「古いし狭すぎる! 物置か、ここは?」
手伝ってやるからさっさと荷造りをしろ、と言われて「まあ、いいか」なんて思って連れて来たのが間違いだった。私が部屋の扉を開いた途端、白極さんは中を覗き込んでそう言ったのだ。
そりゃあ白極さんみたいにマンションの最上階に住んでる人から見れば、この部屋は狭いし古いでしょうよ。それでも社会人になって自分で借りた大切な居場所だった。
「無理なら帰ってもらって結構ですよ、ここにある荷物くらい自分で何とか出来ますし」
もともと物はあまり持たない性格だったし、リストラされてからお金になりそうなものは全て売り払ってしまった。ここにあるのは最低限の家具と衣料品程度だから。
そう言って片付けを始めた私を、白極さんは疑わしそうな目で見ている。
「……なんですか? 言いたいことがあるのなら言ってくれないと」
言わなきゃいけない事は話さず、言わなくていい事ばかりを喋る白極さん。何か言いたそうな眼だけをこちらに向けている。
なんなのよ、もう。
「……そう言って、俺が帰った後に逃げるつもりじゃないだろうな?」
「……はい?」
白極さんの言っている意味が分からない、そう思って聞き返してみる。
「ここには何もない。さっさと片付けて、こんな部屋から逃げ出すのは簡単だろう」
私にはここしか居場所がないのに、ここ以外にどこに逃げろと言うのか? 白極さんにとってこんな部屋だったとしても、私にとっては思い出の詰まった特別な場所なのに。
彼の無神経で決めつけた様な言葉に、またイライラさせられる。
「それってつまり、行く場がなくても逃げだしたくなるくらい白極さんの秘書はとんでもない仕事だって言ってるように聞こえますよね。こうして見張ってなきゃいけないくらい、何か後ろめたいがあるんじゃないんですか?」
嫌味な言葉には同じように返す、これで大人しく「はいはい」いう事を聞けるほど私は我慢強くはない。
きちんと契約書にサインもしたし(させられたとも言うけれど)、白極さんのマンションに住むこともにも納得したはず。それをまだ疑うなんて……
「……」
白極さんは何も答えない、どうやら私に言っている事で当たっているのだと思う。後ろめたいのは仕事内容だろうか、それとも他にもなにかあるのか……
「社長と秘書って信頼関係が大事だと思いませんか? 同居にしたって同じですよね、本当に白極さんは私と上手くやりたいと思ってます?」
少ない衣料品を貰って来た段ボールに詰めながら、白極さんに問いかける。
この人が見かけや口ほど悪い人ではない事はちゃんと分かってるけれど、まるで監視するように見張られるのは納得がいかない。
よっこいしょっと抱え上げると、段ボールが私の手から離れて行く。当然のように彼が段ボールを持って、さっさと車に乗せてしまう。
「ちょっと、白極さん。自分でやりますから……!」
喧嘩を吹っ掛けるようなことを言った手前、彼に手伝わせる訳にはいかないと思った。最初に無神経な事を言ったのは白極さんだけど、私も負けじと嫌な言い方をしてしまったから。
だけど白極さんは荷物を乗せた車のドアを閉めると、振り返り私の鼻先に人差し指を突き付けた。
「上手くやっていきたいか、だと……? お前は何か勘違いしているんじゃないのか。最初から奴隷の凪弦が、俺に合わせていれば何も問題ないことだろうが」
……はい?
一瞬なんの冗談かと思って、白極さんの顔をまじまじと見てしまった。だけど彼は意地悪な笑みも浮べていないし、不機嫌そうな顔もしていない。と言う事は……?
「それ、本気で言ってます?」
「凪弦が俺と交わしたのはそういう契約だ。俺がお前に合わせてやるつもりはない」
へえ、そうなんですかあ……さすがにもうなんて返せばいいのか分からなくなってしまった。
こんなに自分勝手な考え方の人と出会ったのは初めてだ、どうやったらこんな外見だけが極上の生物が出来上がるのだろう?
でも……黙ったままもう一つの段ボールを抱え上げると、すぐに白極さんは私の手からそれを奪って持っていってしまう。そんな事を何度か繰り返すと、荷物は車の中へと運び終わってしまった。
私に合わせてやる気はないと言いながら、白極さんは私のやるべきことまで奪い取っていく。全然分かんないですよ、貴方の事が。
後片付けをしていても彼は同じように、文句を言いながらもジッとしていなかった。処分しなければいけない家具を全て運び出したのも白極さん。
……下僕は、私の方なんですよね?
だけど今まで何人もの人が辞めたのだと聞いている、きっとこれからもの凄くひどい扱いを受けるのかもしれない。そんな事を考えていると……
「下僕、飲み物くらい用意できないのか?」
「……水道はまだ止まってませんよ、お好きなだけどうぞ?」
さすがに私も喉が渇いてきたが、コップはすでに段ボールに入れて白極さんの車の中だ。取り出すのは面倒だけど、彼の前で手で掬って飲むなんてこともしたくはない。
「俺に水道水を飲ませる気か、凪弦は? さっさと自販機行ってこい」
そう言って投げられる高級ブランドの黒い財布。落としてはいけないと思い、焦って受け取ると鼻で笑われる。
「お前の分も買ってこい、物欲しそうに見られても迷惑だからな」
……ムカつく、そんな目で見たりしませんよ! ええ、買わせていただきますとも。私のお金じゃありませんし、遠慮なく使わせてもらおうじゃないの。
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