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第2話:逃避の果て
「日向、お前が校内を案内してやってくれ。モンローさんの希望だ」
担任の呼びかけに、教室中の視線が一斉に集中した。教壇に立つメアリ・モンローは、困惑で固まる凪を見つめ、澄ました顔で小さく口角を上げる。
なぜ自分を指名したのか説明もないまま、凪は半ば強制的に彼女の案内役を引き受けるハメになった。
「……じゃあ、こっち」
廊下へ出ると、メアリは何事もなかったかのように凪の横を並んで歩き始める。
すれ違う生徒たちが好奇の視線を向けてくるが、彼女は一切気に留める様子もない。
「ここが購買部で、あっちのガラス張りの先が中庭……」
ぎこちなく説明を続ける凪をよそに、メアリは「ふうん」と短く返事をするだけだ。
まるで昨夜の喫茶店での会話など最初から存在しなかったかのように、冷ややかな空気を纏っている。
校内を一通り巡り終えようとした時、メアリがふと足を止めた。
「屋上からの景色も見たいわ」
断る隙も与えない静かな口調。凪は溜め息を噛み殺しながら、嫌々階段を上り、屋上へと続く重い鉄扉を開けた。
吹き抜ける風が、メアリの黒髪を揺らす。彼女は迷いのない足取りで立ち入り禁止の仕切り金網まで歩み寄ると、街を一望できる柵に手をかけた。
背中を向けたまま、メアリの低く透き通った声が響く。
「……貴方には見えてるんでしょう? あの黒いモヤが」
心臓が跳ね上がった。凪は足を踏みとどまり、喉を鳴らす。
「……何のことだか、さっぱり分からないな」
精一杯の嘘を吐くが、メアリは振り返りもしない。
「嘘が下手ね。周囲の生徒を騙せても、私は騙せない。あの喫茶店でも、貴方の瞳ははっきりと捉えていたわ。……あれは『影』。人間の意識に寄生し、感情を蝕む存在よ」
「やめてくれ」
耐えかねて、凪の声が荒くなる。
「俺は普通の高校生だ。影だの何だの、そんなオカルトみたいな話に関わるつもりはない。……案内は終わったから、俺は降りるよ」
背を向けようとした凪に、メアリは振り返ることなく、ただ淡々と言葉を投げかけた。
「見えないフリをしても、世界は変わらないわよ」
放課後、逃げるように帰宅した凪は、自室のベッドに倒れ込んだ。頭の中で、メアリの言葉が何度も嫌な音を立てて反芻する。
(俺は、なにも聞いてないし見ていない。あの時のようにはなりたくないんだ。全部あの娘の作り話だ)
昨日の路地裏で見た、影に呑み込まれかけた男の恐怖。自分はあんな異常な世界に関わりたくない。全てを忘れ、これまで通り見えないフリをして、平凡な日常を過ごせばいいのだと、強く目を閉じた。
「凪、ご飯できたわよー」
階下から母親の呑気な声が聞こえる。そうだ、ここには変わらないいつもの日常がある。凪は無理やり胸のつかえを押し殺し、リビングへと向かった。
「今日の夕飯、凪の好きなハンバーグにしたから——」
キッチンでいつも通りの笑顔を向ける母親。だが、凪の視界は、どうしてもその背後にまとわりつく「それ」を捉えてしまう。
母親の背中にゆらりと揺らめく、薄暗い影の存在。特別な危険があるわけではない。日々の疲労や小さなストレスに寄生し、あらゆる人間に当たり前のように纏わりついている、日常の延長線上にある微小な黒い靄。
(……ああ、やっぱり)
見たくない。意識したくない。どんなに心の中で拒絶し、作り話だと思い込もうとしても、自分の瞳は容赦なく「影」の存在を捉え続けてしまう。
これまでは見えないフリをすることで、自分を騙し騙し守ってきた。けれど一度その恐怖を強く認識してしまった以上、待っていたのは、この異形が世界の当たり前として存在し、自分だけがそれを一生見続けなければならないという、逃げ場のない現実だった。
「どうしたの? ぼーっとして」
不審そうに覗き込んでくる母親の笑顔の裏で、黒いモヤが不快に揺れている。
目を背けても、世界からは逃げられない。
自分を待ち受ける逃げ場のない絶望に、凪はただ静かに立ち尽くすことしかできなかった。
コメント
1件
寺島あおいです🌷 第2話、拝読しました。メアリの「嘘が下手ね」という台詞、ぐっときました。凪が必死に「見えないフリ」を続けようとするのに、母親の背中に揺らめく影を捉えてしまう終盤の描写、すごく切なかったです…。世界からは逃げられない、というテーマが静かに、でも確かに響いてきました。続きが気になります!
#5等分の美男子
#しょしんしゃ🔰
りと。
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