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私の踵の手当てをしている白極さんをジッと見つめる。彼の容姿が極上なのは分かってる、問題はその中身なのであって……
白極さんは世間でいう俺様というところだろうか? もの凄く自己中心的だし、こちらの話を全く聞こうともしない。けれどこうして見ている白極さんはそんなに酷い人でもないように思えてくる。
「……なんだよ、沁みても我慢しろって言っただろ。それとも、もっと痛くされてえのか?」
ちょっと見ていただけなのに、白極さんに威嚇するような鋭い目付きで睨み返される。さっきまで優しかった手つきが乱暴になり、踵の傷口がジクジクと痛み始める。
……前言撤回、やっぱりこの人は俺様なんて可愛いものではなく鬼畜かもしれない。
それでもきちんとガーゼを当てて、きちんと手当てを済ませてくれる。本当に何なんだろうか、この人は。
「あの、ありがとうござ……」
「奴隷のくせに、初日から怪我して俺の手を煩わせてるんじゃねえよ」
「すみません……でも」
貴方の奴隷にはなりません、そう言いたかったのに。
「こんなのは必要ない。凪弦が履くのは安物のスニーカーで十分だ」
私の次の台詞を言わせないように白極さんは言葉をかぶせてくる、これはわざとなのだろうか? その上、彼は買ったばかりの私のパンプスを迷わずゴミ箱へと捨てた。
……ああ、そうですね。普段は安物のスニーカーしか履いて無くてすみません。これでも面接だからと残り少ない貯金で買ったパンプスだったのだけど、そんな事は白極さんには分かりませんよね。
俺様ならまだよかった、白極さんはそんな優しい存在じゃない。この人に似合う言葉はきっと【暴君】だ。
無神経な白極さんの言葉に段々とイライラしてくる、少し優しいのかもしれないと思ったから余計に。そんな私を見て、不機嫌そうにテーブルに置いてある煙草に手を延ばそうとする白極さん。だけど私はそれを先に取り上げる。
「私は喘息持ちなんです、吸いたいのならば私が帰ってからにしてください」
喘息持ちだった、子供の頃は。が正しいのだけど、なんとなくこの人には反抗したくなるから仕方ない。
……ギロッと私を睨む白極さん、負けじと睨み返してやる私。これはいったい何の勝負なんだろうと思いながらも引く気はない。ふと、白極さんが窓の外に目をやったので私もつられてそっちを見てしまう。その一瞬の隙をついて手から奪われた煙草の箱。
や、やられた……
「……ふん、単純馬鹿が」
白極さんは勝ち誇った笑みを浮かべて、私を見ている。どこの悪ガキですか、貴方は? だけど白極さんは取り返した箱から煙草を取り出すことなく、さっきパンプスを捨てたゴミ箱の中へと投げ入れてしまう。
「これでいいんだろ? 後で凪弦の部屋には空気清浄機を買ってくる」
「……はい?」
……つまり、私が喘息だと言ったから煙草を捨ててしまうし空気清浄機も買ってくるの? これが白極さんの言う奴隷の扱いなんだろうか。よく聞く話と全然違うような……
いやいやいや、それでもちょっと待って。私はまだ白極さんとの同居生活を受けるとも言ってないし、奴隷扱いに納得したわけでもない。
人の良い所を見つけると、すぐ流されてしまいそうになるのは私の悪い癖だ。
「で、荷物は用意できてんのか?」
「荷物……なんのですか?」
白極さんは急に話題を変えるから、私は何のことを言われているのか分からなくなる。そうすると彼は不機嫌そうに腕組みをし「チッ」舌打ちをする。
……うわあ、感じ悪いことこの上ない。顔やスタイルがいいだけ余計に残念に感じるわ。
「ここに住むのに荷物は用意しているのか、と聞いてるんだ。長谷山は今にもアパートを追い出されそうだと言っていたぞ?」
長谷山先輩め、余計な事を白極さんに話してくれちゃって。そりゃあ確かに、今月分の家賃も支払えるか分からない状況ではあるけれど……
「いえ、まだですけど。そもそも私はまだ、男性の白極さんと同居するなんて……」
「凪弦は……さっき、自分の手で署名と捺印したよな?」
……背筋がゾクッとするような抑揚のない声に、嫌な予感がする。そうだ、私は白極さんに急かされて確かに署名と捺印をしたのだ。
「契約書は内容をよく確認してから署名捺印する、それくらい誰かに習ってるよな?」
白極さんは先程の鞄から、書類を取り出して数枚目を捲って私に見せる。そこに書いてある文章に私は目を瞠った。
「……え、何ですかこれ?」
何がおかしいって、何もかもがおかしいのだ。
勤務時間は白極 樹生の起床時間から、彼の勤務終了まで? もうこの時点で不安しか感じない内容になっている。これじゃあ、毎日どれだけ働かされるか分かったもんじゃない。
給料は長谷山先輩に聞いた通り破格、その上残業手当や交通費も別途支給で寮費はタダ。それに合わせてなにかサポート手当……というものも出るようだ。
それはいい、それについてはとても良いと思うのだけど……
「私、白極さんの秘書なんですか……?」
そう。業務内容が社長である白極樹生の秘書、彼の仕事面や生活面でのサポートと書いてあるのだ。仕事面は分かる、しかし生活面でのサポートとはいったい……?
「あの……前に辞めていった奴隷の方達って、いったい何をさせられたのでしょう?」
ここに来るまではもっと普通の仕事を想像していたけれど、今はどうしてもそんな風には考えられなくて。恐る恐る聞いてみることにした。
「ん? お前はそれ、本当に知りてえの?」
ふわっと綺麗な笑顔で微笑まれて、全身に鳥肌が立つような気がした。きっと彼の事を知らない女性たちには魅力的な笑顔に映っただろう。でもその時の私の心の中は全く違う思いでいっぱいだった。だって……
……これ以上、怖くて聞けないっ!
ええと、この場合はきちんと謝って帰らせていただくのが一番いいよね? 捨てられたパンプスはどうやって返してもらおうか……
白極さんの極上の笑みに、私の心は「今すぐ帰れ」と警報を鳴らしている。
知らなければいいのだ、このまま彼に深く関わらずに何も知らないままならばまだ引き返せるはずだと。それが通じない人が白極さんなんだと、私はちゃんと分かっていなかった。
「とても良いお話だと思うのですが、私――――」
「そこじゃねえよ、見るのは。ここだ、ここ」
そう言って白極さんが指差した書類の一文、わざととしか思えないほど小さく書かれたその文字を目を細めて読んでみる。
■契約期間は五年、その期間内には決して契約の解除はしないことを約束します。
そう書かれた文の下に、ちょうど私の名前が書かれ印鑑も押されている。と言う事は、つまり……ゆっくりと書類から視線を白極さんへと移す。
「署名、捺印したのは凪弦だ。やっぱり働きません、ここに住みませんはもう通じないと思え」
その白極さんの勝ち誇った表情に、がっくりと肩を落とすしかなくて。こんなのはもう詐欺なんじゃないだろうか? このままでは逃げ道をことごとく塞がれそうで、私は早々に逃げ出す事は諦めて白極さんとの同居の覚悟を決めた。