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いつものように氷室に見送られ、自宅に到着。部屋の灯りをつけた瞬間、見慣れた景色がやけに白々しく目に映った。机に置いたスクールバッグが、軽い音を立てて沈む。その中には、今日一日の重さが全部詰まっている気がした。
制服のままベッドに腰を下ろし、スマホを手に取る。メッセージアプリに、氷室からの連絡はない。送ろうと思えば俺からすぐに送れるのに、指は画面の上で固まったままだった。
(蓮のあの顔……忘れられない)
用事があると言っていたのに、急いで駆けつけてくれた氷室の顔。神崎の言葉を聞いたときの彼の瞳。怒りというより、必死になにかを押し殺していた色が宿っていた――それが頭に焼き付いて離れない。
俺は氷室にとって、安心できる存在でいたい。ドジばかりの自分でも、氷室が不安に沈んだら真っ先に手を差し伸べられる、しっかりした存在でありたかった。
だけど今日の俺は、それを受け止めきれずに黙ってしまった。あの沈黙が、彼の中の影を濃くしたんじゃないか――そんな気がしてならない。
窓の外、遠くで電車が通り過ぎる音がする。本来なら心を落ち着けてくれるはずなのに、今夜は逆に胸の奥をざわつかせるだけだった。
(ぐだぐだ考えてもしょうがない……明日、ちゃんと話そう)
そう決めてスマホを机に置く。ベッドに横たわっても、天井の木目が線となって眼に焼きつき、何度も数え直してはため息が漏れる。そのたびに時計の針の音が耳に刺さり、眠りの扉はどんどん遠ざかっていった。
翌朝、いつもより早く家を出た。眠れなかったせいであくびが止まらない。まだ夜の冷たさを僅かに残した空気が、肺の奥まで刺さるように入り込む。
校門に近づくと、すでに氷室がいた。門柱にもたれ、スマホをぼんやり見つめる氷室の顔は、まぶたの下に薄い影を宿したものだった。夜を越えても休めなかった証のように見えて、胸がひどく締めつけられる。
「蓮……おはよう」
俺の声に、氷室は反射的に顔を上げる。いつもどおりの笑み――そう見えた。だが目の奥には、薄い膜のような硬さが残っている。
「おはよう。早いな」
「なんか……眠れなくて」
他愛のない会話を交わしながら、並んで昇降口へ向かう。手を伸ばせば届く距離なのに、その間に透明で冷たい壁が立ちはだかっているようだった。
靴を履き替えるとき、氷室がふと俺を見た。その視線とぶつかった瞬間、昨日の影がふたたび胸の奥を疼かせる。
「奏、昨日のこと――」
氷室の口がそう動いた気がして、反射的に息を飲む。だが次の瞬間、彼は小さく首を横に振った。
「いや、あとで話そう」
それはただの約束じゃない。言葉を交わすそのとき、なにかが変わってしまう――そんな予感を突きつけられた気がして、俺の足元に冷たい風が吹き抜けた。