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なにも考えないで書いた中太。エロ無し。
太宰治という男は、死に場所を探す天才であると同時に、他人の安眠を妨害する天才でもあった。
ヨコハマの夜を飲み込むような深い静寂の中、中原中也のマンションの呼び鈴が、執拗に、かつ不規則なリズムで鳴り響く。時計の針は午前二時を回ったところだ。
「……手前、何の用だ」
ドアを開けるなり、中也は低い声で威圧した。その手には既に、投げつけるためのワイングラスではなく、実戦的な重みを持った文鎮が握られている。
扉の向こうに立っていた太宰は、まるで昼下がりのカフェにでも現れたかのような軽薄な笑みを浮かべていた。外套はひどく濡れ、足元には水溜りができている。
「いやぁ、中也。あまりに月が綺麗だったから、君の醜い寝顔と対比させて鑑賞しようと思ってね」 「外は土砂降りだろうが。月なんて微塵も見えねえよ」 「おや、バレたかい?」
太宰は中也の制止を待たず、当然のような顔をして室内へと滑り込んだ。濡れた靴跡が高級なカーペットを汚していく。中也はこめかみに青筋を立てたが、太宰の肩が微かに震えているのを見て、舌打ちと共にドアを閉めた。
「風邪引いて死ぬのは手前の勝手だが、俺の部屋を検死現場にするんじゃねえ。風呂入ってこい、この青鯖」
十分後、中也の貸した大きすぎるスウェットに身を包んだ太宰が、湯気を立てながらリビングに戻ってきた。髪が湿って跳ねており、いつもの得体の知れない迫力が削ぎ落とされている。
中也はキッチンで湯気を立てるマグカップを二つ用意していた。一つをテーブルに叩きつけるように置く。
「中身は?」 「生姜湯だ。毒は入ってねえよ、残念ながらな」 「へぇ、中也にしては気が利くじゃないか。脳みそが帽子に圧迫されて縮んでしまったかと思っていたけれど」
太宰はソファに深く腰掛け、マグカップを両手で包み込んだ。その指先は、まだ白く冷え切っている。
「……で、本当は何しに来た。心中のお誘いなら、ポートマフィアのビルから飛び降りる方が手っ取り早いだろ」
中也は対面の椅子に座り、自身のマグカップに口をつけた。 太宰はしばらく無言で、立ち上る湯気の向こう側を見つめていた。その瞳には、道化の仮面を脱ぎ捨てた後に残る、底知れない虚無が淀んでいる。
「……夢を見たんだ」
ぽつりと、太宰が呟いた。
「君が、私の名前を呼ぶ夢だよ。でもそれは、いつもの罵倒じゃなかった。もっと……そう、酷く救いのない音だった」
中也の指がぴくりと動いた。 太宰治という男は、嘘を吐くときに饒舌になる。逆に、こうして言葉を選びながら、断片的な事実をこぼすときは、タチの悪いことに「本音」が混ざっていることが多い。
「夢だろ。俺が手前を救うなんて、天地がひっくり返ってもあり得ねえ」 「そうだね。だから、確認しに来たんだ。君がいかに野蛮で、乱暴で、私を救う気など微塵もない、ただの『中也』であるかどうかをね」
太宰はふっと目を細め、生姜湯を一口啜った。そして、ひどく嫌そうな顔をする。
「やっぱり不味い。君のセンスは相変わらず壊滅的だ」 「文句あるなら飲むな。叩き出すぞ」
中也の言葉に、太宰は短く笑った。その笑い声は、雨音に紛れて消えてしまいそうなほど脆い。
雨脚はさらに強まり、窓を叩く音が部屋の密度を濃くしていく。 太宰はマグカップを置くと、ソファに横たわった。中也の部屋であるにも関わらず、彼はそこが自分の居場所であるかのように振る舞う。
「中也、覚えているかい? 十五の頃、初めて二人で任務をこなした夜のことを」 「忘れた。いちいち忌々しい過去を振り返る趣味はねえよ」 「嘘だね。君はああ見えて記憶力がいい。特に、私に恥をかかされた記憶に関しては、一生忘れないはずだ」
太宰は天井を見つめたまま、独り言のように続ける。
「あの頃の私たちは、世界を壊すことなんて造作もないと思っていた。実際、壊してきたしね。でも、自分たちの中に空いた穴を埋める方法は、誰も教えてくれなかった」
「……穴なんて、埋まるもんじゃねえだろ」
中也が静かに応じた。 重力使いとして、あるいは組織の幹部として、彼は常に「重み」を背負って生きてきた。対して、太宰は常に「軽やかさ」という名の空虚を背負っている。 正反対で、けれど同じ地獄の泥を啜ってきた相棒という関係。
「手前は、ずっとそうやって理屈を捏ね回して、結局どこにも辿り着けずにいる。……見ててイライラするんだよ」
中也は立ち上がり、ソファの傍まで歩み寄った。 横たわる太宰を見下ろす。太宰の瞳が、下から中也を射抜く。
「なら、止めてみせたまえよ。私の時計を」
太宰の手が、中也の手首を掴んだ。 包帯のない素肌の熱が、中也の肌に伝わる。冷え切っていたはずの指先が、今は驚くほど熱い。
「『人間失格』……」
中也の能力が無効化される光を待つまでもなく、そこにはただの、二十二歳の青年二人がいた。異能力も、立場も、過去の因縁も、この狭い部屋の中では雨音に掻き消されるだけの背景でしかない。
「……手前は、本当に面倒くさい男だ」
中也は吐き捨てるように言うと、掴まれた手を振り払うことなく、そのまま太宰の額に乱暴に手を置いた。
「熱があるじゃねえか。夢見が悪いのも、夜中に徘徊するのも、全部風邪のせいだ。さっさと寝ろ」 「中也に看病されるなんて、死んでも死にきれない屈辱だね……」 「なら今すぐ死ね」
言い合いながらも、中也は寝室から予備の毛布を持ってきて、太宰の上に無造作に放り投げた。
夜が深まる。 太宰は毛布にくるまり、規則的な寝息を立て始めた。本当に眠っているのか、あるいは狸寝入りなのか。中也には判別がついたが、あえて追及はしなかった。
中也はソファの横の床に座り込み、残った生姜湯を飲み干した。 窓の外、嵐はまだ続いている。
太宰治が求めているのは、救いではない。 自分をこの世界に繋ぎ止めるための、確かな痛みと、拒絶。 「お前はここにいろ」という呪いにも似た言葉を、彼はいつも、最も嫌悪する相手から引き出そうとする。
「……クソ鯖が」
中也は小さく毒突いた。 自分の肩に、眠る太宰の指先が微かに触れている。 それは助けを求める子供のようでもあり、獲物を逃さない捕食者のようでもあった。
中也は目を閉じ、重力のない微睡みの中へと落ちていく。 明日になれば、また彼らは敵対し、あるいは反目し合い、ヨコハマの街で血を流すだろう。 けれど、この雨の夜だけは。 この三千文字にも満たない、取るに足らない静寂だけは、誰にも邪魔させない。
明け方の光が窓に差し込むまで、二人の呼吸は、重なり合うことも離れることもなく、ただ同じ部屋の空気を震わせ続けていた。
翌朝、中也が目を覚ましたときには、ソファの上はもぬけの殻だった。 毛布は几帳面なまでに畳まれ、その上には一枚のメモが残されていた。
『生姜湯の代金として、君の秘蔵のワイン(’82年物)を一本頂いていくよ。味のわからない中也が持つより、ワインも本望だろう。 追伸:寝顔、やっぱり醜かったよ』
中也の怒号がマンションに響き渡ったのは、その数秒後のことである。
「太宰ィィィ!! 次会ったら絶対に殺す!!!」
ヨコハマの空は、昨夜の嵐が嘘のように晴れ渡っていた。 逃げるように去った青年の足取りが、ほんの少しだけ、昨夜よりも軽やかだったことを、中也はまだ知らない。
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