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大きなため息を吐き、理人は重い瞼を持ち上げた。
放課後の教室、壁の時計の針は間もなく午後5時を指そうとしている。 テスト直前ということもあり、居残って机に向かう生徒はまばらだ。理人はもう一度、肺の底に溜まった澱を吐き出すように溜息を零すと、広げていた参考書を乱暴にカバンへ押し込んだ。
今日も、蓮に呼び出されている。 遅れればあの男の機嫌を損ね、さらなる「罰」を与えられるだろう。
あの日以来、理人は取り憑かれたように部活と勉強に打ち込んでいた。余計な思考を遮断したい。泥のように眠れるまで自分を追い込みたい。 だが、どれほど身体を酷使しても、浅い眠りの中には決まって「彼」が現れる。 夢の中で何度も汚され、辱められ、虫ケラを見るような冷酷な視線に射抜かれる。そのたびに、悔しさと恐怖で心臓が跳ね起きるのだ。
「リヒト君、大丈夫……?」
背後からの声に肩が跳ねた。振り向くと、そこには痛々しいほど心配そうな顔をしたケンジが立っていた。
「なんだか顔色が悪いよ。クマもすごいし……」
「大丈夫だ。少し寝不足なだけだよ。テスト前はいつもこうだから」
吐き出した嘘は、自分でも驚くほど滑らかだった。ケンジは「そっか、学年1位だもんね」と、疑いもせず納得したように呟く。
「でも、無理しちゃだめだよ? 最近、少し痩せたみたいだし……」
心臓がドクリと鳴った。鋭い指摘に動揺が走るが、理由を追及されるわけにはいかない。
「……そういうお前は、最近元気そうじゃねぇか」
「そ、そう……かな?」
「ああ」
一瞬、静寂が二人の間に落ちた。 ケンジは何かを躊躇うように視線を伏せたあと、少しだけ声を弾ませて口を開いた。
「最近さ、クラスの皆がまた話しかけてくれるようになったんだ。それに……あの人――蓮君からの呼び出しも、ぱったり無くなっちゃったし。きっともう飽きたんじゃないかって思ってる」
嬉しそうに語る友人の姿に、胸の奥をナイフで抉られたような痛みが走る。 それは蓮の思惑通りなのだろう。自分の「身代わり」が完遂されている証拠だった。
何も知らず、地獄から抜け出したことを喜ぶ無邪気な笑顔。それに真実を突きつけることなど、今の理人には到底できなかった。
「そう、か……。よかったな」
曖昧な返事をして、理人は視線を机に落とした。 蓮の真意が見えず、底なしの泥沼に足を取られているような不安だけが募っていく。 このままではいけない。そう分かっているのに、絡まった糸を解く術が見当たらない。
(誰かに、……助けてって言えたら)
そんな贅沢な願いは、すぐに打ち消した。 こんな汚れきった秘密、誰に相談できるというのだ。この汚辱を知っているのは、自分と、あの悪魔だけなのだから。
「リヒト君。本当に大丈夫? 少し、頑張りすぎだよ」
「……母さんみたいなこと言うな」
思わず拒絶の言葉が硬い声となって漏れ、理人はハッとした。ケンジはただ心配してくれただけなのに、なぜ自分は、愛する友人にすらこんな刺々しい態度しか取れないのか。
「そ、そうだよね……。余計なこと言っちゃって、ごめん」
「……っ」
シュンと肩を落としたケンジに、かける言葉が見つからない。謝りたかった。そんな顔をさせたいわけじゃないと伝えたかった。 けれど、結局理人は何も言えず、逃げるように教室を後にした。
地獄への入り口、資料室。 約束の刻限まで、あと5分と差し迫っていた。
#すのあべ