした、その後を拓哉が追いかける
「まってくれよ!君は僕に腹を立てているのかい?」
「あなた自分を何様だと思っているの?あんなふうに会議室に怒鳴り込んできて 」
弘美は拓哉にそれ以上近づくなとばかりに、指を突き付けた
「もう少しで私は大変なトラブルに巻き込まれる所だったのよ!ボスに報告されそうになったんだから、あなたのせいで!」
「たしかに早とちりをしたのは僕が悪かったと思ったから、ひと芝居打って、あの場を落ち着かせたんじゃないか!いわばこっちが礼を言ってほしいぐらいだね」
首をわざと大きく回して髪の毛を振る拓哉の、お決まりのポーズをしてみせた
「それはどうもありがとう!お帰りはあちらよ!」
次の瞬間拓哉は去っていく弘美を見送っていて、その場に取り残された、急ぎ足で歩きにぎやかな廊下の真ん中で弘美にやっと追いついた
「ちょっと問題が起こったのは本当なんだよ!」
拓哉は説明した
「実は今度の法廷ミステリーの脚本を書いた時、脚本家は弁護士に助言を求めたりしなかったってことだよ!だから脚本がほとんど法廷でのシーンはエンターテイメントになってるんだ、まるでコントだよ! 」
「それはお気の毒に!集団提訴相手側の弁護士と裁判の件で、話し合う時間が何分とれるか、尋ねてくれる?」
そう言うと弘美は自分のオフィスに入ってい行った、その後すぐ拓哉の隣を駆け足で美香が追い越しした、美香はずっと二人の後を着いてきてやりとりを聞いていた
「ハ…ハイ!すぐにとりかかります! 」
美香は素早く秘書席についてパソコンのキーを叩き出したが、視線はチラチラ拓哉を見ていた、彼女の耳は真っ赤だった
――なんだ・・・彼女に言ったのか――
拓哉はオフィスの前で所在げに立っていた、誰かに置き去りにされることは慣れていない、仕方がなく拓哉は半開きになったオフィスのドア枠にもたれてじっと中を観察した、その頃には弘美はデスクの上の山のようなファイルに目を通していた
「君に脚本を読んでもらって、おかしい箇所を指摘してほしいんだ」
「無理です」
「なぜだ 」
「見てわからない?二日後に始まる裁判を抱えているからよ!」
拓哉はそんな事どうでもいいとばかりに首を振った
「じゃぁ 夜にやればいいじゃないか」
弘美はため息をついて、やっと書類から視線を外し拓哉を見た
「ねぇ・・・どうして他の人じゃダメなの?優秀な人を紹介するって言ってるのよ? 」
「君じゃなきゃだめなんだ!」
「だからどうして? 」
彼女が自分に近寄ってきた、先ほどは視界にも入れてもらえなかったのに、これは少し進歩かもしれない、拓哉は弘美の気を引けたことに嬉しくなった
「なんて言ったらいいかな・・・君に興味があるんだよ、赤坂弁護士・・・ 」
すぐ拓哉の近くで弘美の大きな瞳が見開いた
「私に・・・?興味があるの?」
「ああ・・・わかってもらったかな・・・?」
大胆かなと思ったが、拓哉も一歩前に出て、彼女の瞳を熱くみつめた
おいおい?―――急にいい雰囲気じゃないか?
弘美は恥ずかしいのか、うつむき加減で一歩拓哉から体を引いた
なんだ―――意外と照れ屋さんなんだな、今この場で彼女にキスしたら・・・・・
拓哉が身を引いた弘美に、近づこうとした瞬間
彼女は拓哉の顔の前でピシャッとドアを閉めた、そしてオフィスの内側から「ガチャンッ」と鍵がかかった
一瞬拓哉は呆然と廊下に立ち尽くし、ゴンッと木製のドアに額を押し付けた。彼女に目の前でピシャリとドアを閉められたのはこれで二回目だ
「ちくしょう・・・・」
しばらくして振り返ると、秘書の美香が目をまん丸にして一部始終を観察していた
そして拓哉と目が合うと、飛び上がって真っ赤になってもじもじしている、彼女は俳優櫻崎拓哉を見た時の女性の反応の模範解答のようだ
―そうだ これが正しいよな・・・
そしてオフィスの外を見ると沢山の人だかりができていて、みんな先ほどの拓哉と弘美のやり取りを見ていたのか、ニヤニヤしている
拓哉は襟を正してびくびくしている秘書の美香に近寄った、キャーッ・・・・と群衆のどこからか声が聞こえた、自分に近づいてきているのを感じている美香は、今や両手で顔を覆っていて、首まで真っ赤になっている
拓哉はにっこり微笑んで美香に言った
「加々美弁護士に電話してくれるかな?」
:*゚..:。:.
「櫻崎拓哉様との仕事の件で、どんな問題があるか話してくれんかね?」
電話口で加々美が真剣な口調で言った
そんなと弘美は大声で叫びたかった、櫻崎拓哉なんて単なる俳優じゃないですかと
でも加々美の有無も言わさない雰囲気に、弘美は必至で事をまるく収めようとした、こんな事でボス弁に報告されてはたまったものじゃない
「加々美弁護士・・・・私には彼の脚本の修正なんてとても荷が重くて出来ません、彼には私よりずっとふさわしくて優秀な弁護士がいらっしゃるはずです 」
「櫻崎拓哉は他の者を望んでいない、彼は君と働くことを望んでると私にハッキリ言ったんだ 」
弘美はこれを聞いてますます不快になったとにかく彼は人を見下している
傲慢で先ほど彼がニヤニヤしながら
――君に興味がある――
と言われた時には鳥肌が立った
女なら彼にそう言われたら、なんでも言う事を聞くと思っている、思い上がりも相当だ
「加々美弁護士・・・考えてもみてください、私は裁判の準備のさなかにいます、雇用機会委員会が要求している金額をあなたに思い出させるまでもないでしょう、今は私にとってとてもタイミングが良いとは―――」
加々美が再び遮った
「赤坂君!私はとても君を高く評価しているよ、この法律事務所で君ほど優秀な若い弁護士もめずらしい、だから悪くとらないでほしいのだが、君が何を問題にしているかは正直どうでもいいんだ」
弘美は少しショックを受けた、今まで加々美にこんな風に話を遮られたのは初めてだった、加々美は弘美より数段力量のある、テラン弁護士特有の押しの強さを初めて見せた
「櫻崎拓哉はこの法律事務所にとって、もっとも重要なクライアントだ、今後は彼の税関係をすべて扱うことになるだろう、私は今まで訴訟関係の仕事をこちらに回してもらおうと何年も苦労してきた、この男は自分についてのたわごとを記事にした者をかたっぱしから告訴するので有名だからな、彼の評判はそんな裏の地位でも持っているんだよ」
「それでも彼はとても傲慢で、口のきき方もなっていなくて、さっきなんて私に興味があるとセクハラまがいの発言も・・・・」
「セクシャルハラスメントから企業を守っている、女性弁護士の君がそれを対処できないとでも?」
弘美はもう何を言っても無駄だと感じた、大きくため息をついた、加々美が最後の決めセリフをいう頃あいだ
「行って、櫻崎拓哉との問題を素早く解決してきたまえ」
:*゚..:。:.
バタンッと勢いよく弘美はオフィスのドアを開いた、するとそこには信じられない光景が広がっていた
「やぁ、加々美弁護士との話は終わったかい?」
拓哉が優雅に秘書の美香の席に座ってお茶を飲みながら言った、彼の前のデスクには来客用のチョコレートやクッキー、彼が退屈しないように数々の雑誌まで置かれていた
そして遠くの方で、格フロアの他の秘書がクスクス笑ってこちらを見ていた、これ以上事務所中の人に注目されたくなかったら今すぐ彼を連れてどこかへ移動しなければいけない
「・・・美香ちゃん・・・模擬裁判用の部屋を押さえてくれるかしら・・・櫻崎様とそこでミーティングできるように・・ 」
弘美は怒りに思わず手をグーに握りしめた、美香が嬉しそうに弘美に言う
「もう手配しました!C会議室があいてます!」
「君の秘書は、なかなか優秀だな、赤坂弁護士 」
回転いすを左右にあっちへこっちへ揺らしながら、拓哉が弘美に言った、今度は誰にもらったのか高級みかんゼリーを口に頬張っている
「いやん~そんなぁ~~~ 」
美香は頬を押さえてクネクネした
「櫻崎様・・・さっそくはじめましょうさぁ・・・こちらへ 」
怒りに声が震えないように弘美が言った
「ああ・・そうだね、そこの諸君!色々と差し入れをありがとう、僕はプライベートではサインをしない主義なんだ、だからお詫びに事務所から僕のグッズで顔写真入りの携帯ストラップを50個こちらへ届けさせるように手配するよ! 」
手を振りながらさっそうと拓哉が立ち上がった、キャーッと遠くから見ている秘書軍団が悲鳴を上げた、美香が紙を持ってその周りを走り回っている
「50個限定よ!順番にこちらに名前かいて!早いもの勝ちよ! 」
弘美はこの仕事は裁判よりも強い忍耐力が必要だと悟り、はやくも引き受けたことを後悔していた
コメント
1件
面白いです❗️