青蓮寺さんとダイニングテーブルで向き合い、まるで食後の雑談みたいに会話が始まった。
「そもそも、ららちゃんは狗神って知ってるか?」
「いえ、知りません。でも、聞いたことはあるような……神様とかですか?」
「ま、知らんわな。ちょっと順序立てて、まずは説明するな」
青蓮寺さんは、パキンと片手で缶コーヒーを開けて、一口飲んでから、淡々と会話を続けた。
「狗神と言うのは関西とかで有名でな。特に四国では信仰の形跡が今でも強く残されている。憑き神の一種とされる妖怪と、言ったらええかな。狐憑きとかのバリエーションと想像してれたらええ」
「あまり、良く無さそうな妖怪ですね……」
四国。確か上司の出身地。
それでも、あの犬養夫妻とまだ結び付かない。
「狗神はな強力な呪詛の力があって、人を祟り殺すとされている。また、狗神を氏神として祀れば大いにその家は繁栄するんやけども。同時に狗神への生贄が尽きればあっという間にドボン。呪いが本人に返ってくる。没落まっしぐら。一度祀ればずっと子々孫々、祀り続けないと呪われる」
「それは人呪わば穴二つ。ってヤツですね」
「贄が尽きるまではな。業が深い」
ふっと、重いため息を吐く青蓮寺さん。
贄が尽きるまで、呪い祀り続ける。これは常人の精神ではおいそれと出来ないだろう。
しかも、引き継がないといけない。贄がどんなものかわからないけど、喜んでやりたいというモノじゃないはず。
いつか、綻びが出て来るんじゃないかと思った。でも、続けないと呪いが返って来るなんて、確かに業が深いと思った。
「その狗神を、犬養夫妻が祀っていたってことですか?」
「実際に目視はしてないから概ね、所感、呪術師としてのカンと言ったところやけど。ほぼ間違いないな。それを前提で話を進める。まずは誰が、ららちゃんの犬を殺したか調べる入り口として、犬養夫妻から調べて、それでわかったことや」
なるほどと、頷くと。
青蓮寺さんが青い髪をさらりとかき上げて、続きを話す。
「身元調査はちょっと、その手のプロの人間に頼んだ。まずは二人の身元から。犬養国司とその妻、犬養粧子。どちらも出身地は四国。同郷の出身。犬養国司は妻の戸籍に入っていて犬養を名乗っている。それりよりも重要なのが、犬養の家系は『狗神』信仰を熱心にしている、犬神家の分家の血筋ってのが分かった」
「狗神信仰……犬養夫妻は狗神を氏神にして祀っていた……」
再度確認するように言葉に出す。まさか、呪いがこんな身近にあったなんて驚きだった。
青蓮寺さんはしっかりと頷いてから、言葉を続ける。
「で。次は、現在の犬養国司の様子。犬飼国司はまだ、ららちゃんの職場で働いていた。その社内での様子を調査人に探って貰った。以前に犬養国司と取引したと言う形で、本人以外と電話でコンタクトして貰った」
上手いやり方だと思った。
広告代理店はいろんなところと仕事をするから、一回の取引だと、社名なんか直ぐに忘れてしまう。
向こうが覚えていて、こちらが覚えないなんてザラにあるし。その反対も然り、だった。
続きが気になりコクコクと頷く。
「それで、調査人は新規仕事の依頼や見積もりをする振りをしながら、世間話もしたりして。その流れで犬養国司の事を聞いてみると」
そこで、一呼吸してから。
じっと私を見て。
「すると、犬養国司の評価はすこぶる良かったそうや。不倫騒動なんかあったら、陰口なんかあって当たり前やのに。そんな事を言う人間は誰もおらん。電話に出た人達は口を揃えて『犬養さんは仕事が良く出来る』とか宣ったそうやで。試しに日を置いて、もう一度同じように違う相手で、探っても犬養国司の評価は一緒やったって」
「それは……何か。不気味ですね」
かつて私はその職場で働いていたから、余計に気持ち悪いものがあった。
でも。勤務していたときは私もそのように感じていたことを思い出し。
なんだか口の中が不味くなり。缶コーヒーをまた口に含むのだった。
コーヒーの苦さを、舌に馴染み込ませるように考える。
私が職場に居たときは、犬養国司はこれと言って変な噂は聞いたことがなく。
単身赴任で、移動してきてもすぐに皆と打ち解けるような人柄だったと。
当たり障りない。そんな記憶ばかり。
確か歳は三十五才と言っていた。見た目よりやや若く見えた。
明るい人柄で理想の上司みたいな人で、要領が良くて。営業が上手くて契約をポンポン取ってくる。
何か困ったことがあっても、最終的には上手く纏まる運の良さを何回も見ていて憧れた。
良いなって思って。それがいつの間にか──。
そこからは思い出したくなくて。考えるのをやめて、ぱっと青蓮寺さんを見た。
「しかも。犬養国司は一方的に、ららちゃんが誘惑してきたとか、騒いで。それを疑うヤツなんか、誰も|居《お》らんかったんやろ?」
「はい。私が休んでいる間に、随分と好き勝手なことを言ってたみたいだから。……皆それを信じてしまったんだと思います」
「好き勝手なことって?」
「……私が淫乱だとか」
「……それを間に受ける職場とか、ドン引きやな」
今、青蓮寺さんに言われたら『おかしい』と思えるのに。
当時は黒助を奪われた後で、心身共に辛くて弁解する気力も何も起きなかった。家族も友人達もそう。誤解を解くパワーがなかった。辛かった。
もうどうでも良くなってしまった。それから直ぐに、全てから逃げるように退職した。
その時の気持ちを思いだし。少し俯きながら、髪を耳に掛けて。じっとこちらを見て来る、青蓮寺さんの視線を流す。
「ま、そんな訳で。犬養国司は外からみたら、違和感だらけって言うのは良くわかった」
ふっと、シニカルに笑う青蓮寺さんに何も言えなかった。
職場の皆どうしてしまったんだろうと、思うけど。私を罵ってきた同僚の顔も思い出し。やるせない気持ちになった。
「最終的にはみぃーんな。不倫騒ぎなんか無かったみたいに『それよりも』『そんなことは、どうでもよくて』って、言って。どいつもコイツも犬養国司を持ち上げる始末。職場の人間が全員、犬養の回し者かと思ったってな。珍しく調査人も辟易したって言ってた。ほんま不気味な職場やな。まるで……」
青蓮寺さんは言葉をバトンタッチするように、私をチラッと見てきたので、青蓮寺さんの言葉を繋いだ。
「まるで、呪われているみたい。ですか?」
私がそう言うと、青蓮寺さんは深く頷いた。
働いて一緒にいたときは分からなかった。
こうやって離れて、初めて変だとやっと実感できた。
これが全部、犬養国司の呪いの力と言うのなら。日常を気付かれ無いうちに、侵食されるのは脅威だと思った。
手の中の缶コーヒーを強く握る。
「犬養国司が呪いの力を持っていたなんて……私、さっぱり分かりませんでた。思い出してみても、不思議なことなんて無かったし。狗神の話題なんかしたこともありません。と、言うか。普通の人でした」
「そんなモンやて。すぐに気が付かれるような異常は異常とは言わん。呪いなんて目に見えないものは尚更。ほら、僕だって見た目で呪術師って、見抜けるヤツなんかおらんやろ?」
青蓮寺さんはちょっと、見た目が特殊すぎるけど。まぁ、そこはさておき。確かに青蓮寺さんの言う通りだと頷く。
「そう言った周りを騙せる普通さ。要領の良さ。運の良さ。それが呪いの恩恵やな」
「呪いの恩恵ですか……」
あとは言わなくてもわかるだろう? と、青蓮寺さんは私をじっと見つめてくるので、考えながら喋る。
「恩恵って……あ。そうか。呪術って呪うだけじゃ……ない。狗神は祀ると繁栄するから」
頭の中で思考する。
繁栄って言うのはつまり。
栄えること。栄えるのは良いことだ。
その良いこと、とは。具体的に言うと。
今までの犬養国司のことを考えて──幸運、だと思い至った。
幸運とは時に生死すらも左右する。
幸運が味方に付いたら、失敗だって成功に繋がる。だからと言って自分の意思で、味方に付けれるものなんかじゃない。
しかし犬養国司は味方に付ける手段があった。
「ひょっとして犬養夫妻は、狗神を祀ることで『幸運』を自分に呼び込んだ?」
まさかと思うことを口に出すと。青蓮寺さんは「正解」と言って。手元の缶コーヒーをパキンと弾いたのだった。
「その通り。呪術は人を呪い、呪われるイメージがあるけどな。呪うだけじゃじゃなくて。術者に幸運や富を招き寄せる側面もある。恋のお呪い。幸運のお呪いなんて、良く言うやろ。でも、その幸運が呪術によるものか。持ち前のものか。そうじゃない、なんて見た目には分からんやろ」
「青蓮寺さんにはそれが分かるんですね?」
そう言うと青蓮寺さんは苦笑した。
「まぁ、分かると言うより怪し過ぎる。何しろ出身地は四国で名前は『犬養』と来て、調査人の報告も聞いた上で、犬養夫妻は『狗神』を祀っていると考えるのが自然。だから、その効果で近くにいたら犬養国司の『|幸運《呪い》』に巻き込まれる。全部、犬養国司の都合の良いことになる──そう言う、狗神による呪いかと僕は考えた」
そして淡々と。
犬養国司が会社に提出していた、住所には誰も住んでいない。ダミーだったこと。
犬養粧子は派遣でいろんな職場を転々としている。
その先でトラブルがあっても《《不思議》》と丸く収まっていて、とても彼女の評価は高い。
犬養国司も過去、何やら女性問題があったらしいけれども。どれもこれも丸く収まっていて。
──二人が起こしたトラブルの相手は行方知らず。
スラスラと述べてからコーヒーを飲み干し。キッパリとそう言った。
「な? ここまで来たら誰でも。十中八九、狗神の呪いやなって思うやろ?」
言葉が出なくて。代わりにゾッとした。
青蓮寺さんに出会わなければ、私は何も分からないままに命を落としそうになっていたこと。
あのまま、廃ビルの上から飛び降りていたら、私も行方知らずの中に含まれていたんだろうと思った。
私が固まっていると、青蓮寺さんは言葉を続けた。
「さらに言うとな。犬養粧子はトラブルの度に、相手側から金を巻き上げていた節があると言う、報告を聞いている」
「それって……私みたいな人が沢山いるってことで。行方知らずと言うのは。それは最悪、自殺している人がいるってことですかっ?」
思ったことをハッキリと口に出す。
しかし青蓮寺さんは緩く首を振って、ピアスをキラリと光らせた。
そして、はっきりと言った。
「さぁ。わからん。そこまで調べるのはまた別料金やな。範疇外。それよりも僕は犬を買っていたか、どうかが気になって。そっちを調べて貰った」
他者に興味が無いと言わんばかりのサッパリとした物言い。
冷たいと思ったけど、今は……犬養夫妻の被害者を全員調べて把握するのが目的ではない。
せめて私みたいにどこかで、どんな形でもいいから生きていて欲しいと思い。
気持ちをなんとか切り替えるように。一瞬だけ白い天井を仰いでから、青蓮寺さんに視線を合わせて。言葉を繰り返した。
「犬を飼っていた、ですか?」
口に出してもピンと来なかった。
犬養国司が私と付き合っているとき、そんな話は聞いたこともないし。そんな素振りも見られなかった。
「飼育じゃなくて。買う。購入とかの方やな。それを調べて貰った直後、調査人にここからの調査は関わりたくないって言われた」
何故? と疑問を尋ねる前に青蓮寺さんが先に口を開いた。
「まずはそれ。ちょっと覚えといて。で──な。話を進める」
と、一区切りして。
首を傾け。青い髪をさらっと揺らしてから。
「結論から言うと。狗神を使う《《相手に》》呪いを掛けるのは面倒」
スッキリと言い切った。
しかも笑顔。
「め、面倒」
「そ。面倒。呪いをやってるなら、呪い返しぐらい用意してると見て間違いない。分家だろうと、傍流の血筋であろうと『狗神』は面倒が過ぎる。
きっと、本家までの威力は無さそうやけども。そこを補う為に、色々とアレンジとかしてそうやし。僕の全力を出せば潰せるには間違いけど、純粋に僕の力をぶつけるような相手じゃない」
だったら、私は何のためにここにいるんだとキッと睨むと、青蓮寺さんは「ちゃうちゃう」とパタパタと手を振った。
「やらんとは言ってない。ちゃんと呪う。僕の流派からしても──気に食わんからな。絶対に潰す。それこそ呪いの上。|外法《げほう》を使っても潰す」
と、意味ありげに視線を落としたあと。
「ただし、僕は直接は呪わない」
青蓮寺さんははっきりと言った。
言ってることが意味不明だったが、その端正な顔には余裕が見て取れた。
「どう言うことですか。言ってる意味がわかりません」
これは何か考えがあるんだと思い。
ひとまずは「早く、結論を教えてください」と催促をした。
「あ、そんな怖い顔しなくても。ちゃんと説明するやん。狗神使いはな、狗神を箪笥の中。もしくは軒下の壺に祀っているねん。それさえ壊したら呪いは呪術師に跳ね返って来る。勝手に自滅する」
「贄を捧げなくても?」
「そう。狗神使いを倒す方法は祀っている場所を壊すのが一番ええねん。呪いの源が無くなって、その壊したときの跳ね返りの力を僕が利用する。事前に今から時間を掛けて、僕はその『跳ね返った呪い』を思っいきり増幅してやる。それこそ死んだ方が楽と思えるほどに。犬養夫妻はそれぐらいの呪いを受けてもええやろ」
青蓮寺さんはふっと笑うけど、その瞳はちっとも笑ってなかった。
そして私も、死んで楽になるなんてずるい。
生きて今まで苦しめた来た人達の報いを、受けたら良いと思ってしまった。
「なるほど……青蓮寺さんが直接呪わずに、呪うって言う意味が分かりました。でも、それだと黒助が誰かに殺されたのかは、分からないんじゃあ」
「ららちゃん。ここで思い出してみよか。犬養が犬をたくさん買っていたと言うことを。ズバリ言うけど狗神への贄って言うのはな──犬や」
「……え……?」
「犬養夫妻はな定期的に犬をペットショップから買っていたらしい。最近はショップに行くより、犬の譲渡会に頻繁に顔を出していたらしいけど。犬養国司と会っていたとき。一緒に仕事をしていたとき。何か犬の話題になったことは無かったやろ?」
確かに、犬養国司が犬を飼っていたとか聞いたことはなかった。
服に犬の毛が付いたいたとか、匂いを感じたとかそう言った記憶も何もなかった。
それはつまり。
犬を買っては狗神に贄として捧げていた、ということでは。だったら、くろすけは……。
やっぱり。
「……にえ、って。じゃ、黒助は……」
わなわなと手が震えてしまう。
それを見た青蓮寺さんは視線を少しだけ、私からずらした。
「狗神は犬の怨念によって作られる妖怪。同じ性質の贄を用意する方が怨念、つまりは狗神の力を強く出来る。その作り方は……その様子やったら言わん方が、」
「いえ、言って下さい。何も知らないのは嫌です」
青蓮寺さんの言葉を被せるように喋った。