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「時也さーん!
明日と明後日のホリデー
ランチの貸切予約が入ってたよ!」
明るく響いた声は
喫茶 桜の静かな午後に軽やかに跳ねた。
レジ横に設置された
タブレットを覗き込んでいたレイチェルが
身を乗り出すように振り返って声を張る。
「おやおや。有難いことですね」
厨房から穏やかな声が返る。
藍色の着物に襷掛けという
きちんとした装いの時也が
鍋の蓋をそっと閉じながら顔を覗かせた。
「ご予約人数は、何名様でしょう?
今からなら
材料の発注にまだ間に合いますね」
「えっとね⋯⋯
明日が二十三名、内子供が十二名で
明後日が十九名、内子供八名ね。
アレルギーは明後日のグループで子供に二名
甲殻類アレルギーってあるから
気をつけてね。
あと⋯⋯あら?」
レイチェルが予約者の名前を確認し
眉を上げる。
「⋯⋯なんと、代表予約名がアラインだわ」
「なるほど、人数的にも⋯⋯
二日に分けて、孤児院の子供たちと
従業員の方々をお連れになるつもりでしょう
皆さまを労うお気持ち、立派なものですね」
そう言って、時也は淡く微笑むと
手元のメモ用紙に走り書きを始めた。
「げ⋯⋯ガキ共が来るんなら⋯⋯
俺、隠れてて良いか?」
カランと軽い音を立てて
空のグラスを下げながら
ソーレンがあからさまに不機嫌そうな顔で
二人の方を振り返る。
「駄目に決まってます」
即答。
「ふふっ。
ソーレンお兄さんのマジックショー
きっと子供たちが大喜びしますよ?」
「だから、それが嫌なんだってのっっっ!」
一気に声を張り上げたソーレンのこめかみに
ピクリと青筋が浮かぶ。
「⋯⋯レイチェル、お前もなぁ⋯⋯
なに笑ってんだよ。
俺がどれだけガキ共を投げたと思ってんだ」
「えー?
ソーレン、あの時すっごく
人気だったでしょ?
モテモテで良いじゃないの」
「はぁ!?
あのガキ共な⋯⋯〝もっかい!〟って
何十回も言うんだよ。
⋯⋯何人いたと思ってんだよ⋯⋯!」
呟き混じりにぼやきながら
ソーレンは背後のカウンターにグラスを戻し
片手を腰に当てる。
「俺はな
その日、腕が筋肉痛で
一晩寝返りも打てなかったんだぞ!?
それを⋯⋯またやれってのか?
しかも、二日連続で⋯⋯っ!?」
「ふふっ⋯⋯ソーレンさん、人気者ですね」
吹き出しそうになるレイチェルをよそに
時也はすでに献立と食材の組み合わせを
頭の中で構築していた。
「では、メニューはすべて僕が調整します。
子供たちには、自分でトッピングできる
デザートビュッフェもご用意しましょう。
⋯⋯そしてソーレンさんには
食後に〝自由演技〟として
三十分だけお時間を差し上げますね!」
「演技とか言うな、演技とかっ!
誰が出るって言ったよ、この腹黒笑顔が!」
ソーレンの肩がピクリと跳ね
渋面を隠さない。
「でも、子供たち
きっと待ち望んでますよ?
ソーレンさんのこと
〝優しいお兄さん〟って思ってますから」
時也の柔らかい微笑みが
静かに刃のように突き刺さる。
レイチェルのくすくす笑いも加わり
完全に包囲されたソーレンは
頭を抱えるように呻いた。
「⋯⋯くっそ⋯⋯
俺は、ガキ共のオモチャじゃねぇ⋯⋯!!」
それでも、背を向けた彼の頬は
うっすらと赤く染まっていた。
そんな姿に
レイチェルは優しく肩をぽんと叩き
心からの笑みを浮かべる。
「ふふっ!
ソーレンのおかげで
みんなの素敵なホリデーの思い出になるわ。
⋯⋯ね?」
「⋯⋯⋯⋯ちっ⋯⋯しゃーねぇな⋯⋯!」
渋々と吐き捨てながらも
ソーレンはそのまま厨房へと入っていく。
口では文句を言いつつも
その背中に漂うのは──
ほんの少しだけ
ー悪くないという気配だったー
⸻
貸切予約初日。
「皆さま、ようこそおいでくださいました」
喫茶 桜の扉が開かれると
朝の光を浴びた二十三名の来客が
列をなして入ってきた。
年齢も背丈もばらばらな子供たち──
三歳から十歳の子供たち十二名。
その後ろに付き添う職員十名
そして一番最後に入ってきたのが
黒いコート姿のアラインだった。
艶のある長髪を緩く一つに編んで纏め
微笑を浮かべながら
入口の木の床をゆっくりと踏みしめる。
「やぁ、時也。
今日はよろしくね?
⋯⋯明日は、ライエルが来るから」
「おや、それは楽しみですね。
ふふ。
アラインさんは
本日は神父服ではないのですか?」
厨房から藍色の着物姿で顔を出した時也が
柔らかく問いかける。
その袖は
すでに調理の準備を終えた証のように
襷で上品に纏められていた。
アラインは小さく笑って
両手をポケットに突っ込みながら肩を竦めた
「⋯⋯ボクが神父服なんて
似合うと思うかい?
それにね、子供の相手は苦手なんだ。
ソーレンがいるだろ?
ボクは隅っこで
会計までゆっくり楽しませてもらうさ」
その時
店内に入る直前で立ち止まった職員の一人が
額に手を当てて静かに呟く。
「⋯⋯喫茶店に入る時は⋯⋯
教会の如く礼を欠く事は赦されません⋯⋯
アーメン」
「⋯⋯⋯あの方は?確か⋯⋯」
「ああ、ユリウス。
彼にとっては、ここはもう
〝教会〟そのものなのさ。
キミに命を救われたからねぇ?」
アラインがさらりと答え
時也は「なるほど」と頷きながら
微かに眉を下げた。
⸻
店内のテーブルは
既に人数分の席に分けられており
それぞれには名札付きのランチプレートが
丁寧に並べられていた。
子供たちのテーブルには
彩り豊かな可愛らしい動物型の野菜に
掌サイズのミニバーガー
ほんのり甘いカボチャのポタージュ
そしてニコニコ笑顔のスマイルポテト。
その隣には
フルーツ水とリンゴジュースが
取っ手付きのカップに注がれ
小さなストローが添えられている。
一方
大人たちとある程度の年齢の子供の席には
地元で採れた新鮮な野菜を使った前菜と
温かい煮込み料理。
主菜は三種から選択制。
丁寧に裏漉しされた
ポタージュ・パルマンティエが
静かに湯気を立てていた。
穏やかな笑い声と、椅子を引く音が広がる中
数人の子供たちが特設席に目を留めて
ぴたりと足を止めた。
そこに座っていたのは──アリア。
金の髪をなびかせ
白磁のような肌に、深紅の瞳。
どこか人間離れした美しさを持つ彼女は
黙して動かず
ただ静かにグラスを手にしていた。
「⋯⋯あ⋯⋯っ!
ライエル先生が描いてた、女神さまだ!!」
小さな声が弾けた。
それを皮切りに
子供たちが一斉にアリアのもとへ駆け寄り
「女神さま!」
「絵のまんまだー!」
「きれい⋯⋯」
と興奮気味に声を上げる。
だが、アリアは──無言のまま。
その顔には一切の表情が浮かばず
子供たちを見つめ返していた。
最初に歓声を上げていた子供たちのうち
一人が、ふと表情を強ばらせる。
無言で動かぬ〝女神〟の存在に
幼い子ほど、じわりと恐怖を感じていた。
「⋯⋯うぅ⋯⋯
めがみさま、おこってるの?」
小さな目に涙が滲むのを見て
時也が素早く一歩踏み出す。
「皆さん。
女神さまは──
悪い神様との長い戦いで
笑顔とお話する声を
〝奪われて〟しまったのです」
子供たちが、そろって顔を上げる。
「でも、大丈夫ですよ。
女神さまは⋯⋯心の中では
皆さんにとても感謝しておられます。
ちゃんと皆さんのこと⋯⋯
微笑んで見守ってくださっているんです。
だから、どうか──
怖がらないであげてくださいね?」
時也の穏やかな声に
子供たちは安堵したように頷き
「がんばって⋯⋯女神さま!」
「わるい神さまに、まけないでね!」
と、口々に言いながら手を合わせた。
アリアは、微動だにしない。
だが、時也は見逃さなかった──
彼女の頬が、ほんの一瞬だけ
微かに緩んだことを。
それを見た時也の肩から
そっと力が抜けた。
⸻
食事が終わる頃。
「おいしかったー!」
「もうひとつ食べたい!」
と、満足そうに席を立つ声が広がる中──
厨房の扉が、ゆっくりと開かれた。
姿を見せたのは
エプロン姿の時也とソーレン。
二人が両端を抱えた木製の長テーブルが
中央に運び込まれ
すぐさま白いクロスが丁寧に掛けられる。
その上に、次々と運ばれる〝宝物〟
バニラ、ストロベリー、チョコ、抹茶
色とりどりのアイス。
透き通るカットメロン、瑞々しい苺
輝くブルーベリー、香り高いバナナ。
小瓶に詰められたフルーツソース
チョコソース、チョコスプレー
マシュマロやプリン
カラフルなウエハースに動物型のクッキー。
柔らかなホイップクリーム
滑らかなヨーグルト
そして
小さな手でも持ちやすい
アクリル製のパフェグラス。
「わぁああああああっ!!」
まるで花火のように
子供たちの歓声が弾ける。
小さな足音がカタカタと鳴り
列を作りながらテーブルへと駆け寄っていく
それぞれの瞳は
夢のような甘味の山に釘付けだった。
「お好きな材料を、好きなだけどうぞ。
ただし⋯⋯一回だけですよ?
冷たいものの食べすぎは
お腹を壊してしまいますからね」
時也が優しく諭すと
子供たちは「はーいっ!」と
声を揃えて返事をし、列を整えていく。
そして、ふと、視線の先に気付いた子が──
声を上げる。
「あ、ソーレンお兄ちゃんだ!」
「マジックしてー!」
「アイス浮かせてー!」
指をさされ
あっという間に取り囲まれるソーレン。
「っ⋯⋯てめぇら、覚えてんな⋯⋯!」
溜め息混じりに頭を掻く彼の表情は
しかめ面のはずなのに⋯⋯
その唇の端は
ほんのわずかに持ち上がっていた。
──次の瞬間。
重力を操る指先が
そっとパフェグラスを宙に浮かせ──
可愛らしいパフェをひとつ
空中で作り上げて見せる。
その場に、わっと歓声が再び弾けた。
まるで魔法のような午後が
喫茶 桜で幕を開けていた。