テラーノベル
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第23話「エルフは研究材料ではありません」
午前十時十二分。
営業企画部。
机の上には一通の文書。
国立研究機関から。
森野リリカへの。
医学的検査協力依頼。
血液。
遺伝子。
細胞。
老化。
寿命。
森野は文書を見たまま言った。
「嫌です」
相沢直人が聞く。
「断る?」
「断ります」
「即答?」
「即答です」
神崎レオンは文書を手に取った。
最初から最後まで読む。
そして。
「これは少し、本気で対策したほうがいいですね」
いつもの神崎とは。
声が違った。
森野が見る。
「レオン?」
「リリカ一人の問題ではありません」
「どういうこと?」
「一度でも検査を受ければ」
神崎は文書を机に置いた。
「エルフの身体的特徴がデータになります」
「はい」
「そのデータがどう扱われるか」
「……」
「私たちには管理できません」
相沢が聞く。
「でも研究機関なら勝手なことはできないんじゃ?」
「もちろん、正式な研究なら倫理審査などがあります」
神崎は答える。
「でも問題はそこだけではありません」
「何?」
「人間が」
神崎が自分の耳に触れる。
「エルフの長寿に価値があると知ったことです」
森野の表情が曇る。
「やっぱり」
「はい」
「そうなりますよね」
部長が近づく。
「どうした?」
相沢が文書を見せる。
部長は読む。
「検査?」
「はい」
森野が答える。
「断ります」
「そりゃ断っていいだろ」
部長はあっさり言った。
森野が顔を上げる。
「いいんですか?」
「何で俺に許可取るんだ」
「でも会社に届いて」
「会社は郵便受けじゃないぞ」
相沢が笑う。
部長は文書を森野に返す。
「受けたくないなら受けなくていい」
「はい」
「仕事に関係ない」
「はい」
「それより企画書」
「あ」
「今日の三時まで」
森野の耳が。
ぴく。
「忘れてた?」
「忘れてません」
ぴく。
部長が耳を見る。
「便利だな、それ」
「便利じゃありません!」
午前十一時。
研究機関へ。
正式に辞退の連絡。
森野本人が電話する。
「今回は協力いたしません」
相手は丁寧だった。
強制ではない。
理由も聞かない。
森野は少し安心した。
電話終了。
「普通でした」
「よかったじゃん」
相沢が言う。
「もっと押されると思ってました」
「考えすぎ?」
「百四十三年生きていると、いろいろ警戒するんです」
「便利な言葉になってきたね」
「事実です」
午後零時。
昼休み。
今日は。
相沢と森野。
二人だけ。
近くの定食屋。
森野は焼き魚定食。
相沢は唐揚げ定食。
「エルフって魚食べるんですね」
相沢が言う。
森野が箸を止める。
「またですか」
「何?」
「エルフだから何を食べるとか」
「気になる」
「何でも食べます」
「ピーマンは?」
「嫌いです」
「エルフなのに?」
「エルフ関係ありません!」
ぴく。
相沢が笑う。
「かわいい」
「急に言わないでください」
ぴくぴく。
隣のテーブルの客が。
森野の耳を見る。
森野は気づく。
でも。
隠さない。
「慣れてきた?」
相沢が聞く。
「少し」
「見られるの」
「はい」
「昨日までずっと隠してたのに」
「不思議ですね」
森野は自分の耳に触れる。
「今朝」
「うん」
「二十分遅く起きられました」
「髪巻かないから?」
「はい」
「それは大きい」
「かなり」
「じゃあ公表してよかった?」
森野は考える。
「まだ分かりません」
耳は動かない。
「でも」
「うん」
「朝は楽です」
「そこ重要だね」
午後二時。
会社。
今度は。
封書ではなく。
メール。
海外の大学。
長寿研究への協力。
森野。
「断ります」
午後二時十五分。
製薬会社。
「断ります」
午後二時四十分。
健康関連企業。
「断ります」
午後三時。
テレビ番組。
「断ります」
午後三時二十分。
出版社。
『エルフとして百四十三年生きる健康法』
森野が止まる。
「何ですか、これ」
相沢が見る。
「本になりそう」
「なりません!」
「百四十三歳が教える若さの秘密」
「何もしてません!」
「説得力ある」
「朝、納豆食べてるくらいです!」
田中が振り返る。
「それ書けば?」
「書きません!」
午後四時。
さらに。
化粧品会社。
『アンチエイジング商品の広告出演』
森野はメールを閉じる。
「嫌です」
相沢が言う。
「金額すごいよ」
「見ません」
「一回見る?」
「見ません!」
「俺なら見る」
「相沢さん」
「はい」
「私の恋人として」
「はい」
「止める側に回ってください」
「はい」
午後五時。
神崎が会議から戻る。
「集会側で対応方針が決まりました」
森野が見る。
「どうなった?」
「基本的にはリリカ本人の意思を尊重」
「はい」
「研究協力はしない」
「はい」
「他のエルフについては公表しない」
「はい」
「そして」
神崎が自分を指す。
「私について」
森野が止まる。
「もうばれてるでしょう」
「ええ」
「どうするの?」
「認めます」
相沢が聞く。
「神崎も?」
「はい」
「年齢も?」
「必要なら」
「百四十七」
「そうです」
相沢は二人を見る。
百四十三。
百四十七。
見た目は。
二十代。
相沢だけ三十一。
「何ですか」
森野が聞く。
「いや」
「何?」
「俺が一番老けていくんだなと思って」
森野の表情が。
少し止まった。
「あ」
相沢も気づく。
余計なことを言った。
「ごめん」
「いえ」
神崎が言う。
「相沢さん」
「何?」
「安心してください」
「何を?」
「私もリリカも」
神崎は真顔。
「老眼にはなります」
森野が神崎を見る。
「レオン!」
相沢が笑う。
「なるの?」
「少しです!」
「エルフも?」
「なります!」
「何歳くらいから?」
「個人情報です!」
空気が戻る。
午後六時。
退社。
相沢と森野。
いつもの道。
手をつなぐ。
「週末」
相沢が言う。
「水族館ですね」
「うん」
「楽しみです」
ぴく。
「耳も楽しみにしてる」
「通訳禁止」
「何着てくる?」
「普通です」
「白いワンピース?」
「どうして?」
「前かわいかったから」
ぴくぴく。
「相沢さん」
「はい」
「最近」
「何?」
「私の耳を動かすの楽しんでません?」
「少し」
「やっぱり」
「でも」
「何ですか」
「耳出すようになってから、表情増えた感じする」
森野が止まる。
「表情?」
「うん」
「顔じゃなくて耳でしょう」
「両方」
森野は少し笑った。
「変な人ですね」
「エルフと付き合ってるからね」
「それは理由になりません」
土曜日。
午前十時。
水族館前。
相沢は待っている。
十分前。
森野が来た。
淡い色のワンピース。
小さなバッグ。
髪はストレート。
そして。
耳。
完全に出ている。
帽子もない。
「お待たせしました」
「いや」
相沢は見る。
「何ですか」
「かわいい」
耳が。
ぴく。
「今日は一回目です」
「数えてるの?」
「一日三回までです」
「制限あるんだ」
「耳が疲れます」
二人で入る。
水族館。
青い光。
大きな水槽。
魚。
クラゲ。
ペンギン。
森野は。
思った以上に楽しそうだった。
「見てください」
「何?」
「エイ」
「いるね」
「かわいいです」
「エイ好きなの?」
「好きです」
「意外」
「何がですか」
「エルフなら森の動物好きそう」
森野が睨む。
「偏見です」
「鹿とか」
「鹿も好きです」
「やっぱり」
「魚も好きです!」
大水槽。
二人で並ぶ。
青い光が。
森野の耳を照らす。
周囲の人が。
少し見る。
「あ」
気づく人もいる。
「あのエルフの人」
小さな声。
スマートフォン。
でも。
誰も近づいてこない。
森野は魚を見る。
「大丈夫?」
相沢が聞く。
「はい」
「撮られてるかも」
「もういいです」
「強い」
「せっかくデートしてるので」
ぴく。
相沢が笑う。
「今、自分でデートって言った」
森野が固まる。
「……そうですけど」
「前は監視って」
「昔の話です!」
「二週間くらい前」
「昔です!」
午後零時。
館内レストラン。
森野がメニューを見る。
「森のきのこパスタ」
相沢が指さす。
「これ?」
森野が睨む。
「絶対頼みません」
「エルフっぽいのに」
「だから頼みません」
結局。
森野は。
シーフードカレー。
相沢は。
森のきのこパスタ。
「何で相沢さんが頼むんですか」
「食べたかったから」
「私に見せつけてます?」
「エルフの気持ちを理解しようと」
「きのこで理解しないでください」
午後二時。
クラゲコーナー。
暗い。
人が少ない。
森野が水槽を見る。
青。
紫。
白。
光の中を漂う。
「きれい」
「うん」
森野は。
相沢の腕に。
少し寄る。
「森野さん」
「何ですか」
「近い」
「恋人ですから」
相沢が止まる。
「便利に使い始めた」
「相沢さんが先です」
二人で笑う。
そして。
森野が小さく言う。
「こういう日」
「うん」
「続けばいいですね」
相沢は森野を見る。
「続けよう」
「はい」
「来週もどこか行く?」
「早いです」
「再来週?」
「考えます」
ぴく。
「行きたい?」
「耳を見ないでください」
そのとき。
後ろから。
「森野さん?」
声。
二人が振り返る。
男性。
五十代くらい。
スーツではない。
手には。
小さな封筒。
「はい」
森野が警戒する。
「突然すみません」
「何でしょう」
男性は名刺を出した。
医師。
大学病院。
「研究のお話でしたら」
「違います」
森野が止まる。
男性は言った。
「私の娘が」
少し間。
「重い病気なんです」
森野の表情が変わる。
「……はい」
「あなたの長寿の仕組みに」
男性は封筒を握る。
「何か治療につながるものがあるかもしれない」
森野は何も言えない。
「研究材料として扱いたいわけではありません」
「……」
「でも」
男性は頭を下げた。
「もし可能なら」
深く。
「少しだけ、力を貸していただけませんか」
森野の耳が。
ゆっくり下がった。
相沢は。
何も言わなかった。
断る。
それは。
森野の権利だ。
けれど。
目の前に。
助けたい人がいる。
それでも断れるのか。
森野は。
長い間。
男性を見ていた。
そして。
小さく言った。
「お話だけ」
相沢が森野を見る。
「聞かせてください」
水族館の青い光の中。
森野リリカの。
新しい問題が。
また一つ。
始まった。
コメント
1件
読了しました!第23話、とても好きな回でした。相沢との距離感がさらに縮まって、森野さんの「耳を出すようになってからの朝の楽さ」とか「デート」という言葉を自分で使って照れるシーンとか、もう最高です…!一方で研究依頼やテレビ出演のオファーが次々来て、最後に病院のお父さんの話で「お話だけ」と答えたところ。断る権利はあるけど、目の前に苦しむ人がいるとそうも言えない。その葛藤がすごくリアルでした。次が気になります!