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砂原 紗藍
#再会
*
仕事が終わった後、分厚い雲の下、閉店間際のスーパーに走った。
今日に限って雨が降らなかったのは感謝だ。
鰈が安かったので、煮付けにするか唐揚げにするか悩みながらバスに乗って、マンションに着いた。
今日も遅いと朝、言っていた気がする。
ので、気兼ねなく明日の朝ご飯の仕込みをしてやろう。
どんな反応をするのか――その時、私は彼の顔をちゃんと見ることができるのかな。
毎日ネクタイのガラをチェックするだけじゃなく、この政略結婚についての不満を睨んでぶつけてやりたい。
「わ、すみません」
ぼーっとしていたせいで、マンションに付きエレベーターを待っていた瞬間、出てきた女性とぶつかりそうになってしまった。
「こちらこそすいません」
気が強そうな、芯のしっかりした綺麗な女性だ。
私の両手にぶら下がったスーパーの袋を見て、エレベーターのドアを押さえてくれていた。
彼女の去ったエレベーターの中は、甘くいい香りが漂っている。香水さえも気品が漂っている。
やはり高級マンションなだけあって、すれ違う人も一般人と違う気がする。
「――?」
ただ、一つ。
玄関を開けると、なぜか先ほどの彼女の甘い香りが漂っていた。
気のせいじゃなく、残り香のように感じる。
キッチンに買ってきたスーパーの袋を置いて、違和感がないか探すと簡単に見つかった。
リビングのテーブルの上に、メモが置いてあった。
『鍵は一階のポストに返しておきます。今までありがとう。あと冷蔵庫の中のおかずは早めに食べてね』
すぐに冷蔵庫の中を確認すると、タッパが二つ。
細竹と牛肉のしぐれ煮と平目の煮物が入っている。
甘くて上品な香りは、先ほどの美人な女性と重なる。
スーパーで買ってきた鰈と牛肉が滑稽に見えてきて、乾いた笑いしか浮かばない。
私と強引に結婚しておきながら、自分はあんな綺麗な女性と切れてなかったのか。
私より年下かもしれない。あんな女性が居ながら、私なんかと結婚する理由が本当に分からない。
ただの罪の意識でこんなことをされるのは迷惑だし、彼だってさきほどの美人と結婚した方が楽しい。私みたいに目を見て話さない、エッチさせない、会話もろくに続かない相手より、何千倍も幸せな結婚じゃないの。
愚かな彼の選択と、なぜ私は走って閉店間際のスーパーで材料を買おうとしたのか分からなくなる。
美香さんみたいに、相手をだた負かしたかっただけなのだとしたら、本当にバカげたことをした。
お肉と魚はトレイのまま冷凍庫にぶちこんで、何も食べる気にもならずに眠ってしまった。
*
雨の音と革靴の音、そしてカーテンの向こうが光った気がして目が覚めた。
確認したくなくて、カーテンから背を向けて携帯を手に持つと、布団の中に潜りこんだ。
すぐさま天気予報を確認するが、雷のマークはない。
さきほどの光はただの気のせいだったようだ。
「華怜さん、起きてる?」
寝室をノックする音を聞き、携帯に視線を落として日付が変わっていることを確認した。
「寝てます」
こんな時間にわざわざノックして確認するほど話したいこと?
嫌な予感がして即答すると、ドアの前で小さく笑う声がした。
「起きてるじゃん。お願いだから、ちょっとだけ顔見せて」
起きてるのがバレた手前、仕方なくドアを開ける。
するとネクタイも解かないままの、如何にも今帰った様子の彼が目の前にいた。
「おかえりなさい」
「うん。ただいま」
ちょこっとだけ嬉しそうに答えた後、言いにくそうに少し右を向く。
「あのさ、俺の中でもやもやするのが嫌だから言うけど」
「うん」
「もしかして妹がなにか失礼をしなかったかなって」
「うん……?」
妹?
まだ少し寝ぼけていた目が、ちょっとだけ覚醒した気がする。
エレベーターのいい香りの女性、そういえば目つきとか似てるかもしれない。
クール美人な感じが、この澄ました王子様に似てる。
「あの人、妹だったの?」
「ああ。指輪もしてただろ? 以前ちょっと話したけど、俺に家庭教師してくれて一人暮らしの時に料理を教えてくれていた人と婚約中なんだ」
「指輪までは見てなかったけど」
なるほど。部屋の中でも彼女の香水が香ったのは、そのせいか。
「給料日前になると、妹は居座っていたから、鍵を返せって伝えてたんだ。ただ――君のことは婚姻届けもだしてなかったし迷惑になるかなってまだ言ってなくて」
「ああ。一年後に離婚するから、今行っても気まずいよね。タッパは冷蔵庫に入れておいたよ」
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